見出し画像

小説 ひよこ第19話~クリアーゲーム編4~犯罪者の言い訳

1ゲーム100円資金難に喘ぐ僕とマッセ(栗)はソレでも【ビッグマート】に暇を見つけては通っていた。
誰かのプレイを見ているだけで楽しく、ゲームと云う誕生しつつあった娯楽は、ゲーム機の周りに【通う中学校の垣根】を超えた友情をも育みつつあった。
本来子供達には心の国境はなく、幼い頃は公園で出会った見知らぬ子と砂場などでよく遊んだ。
それが成長するに従って「所属する集団」を認識するに至り「常識としての他人」を意識してしまう。
中学校に入学したばかりな僕らはまだ小学生的気質を持っており「何中か問題」の意識は低い。何歳かで区分けすることの方が多く、超党派の中1・中2ゲーム魅了され派を【ビッグマート】の一角で作りつつあった。
中3生は縄張りリーダー世代の意識を強く持っており小競り合いを繰り返しつつあった。これが後に大きな抗争に発展していく。
人間は今も大小そんな事を繰り返していて、ニュースを見て【ヒトは元々サルである。】を私に再認識させる。
ともあれそんな環境下で【ゲーム機愛好家】集団は誕生しつつあった。

僕らは【隣の中学校の中1トリオ】と顔馴染みになり、社交場になっていた『自販機ばかりの店』のテーブルで各自雑誌などで手に入れたゲーム最新情報を発表交換していた。インターネットなど想像だにしないこの頃、少年達の情報は口コミで伝わる。
それは仲間意識を加速させ、僕らはお互いを友達だと認識し合うようになる。やっぱり【人間はサル】だった。

一方今も私達が抱える『金銭問題』は、小遣い増額を要求した僕に対し、母は即断で返答し、交渉は決裂した。要求が成寿しない僕は腹立ち紛れに『クソ、ババア!。』で交渉を止め、初めて使われたこの言葉は【母に準備していた対策の到来】を告げた。母の子育てもまた新たなステージを迎えた。

状況環境の石飛ばし並のスピード変化の中、僕は【禁じ手】を導入する。目の中に入れても欲しかった新世代跡継ぎの到来に湧き上がる『義祖母』をターゲットとしての金銭問題の全解決を目指した。
近所に住む『義祖父・義祖母』の家を頻繁に訪れ棟梁の義祖父は怖いので、『義祖母』に投資金をねだる。絶対に回収不可能な投資である。子供のなかった『義祖母』にとってはソレは側面的には喜びであった。
少年の小狡さは中学生になり親の想いを他所に加速を始めていた。

『義祖母家』には大きな皿に入れられた小銭が『義祖父』のタバコ購入費としていつも用意され置いてあった。

頼むのすら億劫になった犯罪者は『欲望の実現』のみの為、ついにコレに目を付ける。
『犯罪は割に合わない。』を地で行く僕は、ついに家庭内犯罪者に成り下がった。1度踏み越えたルールはいとも容易くBダッシュする。
遠慮がちに行われていた2枚スタートなドキドキは回を追うごとに薄れ、枚数と頻度を加速しつつ行われた。ただソレは犯罪加害者の理屈であり、被害者と当局は気付き始めていた。
『犯罪者の末路はいつも憐れである。いや、そうであらねばならない。』


そして僕はこの日を迎えた。
親父の拳固が降り注ぎ、
母は涙しながら詫ている。
『被害者の祖父母』は、オロオロし、
『大工なんかそれぐらいの勢いがあった方が腕が良い。』と明らかに無理なかばい立て論を棟梁は展開する。『昔の先輩なんかはな、……。』
正座の跡継ぎ世代は全員虚ろな目で、祖父の長めな大工鉄板話を聞く。
義祖母は『こんな悲惨な状況』すら喜びに変え、溢れる笑顔でモナカなど僕に勧めてくる。
底抜けにいい人達だった。

その間も親父の軽い平手打ちは続いていて、
それが行われる度、祖父母はビクッとなり、
留めに奔る。もう2時間も続いていた。

この事件を期に、母から提起された、
『我が家暴力否定論』が生まれた。
君達現家族は父の事件の反省に基づく、家族法によって安全に暮らしている事を知って頂きたいモノである。



powered by noripay works.
(第2稿(後書き追加)。もうひとつの5へ続く。)


父は8歳で親戚だった義父家の養子となりました。
母も父も8人兄弟の末っ子で、この変がたった一回のお見合いで母が嫁いだ理由かもしれません。
父の場合、8人もいたら何も分与されないとの、
父代わりの長兄の意見で(実父は亡くなっていた。)養子となりました。父のエピソードには、
一回しかあってないが多く、養父母にも一回しかあってないのに養子に決まっていた。と云います。実家でその後も暮らしましたが、
「お前は名字が違うから黙っとけ。」と冗談で
兄に言われたと根に持っていました。
あまり物事を深く考えないタイプの父が泣き言めいて言っておりましたのでショックだったんだと思います。ただ建設学校をでて建材メーカーに勤めるなど、父としては養家の跡取りになった自覚はあったようです。
「もうそろそろ跡目について考えてくれないか。」
と養父母に嘆願され、建材メーカーを退職している事から両親は跡目について、早い段階で考え相談していたようです。
因みに実父は株屋だったと聞きます。私が挑戦的生き方を選びガチなのは、この辺の隔世遺伝かもしれません。

今話もお読み頂きありがとうございます。
次回から抗争に話は移ります。m(_ _)m





この記事が参加している募集

スキしてみて

サークル準備中です。 設立の応援ご支援として プレゼント積立させていただきます。 ありがとうございます。m(_ _)m