Mariko

読書、温泉巡り、キャンプが趣味です。教育の仕事をしています。専門は日本史です。徒然なる…

Mariko

読書、温泉巡り、キャンプが趣味です。教育の仕事をしています。専門は日本史です。徒然なるままに書いていこうと思います。

最近の記事

通りすがりの人たち

仕事できつい言葉や不快感を与えてくる人たちとの関わりによって、帰宅後も負の感情を引きずることが多かった。貴重な自由時間が台無しだ、なんていう考えも起きないくらい、反芻思考を繰り返し、気分が悪かった。ただ、こういう不快感を与えてくる人たちは一定数いること、その人たちは道端で通りすがる人たちと何ら変わらない、全く自分の人生に関係のない人たちであることを理解した今は、あまり感情を引きずらなくなった。根底にある、よく思われたい、評価されたいという執着をどうでもいいやと放り出した途端、

    • 『不安は9割捨てました』を読んで

      大原扁理さんの、『不安は9割捨てました』という本を読み終えた。 最近大原さんの世界観にはまっている。大原さんの本を読むと、本当に自分が好きなことややりたいことって何だろうと考えるきっかけになる。 そして、こうしなきゃとかこうあるべきという、自分の世界を狭める思考を、優しく解き放してくれる気がする。 学校で勤務していると、子どもたちに○○しなさいと指導したり、服装を注意したりすることがある。わたしは、「決まりだから」とか「だめなモノはだめ」という教師ならではの感覚が出そうにな

      • 仕事について考えてみる

        私は教師として14年間働いてきた。担当教科は社会科。 途中で2回育休や産休を経験した。 周りの同期は当たり前のように担任業をこなし、1年からの持ち上がりで卒業生を送り出すという教師としての醍醐味ともいえる感動を味わってきていた。私は家庭との両立を考えると副担任という立場も多かったので、周りがそうしたキャリアを積み上げる中、どうしても後れをとっている感があった。私は教師という職業はなりたくてなった職業だ。社会科という教科の魅力、教えること、学級経営この3つの要素に惹かれてこの職

        • 読書『年収90万円でハッピーライフ』

          大原扁理さんの『年収90万円でハッピーライフ』という本を読み終えた。 この本を読み進めている時から、自分自身の中にある焦燥感や競争心といったものが少しずつ浄化され、落ち着いていく感覚が広がっていった。 私たちは成長する過程で世の中の当たり前や普通を学び、いつしかその普通から逸脱することに恐怖心を抱くようになる。また、なぜか他人と比較し自分の中で勝ち負けを、優劣を判断し落ち込んだり優越感に浸ったりしている。こういう他人との比較は一体どこで身につけてしまうのだろうか。学校なのか

        通りすがりの人たち

          駅伝大会に出て

          今日は、職場のメンバーと駅伝大会に出場した。私は二区。久々に2キロを全力で走った。周りには中学生や小学生も走っていて一緒に全力で走った。走り終えた後はドーパミンが大量に出ていたのか、大変やり切った感で清々しい気持ちだった。タイムは全く速くなかったけれど、自分の力でゴールまでたどり着くことができて嬉しかった。

          駅伝大会に出て

          2024年 今思うこと

          2024年が始まった。 新しい年になると新年の目標を立てる人が多い。私も3学期初めの学級活動では、3学期の目標、新年の目標を子どもたちに考えさせることが多い。 私自身はどんな一年にしたいか良く考えた結果、自分が幸福だと感じる時間を少しでも多くし、ゆっくりと生きたいと思った。只今のこころを忘れず1日、1日と過ごしたい。 仏教には、今見えている色は全て空であるという教えがある。私たちは空の中に生きていてやがてみななくなってしまう。今生きているこの世界からは必ず卒業することが決まっ

          2024年 今思うこと

          読書記録『花神』を読み終えて

          司馬遼太郎さんの作品『花神』を読み終えた。その感想を記録に残しておきたいと思う。 本を読み進めていくうちに大村益次郎という人物に魅了され、読み終えた今は益二郎ロスを感じている次第だ。45歳という若さでこの世を去った大村益次郎は、その人生は本人も予想しない風に吹かれ、求められた場所で自分の才能をただひたすら生かし切るというタンポポの種のような物だったと思う。 今の時代、自分の個性や才能、自分のやりたいことというものにこだわる風潮があるように感じる。結局自分とは何なのかわからず

          読書記録『花神』を読み終えて

          1年の節目

          今日は昨年度から挑戦している日本史検定の日。今年も1級を受ける。 昨年度の試験が昨日のことのように思い出される。 この1年私の周りの状況も色々と変わったな。 なぜ日本史検定を毎年受けることにしたか。 1.高校生の頃から歴史に面白さを感じて、そして教師という道を選択し今があるから。その軸を忘れないため。 2.歴史を学ぶ意義をとても大切にしているから。国・物・個人にそれぞれ紆余曲折した歴史があり、その歴史は変えることの出来ない事実として残り続け、今を形成し、未来を創造する糧となっ

          1年の節目

          司馬遼太郎の世界『花神①』

          教科書に淡々と記されている歴史的事象。 1869年 大村益次郎 暗殺 大村益次郎という人物について、教科書から察しようとしてもなかなか伝わってこない。 今回、司馬遼太郎の歴史観の中でこの人物の人生について考えていこうと思う。まずは上巻から。 大村益次郎の元の名は村田蔵六と言った。長州藩の周防国生まれ、身分は百姓だった。 話を進めていく中で長州藩は他の例えば宇和島藩よりも出生にこだわっていた藩だったことがよく伝わってくる。 適塾という場所で蘭学を学んだ蔵六や福沢諭吉。そこで

          司馬遼太郎の世界『花神①』

          執着

          心とは脳。脳を思い通りに操りたいがなかなかいうことをきいてはくれない。 もう忘れたと思っていても、ふと頭の中に思い出がよみがえり、悲しくなったり、もう二度と会いたくないと心の中で叫んだりと感情は天気のようにころころと変化する。 脳に忘却リセットボタンがあったらどんなに楽だろうと思う。 過去はどうしてこんなにも美化されてしまうのだろうか。 相手の悪いところ、イラッとくるところがわかっていたはずなのに、過去になってしまうと良かったところばかりが思い出される。 時には被害者ぶって

          脳が描く現象

          朝目覚めると、自分の意思に反して自動思考が始まる。 大抵ネガティブな内容だ。 私はその思考にとらわれないように、飲み込まれないようにじっと眺めるようにしている。 これは一般にマインドフルネスとか、メタ認知といわれる技なのであろう。このような技を身につけたり、脳の仕組みについて理解するために様々な本を読んだ。呼吸に集中したり、目の前にある物体に集中したり、手やおなかの感覚に集中したりすることで脳の中に流れる自動思考・イメージを水のように流し、捉えないようにするのだ。この声を本当

          脳が描く現象

          自分にとっての読書とは

          昨日、本屋に行き始めて三島由紀夫の本を手に入れた。『行動学入門』 今日の午前中、約半分を読み終えた。力強い文体で、ほかの作品にも興味がわいたので、三島由紀夫の小説も今度は読んでみたいと思った。 自分にとって読書とはどのような行為なのか考えた。 例えば、人を構成する一つ一つの要素をパズルのピースに例えてみる。 私には、他人は多くのより完成に近いピースを持ち合わせているように見えるが自分はそのパズルのピースが少ないように感じている。 それは劣等感に近いものだと思う。 読書という

          自分にとっての読書とは

          忘却という幸福

          辛い出来事があると、この辛さは永遠に続いてしまうのではないかという錯覚を覚え、早くその辛い出来事から解放されたいと願う。早くその時が来て欲しいと。 あるいは、いずれ忘れてしまうという現実を知っているからこそ、虚しさを抱き、忘れたくないんだとしがみつく。余計辛さが増す。 「辛い時は何かに打ち込むことが大事だよ」という助言をもらっても、頭にこびりついた辛い感情が払拭できないから辛いのである。 日々、ひとつひとつとやるべきことを丁寧にやる。ゆっくりコーヒーをいれる。仕事をする。あ

          忘却という幸福

          完璧な愛情とは

          自分の幼少期は、不満だらけの日々だった。 母親と姑の間で板挟みの日々。母親の顔色ばかり疑って過ごし、元気よく『ただいま』といえる家庭がうらやましかった。 嫉妬深い母親は、自分が知らない話を姑が知っていると私と姉をにらみつけることもあった。 子供なりにとっても悪いことをしてしまったのだと罪悪感を抱いた。 自分よりも姑に関心を寄せる母の目をどうしてもこちらに寄せたくて、ココロからの愛情を感じることが出来なくて、今でも愛情に飢えている自分がいる。姑のことで母は今頃泣いているのかも

          完璧な愛情とは

          自分で掴んだ仕事

          仕事に対する価値観は人それぞれ違う。 がむしゃらに仕事をして、承認欲求を満たし、これが自分にとっての幸せなんだと確信して生きている人もいる。 一方で、仕事=生きがいとしてきたがゆえに、精神を壊してしまったり、自己犠牲をためらわない生き方をしてしまう人もいる。何も残らなかったと嘆き、虚しくもなるかもしれない。 人は都合のいい生き物で、恋愛、家庭、人間関係においてうまくいかなくなったとき仕事は”癒し”にもなりうる。社会とつながっているという安心感、恋人からあなたは必要ないと突

          自分で掴んだ仕事

          結婚について

          結婚というプレッシャー。人は結婚しなければ幸せになれないと思っている人がいたり、そう洗脳されてしまう人がいる。 周囲から幸せな家庭と思われたいという社会的ステータスを手に入れるために、自分の性自認を隠して結婚する人もいる。未婚の人が抱いている結婚生活はバラ色できらきらと輝いているかもしれない。 しかし現実の結婚生活は、いつも温かみのある、毎日が幸せいっぱいとは限らない。子育ても自分の思い通りにはいかないものだ。 周囲からのプレッシャーや焦りに負けて結婚し、こんなはずじゃなかっ

          結婚について