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「沖縄料理屋行くから!」

「来月、沖縄料理屋に行こうと思ってるんだけど・・」

夕食を食べながら、奥さんが言った。

その日の料理は、ゴーヤチャンプルだった。

うちの奥さんの作る料理は、控えめにいってめちゃくちゃ美味しい。

調味料にこだわりを持っていることもあると思うが、

何より愛情、センスが遺憾無く発揮されてできる品は、食べるととても元気が出るのだ。

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そんな料理上手な奥さんであるが、中でも特に得意とする料理が、このゴーヤチャンプルなのである。

「いや、ほんとに〇〇(奥さんの名前)の作るゴーヤチャンプルは別品だわ!」

「別品?絶品でしょ?」

「そうだった・・!」

なんてたわいの無い会話をしながら、食べ進めていた。

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ゴーヤチャンプルなんかを食べているもんだから、自然と会話の内容は沖縄に寄っていき、

冒頭の発言につながったのである。

「沖縄料理屋?沖縄料理屋って、あの駅の近くにある沖縄居酒屋のこと?」

「そうそう!来月そこに行くの!」

「うーん。。沖縄居酒屋ってどれも中途半端な沖縄料理しか出なく無い?あんまテンション上がんないなあ。」(沖縄居酒屋さんごめんなさい。。)

「まあそれは少しわかる!でもいいの!もう行くって決めたから!」

「えー。おれは行きたくないよお。おれの意見は無視かよお。」

「無視はしてないよ!でももう行くって決めたから。うん、もう決めた!」

そう言って、半ば強引に沖縄料理屋に行くことが決まった。

そして、続けてこう言った。

「たとえおじゅんが行きたくないと思っていても、行ったら絶対楽しいと思わせる自信がある。終わった後、ああ行ってよかったなって言わせる自信があたしにはある。」

「相変わらずすげえこと言うな。」

「みんな嫌な顔された時にすぐ控えすぎなのよ。要するに、腹がくくれてないのよね。」

「(おお、語り出したぞ。これは今日のネタになる。笑)」

そんなことを思いながら聞いていた。

「みんな何かを誘った時に、ちょっとでも拒否されたらすぐ辞めたりするけど、結局相手を楽しませるだけの自信がないだけなのよ。そこまで覚悟を持って誘えてないのよ。」

たかたが沖縄料理屋に行くか行かないかだけなのに、なんだか壮大な話になった。

確かに、人を何かに誘う場合

「嫌な顔されたら嫌だな」とか「拒否されたら悲しいな」みたいな気持ちになることは多々あると思うが、

そもそも誘う段階で、

「多少嫌な顔されても、絶対行って良かったと思えるような、素晴らしい体験をしてもらうぞ!」

みたいな気持ちで誘えているかと言われると、非常に疑わしい。

人を何かに誘う場合って、基本的に「来てくれたら、"自分"が嬉しいから」が中心になってしまっている。

奥さんの場合は、自分が楽しむのはもちろんだけど、

それ以上に一緒に行く人が心から楽しんでくれることを想って誘っていることが、会話から伺える。

「〇〇(奥さんの名前)は本当に私が楽しむことを願って誘っているんだな。」

そう感じると、半ば強引に決まったことでも、楽しみに感じてくるから不思議である。

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私も人を何かに誘う際は、それくらい強い意志をもって誘おうと思った。

居酒屋にいく程度のことでも腹を括るっていうのは、

それくらい日常の些細なことでも、1つ1つの決断に自分の意志や責任を込めているのだと感じた。

周囲に流されやすい"日本人"という民族だからこそ、

今一度「腹を括る」ということについて、考えてみてもいいのかもしれない。

今日も今日とて、「いいこと言うなあ」と思ったのでした。

おじゅん





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