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平成最後と時代の区切りと日本人

「平成最後」とか「平成最悪」なんて
表現を良く目にする機会が増えたような気がします。

豪雨災害は「平成最悪」
最近の猛暑、酷暑も「平成最悪」
政治も教育もスポーツもすべてが「平成最後」の形容詞。

来年で元号が変わるのだから
夏休みも盆も正月もすべてのイベントが
来年の四月末までに起きることはすべて「平成最後」になる。
当たり前といえばそれまでなんですけど…。

特に日本人は「最後」を好み時代を区切りたがる。
日本人だけじゃないのかも知れないけど「最後好き」は間違いありません。

「殿(しんがり)」は昔より最も優秀な人間が務めるものとされているし
お料理の最後の一個を遠慮し合うのも日本人的
どこか最後というものに美徳を感じるみたい。

そんな平成もついに最後を迎えるわけで…

最後の世代
戦後世代
バンカラ世代
ベビーブーマー世代
ゆとり世代
昭和世代

いつかは平成世代と呼ぶ時代もやってくる
自分がいくつかの世代を見届けた感があるのは灌漑深いし
元号制度や時代の区切りと言う概念は
日本人にとって寝深い
ものがあるものと言えるでしょう。

「平成」で時代を区切ることによって
残る日々を心して生きていこうという気持ちになったりもするのも事実。

一方で時間には区切りも最後もないのだから
いつも通りでいいんじゃない?

なんて思うところもあるし
そもそもどこでどう区切ろうが、1秒というものは変わらない。
時代の節目も、今までと同じ1秒でしかない…。

とはいえ子供の頃は
年越しのカウントダウンでジャンプして
「地球には立ってなかったぁ!」とか
大きく息を吸って
「去年の空気を今年吐いたわ~」と意味不明の年またぎ呼吸したり
くだらないながらも
区切りというものを大きく意識したものです。

どこを切り取っても同じ時間という概念を
「時代という区切り」によって人類は可視化してきました。

それぞれの国や文化によって
線の引き方は違うかもしれませんけど
見えないものに線を引いて「見える化」したことは人類の大きな発見であり文化の発展に大きな影響を与えたことでしょう。

もしかしたら見えないものをコントロールするには
多少強引でも見える化して
見えるようにすることで意識できるようになるのかも知れません。

「ここから、ここまで」って…

元々、時間や年号、元号というものを
日本人は古くから活用してきた民族です。

天皇の即位や、おめでたいことがあったとき
天災などの災いが起こったときなどに一旦チャラにして、
また新たな元年から始めようということを続けてきました。

元号は昔、中国やベトナムなども使用したようですが、
今でも正式に元号として使用しているのは、日本だけのようです。

世界で唯一無二の風習となった元号日本。
世界がグローバルな統一規格に進む中
元号制度を紡いでいく誇りを持っていきたいものです。

そして
平成の最後を平成最悪が来ないことを願っています。


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