見出し画像

#132 読書日記19 それから

■試練なくして成長なし

後期科目がすべて完了した。
最後にテストとともに、5科目180人分の小論文課題を回収し、採点と評価にドタバタした。

目を通す作業が辛い。

老眼が原因ではない。
達筆、悪筆、ミミズニョロニョロなどに悪戦苦闘した。

我が輩は文字が読めない猫である

読めない文字は評価不能の0点にしてやろうかと一瞬思った。

しかし、私自身に象形文字に関する読解力や解析力がないだけかもしれない。

もしもヒエログリフ(聖刻文字、神聖文字)だったら、ちょっと軽視しただけで神がお怒りになるかもしれない。

神から与えられた試練に違いない。

学生にはコメントを入れて返却することにした。

「美しい文字でなくてよいから、“ 判読 ” できるよう丁寧に書くこと!」

本当はワープロで打たせればいいのだろうが、その場で思考してペンを走らせる作業を通じて学生の瞬発力や洞察力を知りたいのだ。


■ネタづくり

気を取り直して次の作業にとりかかっている。
4月からの担当科目も確定しつつある。

例年の講義資料に新しいネタを落とし込みたい。

可能な限り「過去・現在・未来」の時空を往き来するネタも織り込みながら話をしたいと考えている。

私の好きな筒井康隆のSFではない。

文学作品を紐解きながら、過去と現在のありようを結びなおしている。

おぼろげな記憶を呼び起こす作業も生成AIのお陰でずいぶんと楽になった。

いくつかのキーワードを入れて「~について教えてください」と聞けば即座に情報を提供してくれる。

Amazonあたりからも情報が引っこ抜かれているのだろうか。

長井代助は三十にもなって定職も持たず、父からの援助で毎日をぶらぶらと暮している。
実生活に根を持たない思索家の代助は、かつて愛しながらも義侠心から友人平岡に譲った平岡の妻三千代との再会により、妙な運命に巻き込まれていくのであった。

夏目漱石『それから』

読後、50年ちかくたつも、多感な時期に読んだ作品は、ふとした瞬間に断片的に思い出す。
しかも、映像としてよみがえるから不思議な感覚だ。

かつて無二の親友だった友との間に、いつしか距離ができたことに気付く主人公の代助である。

斜に構えて世間を眺めているかのような人生だが、時代の殺伐を誰よりも敏感に嗅ぎ取る繊細な人間だ。

自分の胸に手を当てても思い当たることがある。

疎遠になった友人・知人がいる。
作為、無作為、いろいろだ・・・・

■文明は我らをして孤立せしむる

「自我」は漱石の生涯のテーマでもあった。

私たちは文明とともに自我意識が発達して、その結果として人間は個人となり、やがて孤立する。

日常は孤立無援ではないが、いたずらに独りだけで考えているとモノローグのループにはまる。

100年前も、今も変わりないのか。

繊細な人間には生きづらさを感じる人の世である。

いろいろあったろうが、あなたはそれからどうした?
これからどうしたい?

漱石の『それから』の標題は、いろんな事象に係る言葉なのだろう。

そんなことを学生に問いかけたい。