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第6の指を身体化:使用に慣れると自身の身体の一部と感じる

📖 文献情報 と 抄録和訳

独立した上肢の身体的所有権:探索的研究

Umezawa K, Suzuki Y, Ganesh G, Miyawaki Y. Bodily ownership of an independent supernumerary limb: an exploratory study. Sci Rep. 2022 Feb 14;12(1):2339.

🔗 DOI, PubMed, Google Scholar

🔑 Key points
- 人間の手に装着し、他の身体部位と独立に動かせる人工指- sixth finger -を初めて開発(以下YouTube参照;2分33秒)
- 使用に短時間慣れることで、自身の身体の一部と感じる(身体化する)ことが可能
- 人間の身体拡張の可能性を実験的に実証

[背景・目的] 私たちの脳は、他の手足から独立して動かすことができ、独立した動作フィードバックを提供する、独立した上肢に対する所有感を認識することができるのだろうか?ゴム手の錯視実験以来、人間の「自己」表現が非常に可塑的であることは多くの研究により示されてきた。しかし、これまでの研究では、実際の手足の動きによって制御される「代用」義肢や、既存の手足に非視覚的な感覚フィードバックが与えられる義肢に対する所有権についてのみ、ほとんど研究されてきた。そこで、人間の脳が独立した人工肢を所有できるかどうかを調べるために、まず、新しい独立したロボット "第6指 "を開発した

[方法] この指を用いた訓練を行い、身体表現に変化が生じるかどうかを行動および認知指標を用いて検討した。この装置のことを「第6の指(sixth finger)」と呼ぶ。Sixth fingerは、腕の筋肉の電気活動によって制御可能なシステム。腕の筋肉の電気活動をセンサで計測し、それが指を曲げ伸ばしするときに通常生じる腕の筋肉の電気活動とは異なる特定の信号パターンとなったときに、sixth fingerが動くように設計した。このsixth fingerの使用に慣れたあとに、どのような感覚や行動の変化が起こるかを実験的に確かめた。具体的には、sixth fingerを装着した状態で、自身の指とsixth fingerの両方を使って指の曲げ伸ばしやキータッピングをする習熟タスクを平均1時間程度行った。この習熟タスクの前後で、人工指に対する感覚を問う主観評定課題と人工指の影響が及ぶ可能性がある手の感覚を評価する行動実験課題を、sixth fingerを外した状態で実施した。

[結果] 参加した全ての被験者において、このsixth fingerを十分に思い通りに動かせることがわかった。自分の意図通りにsixth fingerが動かせているという行為主体感は、制御可能条件のほうがランダム条件より有意に高くなった。被験者のsixth fingerの身体化に対する主観的な感覚が、行動変容によっても客観的に裏付けられているという点において、sixth fingerの身体化に関する強い証拠が得られた

[結論] 本成果は、自立した上肢がヒトによって身体化されうることを示す初めてのエビデンスとなる。

🌱 So What?:何が面白いと感じたか?

義足患者は、その義足で踏んだ小さな石ころに気づく。
熟練したバスやトラックの運転手にも、類似したエピソードを聞いたことがある。
自分の身体でない「モノ」を自分の身体のように感じる「身体化」はある。

一方、その逆もある。
脳卒中者を対象としたインタビュー論文において、以下のような経験が報告されている。

(1)存在しない身体
(2)奇妙な感覚と歪んだ知覚に妨げられた身体
(3)制御できない身体
(4)社会的・臨床的サポートから孤立した身体

📕 Stott, et al. Clinical Rehabilitation (2021): 02692155211000740. >>> doi.

「自分の足ではない」「とってつけたような足」「他人の手だ、切って欲しい」のような発言は、臨床上、しばしば聞かれるところだ。
ほんとうは自分の身体なのに「モノ」のように感じる「脱身体化」もある。

今回の研究は、この身体化の一端を明らかにした重要な研究だ。
どうやら、身体化に重要なことは、『自分で動かせて、関係性が掌握されている状態』だ。
たとえば、水泳のあと、トランポリンのあと、地面を歩くと極端に身体が重くなる、あの経験は何だろう。
それは、「力と運動の関係性」の変化を示している。
水泳やトランポリンは、ある一定の運動を引き起こすために必要な力の大きさが、通常よりも小さくなる。前者は浮力によって、後者はトランポリンの張力によって。
そのため、短時間でも、水泳やトランポリンに従事した人間は、「このくらい運動を引き起こす力の大きさはこのくらい」という新たな関係性を学習し、それが当たり前になる。
その結果、直後の「地上での活動」が、実際に身体が重くなったわけでもないのに、重たく感じる、というわけだ。
これが、『関係性』、ボディスキーマとか、ボディイメージとか、運動学習におけるスキーマ理論などが該当するところのアイデアだと思う。

ここで、思い切った仮説が立つ。
「自分の身体とは、ある閾値以上に『関係性・スキーマ』を掌握したときに得られる感覚」ではなかろうか。
たとえ、それが自分の身体ではなく人工物であっても、『関係性・スキーマ』を学習しさえすれば、自分の身体と感じる。今回の抄読研究は、それを明らかにした。
さらにいえば、それが物理的なものでなくても、得られるかもしれない。
たとえば、熟練した社長は、各部門の動きに関して、自分の身体のような感覚を持っているかもしれない。
・・・広がりすぎた、収束させよう。
自分自身の能動的な出力と、得られた入力(運動結果)から関係性・スキーマを学ぶ。
そして、ある一定以上の精度で関係性・スキーマが得られるものを、人は『自分』として認識するのかもしれないということ。
そうなってくると、深淵な1つの問いにたどり着く。

本当の身体とは、何だろうか?

いま、僕たちが本当の身体だと信じているものは、実は精緻な機械に過ぎない、のかもしれない。
もしかしたら、とってつけられた「モノ」を自分と認識しているだけだったりして・・・。
モノがより精緻化し、本当の身体に近づくにつれて、「モノ」と「ひと」の境界線が曖昧になってゆく。人間機械論、機械人間論・・・。
難しい。けど、面白い。
理学療法士にとっては避けて通れない哲学分野の1つとなってゆくだろう。

人間は、機械と同じかもしれない
緒方洪庵

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