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転職と転勤に対する正直な不安(主体的に(ある種加害者的に)変化を受け入れるか、受け身的に(被害者的に)変化を受け入れるかの違い)

どうも、yamです。
実体験や考え方を通して皆様と私共々、人生の幸福感を高める事を理想としたアカウントです。

転職について

現職に勤めて約10年、二人目の子が生まれた事がとうとう転職の契機となりました。先日記事にも書かせて頂きましたがなんやかんやで3社目の内定を頂くことが叶いましたが、前回、前々回同様また怖さを感じています。


私にとってここ(note)とは正直になれる場所でも有ります。本音を言うと、怖くて怖くて仕方が有りません。

業界違いの仕事になる為ついていけるのか。そもそも、対人恐怖(その原因となるコンプレックス)が原因で試用期間終了後に本採用をされなければどうしようだとか、仲間として受け入れられなければどうしようなんて悶々と考えてしまいます。

当然環境が変化しなければそれが一番楽では有りますが、現職でも転勤すれば(実は全国転勤有りの会社ですが転勤したことが有りません)状況も大きく変わりますし、来期も札幌から鹿児島迄どこに行くかもわかりません。つまり転職をするか転勤をするかについては

主体的に(ある種加害者的に)変化を受け入れるか、受け身的に(被害者的に)変化を受け入れるかの違いでしか有りません。

どちらを選択したとしても苦しみ(不快や不安)を感じる事が有るでしょうし(なぜなら苦しみがベースで人生は構成されているから)、もしかしたらどちらを選んでも取り立てて苦しみを感じないかもしれません。

最後に私の打ち手(自分に語りかけています)

人生は選択の連続だと考えています。選択をすることは加害者になる事で有り、選択をしない事は被害者になれる特権を得る事かと思います。然し、人生は本当に短い。失敗を恐れて期待する結果を受け取れる可能性の有る選択肢を取ることが出来ないなんて本当にもったいない事だと思います。我慢の連続の結果、勝ち取った無難な人生選択の先に私が最も重要視している幸福感はどれほどの物量で存在しているのでしょうか。可哀想な被害者で有り続ける必要は無く、加害者でもいいからやりたいようにやって、その結果生まれる甘んじて苦しみを体全体で受ければいいんじゃないでしょうか。そしてそれを皆様や友人、家族に素直に打ち明けて(戦いながら)そんな素直な私を支援してくれる人と不快付き合いをしていけばいいんじゃないでしょうか。

恥ずかしげも無く言います、頑張れ、俺。


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