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そもそもを考えて、トンネルを抜けだす。


左足を捻挫してしまった。

あまり動かないようにと接骨院の先生から言われているので、子どもや夫に口だけ出しつつ、なるべく動かないようにしている。


スマホでインスタを見たり
noteを読んだり
本を読んだり
雑誌を眺めたりして

体は動かさず
頭ばっかり動かす日々。

まだ青さが残る左足を座布団にのせ、
少し前の天然生活を読んでいたら

根本きこさんのエッセイが目に留まった。


2022年4月 vol.202

先日、歯痛でいちにち半ほど、寝込みました。


先月、右上の親知らずを抜いたばかりなので、勝手に親近感が湧いてしまう。

(ありがたいことに、抜歯後の痛みはなかったのだけど)


きこさんは、歯医者さんには駆け込まず、受け入れてみようと考える。


「何か施しをする」ということは、それが西洋医学であろうと東洋医学、代替医療であろうと、対処療法でしかありません。

中略

「そもそもこうなってしまった原因」と向き合うときは、「なにもしない」というのがいいんじゃないかと思うようになりました。



そもそも。


こうやって考えるには、時間と余裕が必要になってくる。

そんなのめんどくさい。

そう思うと、すぐに答えが欲しくなる。


でも、「そもそも」を考えてみると、
思いがけない答えに辿り着く。




そもそも、なんで捻挫をしたんだっけ。


町内会の班長で配布物を配っていたときに、人の家の前で滑ったんだった。


なんで滑ったんだっけ。


急いでて横着して、お家の階段ではなく砂利が敷いてあるところを通ったからだ。


なんで急いでたんだっけ?

急ぐ理由…なかったな。
時間を無駄にしたくないって思ってる?焦ってる?
「やらなくちゃ」っていう事実に、なんとなく急かされる気がしてるのかも。


もしかしたら、ちょっと余裕が足りないのかもね。

一歩二歩ショートカットしたくらいで、たいして変わらないよね。

捻挫は痛いけど、おかげで積読本を読めてるし、進めたかったインタビューの下準備も余裕を持ってできてる。

結果オーライって思おう。


という具合に、自分の中で、一つの落としどころというか、着地点が見つかってホッとする。



きこさんのエッセイは、1年前に書かれたものだけど、結びの部分を読むと、ほんとにそうよねって、ため息がもれる。
  

ぬるりと日常に入り込んできて、気づけばそれが当たり前になっていたけど、やっとやっと、トンネル抜けそうですよ。

今、なんだか「そもそも」という視点が忘れられているような感じ。2年に渡る疾病騒ぎも「そもそも」というところから考えてみたら、「あれ?」と気づくことがたくさんあります。
例えば、マスクをしていたらどこからかカレーの匂いがしてきた。

「カレーか。いいな。お腹空いちゃったな」と思いつつも、「あれ?匂いの微粒子って、ウイルスより小さいんじゃなかったっけ?」と。

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