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相続が争族になった日 5 母への反撃開始

 千葉県庁の担当者、佐藤氏に先日電話を掛けました。初めての出会いから一年以上が経っています。

「覚えていらっしゃいますか?」

「はい、ご無沙汰しています。朝原行政書士の件ですよね」

父の遺言を無視し、母と結託して私を悪者に仕立て上げた行政書士。彼のことを千葉県庁に告発しました。そのときの担当者が佐藤氏です。

もう、とうに過去の事件になっていると思っていました。ところがそうではない、と彼女は言います。

「終わったのは千葉行政書士会の処分であって、県庁としてはまだ調査継続中です。しかしいつ処分が決定するかなど、お話しすることはできません」

noteに争族の記事をまとめることによって、気持ちの整理をつけることができたなら、いろんなもろもろを消してしまおうと思っていました。このため、県庁に預ける形になっていた証拠の写真や書類なども、削除してほしいという相談連絡のつもりでした。

「調査は未だ継続中のため、証拠品を削除することはできません」

 佐藤氏は言います。それにしても、そうしたことを当事者に知らされないことに少し驚きました。

 行政書士会の対応の冷たさといい、県庁の対応の遅さといい、我が家のような問題は、珍しくもないことなのかも知れません。

 そうです、行政書士会の対応は本当に酷かった。調査委員会からの召喚に立ち向かうため、私は知り合いの司法書士、長田氏(仮名)に同行を依頼しました。そして調査委員会へ、そのことを知らせた時のことです。

「ずいぶんと大げさなことをするんですね。そもそもが、遺言書程度でいちいち苦情を言い立てることこそ、大げさですよ。お父さんの遺言? いるんですよねえ、そんな程度の問題で・・・。はあ、まったくもう。まあ、一応会長には報告しておきますから。同行者の許可が出たら、それは知らせますよ」

 私は耳を疑いました。あまりにも、あまりにも、人として心が無さすぎる。この鈴木という女性が、調査委員会の委員長だなんて、絶対に嫌だと思いました。

 私は千葉行政書士会に、嘆願書を書き送りました。書きながら涙が落ちて仕方がなかった。父の気持ちを、病床の苦しい息の下で書き上げた遺言書を朝原という行政書士から踏みにじられ、今また、鈴木という行政書士にも踏みつけられたと思いました。

「人の心のわからない鈴木という人になぞ、調査をしてもらいたくありません。これ以上父を馬鹿にされるのは我慢ができません」

 千葉県庁にも相談をしていることも書き添えました。司法書士を同行させることが許可されたのは、嘆願よりもむしろ、このことのほうが効いたのだろうと感じました。

同行を依頼した長田氏は、本当に快く応じてくれました。とても心強かった。何しろ、相手方は三人どころか五人が並び、まるで私を囲うようにしていたから。その上、同席を断りたいと伝えたはずの鈴木という女性も、当然の顔をして座っていました。

鈴木氏を含めた五人がずらりと私の向かいに座り、私はまるで裁かれるかのようにたった一人、正面に座らされました。罪人になった気分でした。

長田氏はそんな私の背中側の席に、ポツンと座っていました。私と同じように。けれどもその存在は、私に終始勇気をくれました。

「あなたは、なぜお母さんがこのようなことをしたのだと思いますか?」

徹頭徹尾、家族関係を、特に私と母との関係ばかりが質問されます。私は、我慢して答え続けました。

「私と母の関係が上手くいってなかったからって、違法なことに手を染めても良いってことになるの?!」

叫びたいのをこらえ続ける一時間。

とうとう、私は涙ぐんでしまいました。

「私は、父の遺言を、父の希望を叶えてあげたかったんです」

言いながら、涙が頬を伝わってしまいました。

「司法書士としてよりも、友人として発言します。彼女はお父さんの入院中からほんとうに必死に動いていました。それは、お父さんの最期の願いだったからです」

それまでじっと黙っていた長田氏が、初めて口を開きました。

 それでも、調査委員会の方がたに気持ちが届いたようには感じられませんでした。何なんでしょう、彼らは。落胆する気持ちを抱え、私は千葉行政書士会の入る建物を長田氏と後にしました。

「あなたの望むような処分は期待できないように感じます。彼らはまるで暇つぶしをしていたようですね。士業に携わる者としての感想ですが、仕事のできない方たちが、こういった担当なのだと思います。本業が忙しければ苦情調査に関わる暇なぞありませんから。あの方がたには仕事の依頼は来ないでしょう、人の気持ちを推し量れない人たちには」

本気半分で、あとの半分は私を慰めてくれたのだと思います。

ともかく、私のターンは終わりました。次は朝原のターン。彼への聞き取り等の調査の後、処分が下ります。結果はどうあれ、私の反撃はここまで。

次は、親戚。

母が広めてしまった私の悪評に対して、誤解を解かねばなりませんでした。

私は祖母が大好き。祖母には、母からは得られなかった愛情をもらっていました。母には、髪の毛を洗ってもらった記憶が私にはありません。けれど祖母に全身を優しく洗ってもらった思い出はあります。嬉しい、という気持ちとともに大切に保管している記憶。

祖母もとうに90を超えていて、いつその存在が失われてもおかしくない。考えたくもないことですが、万一葬式にも呼ばれないなんてことがあっては、悔やんでも悔やみきれず、母を一層恨むことになるでしょう。

このため、長い長い手紙を、祖母と同居する叔父さんに宛てて書き送りました。

つづく

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