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歴史小説『はみだし小刀術 一振』第1話 古刀

小刀術の道場を破門になった。

小文太はトボトボと吉井川沿いの道を歩いた。備前と呼ばれるこの藩の産業は多くあるが中でもは備前焼きと呼ばれる陶器と備前刀と呼ばれる日本刀で、どちらも一大産業である。
この港町は古来よりそれらの集積出荷港として栄えた。乙子の渡しのほとりに佇んで小文太は渡しをぼーと眺めた。

この地方を西大寺と人はいう。

西大寺観音院は古くから信仰を集める寺である。年に一度の会陽が有名で裸祭りとも呼ばれる。
古くは戦国武将宇喜多直家の出世地とされた対岸の乙子は直家が最初に与えられた城であった。

『もう出世出来る世じゃあるまいし、小刀なぞ、極めたところでなんの得もなかろう…。』

この小刀術は戦国に起こったという。
始祖は侍ながら無手、小刀、捕縛を極めた。
もちろん剣術槍術なども教えたが、それらは大小を腰に指す侍武術であり、小文太には興味がなかった。

『身を守る術で身を守って、処罰とは。仏はワシを見てねえな…。』

大きな船が来た。
吉井川が瀬戸内海と接する河口である。
淡水と海水が入り交じる大きな河口をずっと眺めた。

『喧嘩ぐらいで首にしやがって…。』

小文太は小刀術が好きだった。
小刀と呼ばれる脇差しや懐小刀(合口)を持ち戦う。または無手と呼ぶ無刀な柔術であった。
簡単な説明では柔術で相手を倒し、小刀でとどめを刺す。

『合口は使わなかったのによお。どうせなら刺しときゃ良かった。』

そんな気もないのに、小文太はケラケラとひとりで笑った。人は感情の行き着くところで笑ってしまうものらしい。

『家に帰っても厄介者じゃしな。どう生きよう、もういっそドボンといって観音様に会いに行こうか…。』

大工の棟梁の五男に生まれた。
得るものなど何も無い。
大工仕事に明け暮れても自分は家のスペアでしかない焦燥があった。
そんな時小文太が出会ったのが小刀術である。
元々高所作業も多い大工の安全対策として、受け身があった。戦いの技というより現代の安全講習のようなものであった。
小文太もそれを習った。
電気が走るような閃きがあった。
『ワシでも戦えるんじゃないか?!』
大工道具に混ざる刃物やノミでも勝てる。
鍋の蓋でさえ人と戦える。始祖は技でそう語り掛けた。戦国の技は彼の希望となった。

『もう戦っちゃいけないのかな?!』

吉井川の川面が揺れていた。
戦国の世から100年あまりが過ぎようとしていた。


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