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相続が争族になった日 最終回 母への決別宣言

 母に浴びせられた罵詈雑言の電話を「いい加減にして!」と切った直後から、彼女は私を四面楚歌にしようと動き始めました。

「すずこ(著者)はひどい。私(母)がもらえるはずのダンナ(父)の遺産を横取りしようとしている」

親戚はおろか、ご近所中に吹聴しまくったのでした。

「お姉ちゃんの味方はもう、誰もいない」

泣きながら電話を掛けてきた妹が話した通り、普段なら心配し連絡をくれるはずの祖母までもが、沈黙していました。

母が悪徳行政書士と結託し、裁判所で検認済みの正式な遺言書を無視して行った、土地の違法登記。
そもそもが、行政書士には土地登記に関わる業務はできません。しかし、相続人が出向けば、登記官は受け付けてしまいます。
悪徳行政書士はこのための書類を作り上げ母にレクチャーを施し、違法登記は遂行されました。

千葉県庁へは、このときの書類を「証拠の品」として託しました。

登記所へ行き、写真撮影をさせてもらったのです。
このときに登記官から
「正式な遺言書があるのなら、この登記を無効にすることができますよ」と
言ってもらえました。
おそらく、相続人の一人による「勝手登記」が、少なくないのでしょうね。
私も無効にすることも考えましたが、これ以上親子間で遺恨を残すことはしたくない、父も無念であろうが理解してくれるはず。
そう考え、仕返しのターゲットを行政書士だけに絞りました。

千葉行政書士会への調査委員会出席と、千葉県庁への告発。

この二件を終えた私は、親戚への弁明を始めました。

ここまでの経緯の全てを綴った、長い手紙の送付です。

母の実家が三重県にあり、母の弟が家を継いでいます。
私は幼い頃からこの家に出入りをし、祖母にはもちろん、叔父にも可愛がってもらいました。
この叔父に宛てました。

「すずこか?手紙を読んだ。おかしいとは思っていたんだ。姉ちゃん(母)は、すずこが酷いことばっかりしよる、っていつも言っていて。おじさんも、鵜呑みにしてしまって、それはひどいなあって思ってしもうてた。けれど、やっぱり違っていたんやな」

すぐに、叔父から電話が掛かってきました。

「良かった。おじさんならわかってくれると思っていた。妹から、母が三重の親戚中に私のことを悪く言っているって聞いていたから。誤解を解きたいとずっと思っていた。このままだと、おばあちゃんに何かあっても、連絡ももらえなくなってしまうと、心配で仕方なかった」

深い、大きな、安堵のため息が私の口からもれました。そして同時に、全身から力が抜けるのも感じていました。ああ、ほんとうに良かった・・・。

「それでな、おじさん考えたんだけど、千葉に行こうと思っとる。皆でいっぺん顔合わせて話をせな、あかんって。
皆の都合の良い日を、おじさんに教えてくれへんか」

急展開です。こうして叔父の登場により、争族にケリが着く日・・・
争族がもう一度、相続に戻る日が訪れました。

「姉やん、いい加減にせい。娘を悪者にして、恥ずかしくないのか。親戚の俺らだけでなく近所中に言いふらすなんて。実家に寄れなくなるようなこと、するんじゃない!きちんと人の話を聞かんかい!」

その日は叔父の一喝から、話し合いはスタートしました。

元々が、思慮の浅い母です。その母に丸め込まれ乗せられた弟は、神妙な様子でうな垂れていました。

「姉ちゃん、ごめんな。俺は、よくわかんなかったんだよ。おふくろの言うことが本当だと思い込んでいたんだ」

弟からは反省した様子と言葉がありましたが、母は最後まで不貞腐れていました。謝罪の言葉も当然、ありません。

「提案なんやけど、義兄さんの最後の願いなんだから、今からでも、登記を希望通りにしたらいいんやないかな」

叔父のこの発言に、母は大いに慌てました。それは当然でしょう。法を犯してまで登記した土地です。冗談じゃない、と顔に書いてありました。

「叔父さん、もういいよ。私は遺言執行人として、父の希望通りにはもちろんしたい。でも、今それを実行に移したら、またお母さんに恨まれる。これ以上嫌な思いをするのは耐えられない」

私の言葉に「そう、良かった。(ありがとう)」すかさず母が呟きました。

母の言葉は、小さな小さな、ありがとう、でした。ごめんなさいではなく、諦めてくれてありがとう、です。心中はしてやったり、と万歳していたことでしょう。

「それと、皆に伝えておくね。私は、母の遺産はいりません。相続を放棄すると宣言します。その代わりに、今後この人(母)とは一切、関わりません。もちろん介護もしません」

私の宣言に家族はもっと驚くかと思いましたが、予想がついていたという表情でした。ただ一人、叔父さんだけが慌てふためいていました。

「すずこ、まあそう言うな。縁を切るみたいなこと言ってからに。叔父さん、こんなことになるために、はるばる、来たわけやないで。叔父さんの顔を立ててそんなこと言わんといてや。親子やないか」

それから、母に向かって言いました。
「姉やんも、この先一人じゃ生きていけないんやで。家族に敵を作るようなこと、すな! うちのおばやん(祖母)を見てみい、わかるやろ。全部、うちの嫁はんに世話になっとるんやで。一人になったらすぐ、死んでしまうやろ。姉やんも、時間の問題やで」

それでも母の口からは、ごめんの一言もありません。

「叔父さん、本当にごめんなさい。私は母とはもう無理。でも、弟妹と縁を切るつもりはないし、もちろん叔父さん達には、これからも仲良くしてもらいたい。だからよろしくお願いします」

母とはもう、関わりたくない。この気持ちは曲げられなかった。

こうして、母への決別宣言をしたのでした。

この後、母が新たに雇った弁護士から「遺産分割協議書」が届き、署名捺印をし、相続は本当に終わりました。

この間も、母からは一切、何も連絡はありませんでした。

けれど、私は清々しい気持ちでいっぱいでした。

「やっと母と縁を切ることができた」

解放感に満たされていたのです。


夏のひどく暑い日に行われた千葉行政書士会での調査からしばらく後、調査の進捗状況の問い合わせをしました。
「結果がいつ頃になるかは、追ってお知らせします」
このように言われていたのに、一向に連絡がなかったからでした。

「お知らせをする予定はありません」
「いいえ、確かに知らせると言われました」
「そのようなことを、当会は行っていません」

苦情の申し立てをした相手を、一方的に呼び付け、たった一人に対して五人がかりで根掘り葉掘り問い詰め、その挙句が
「報告いたしません」・・・と。

頭に血が上るのがわかりましたが、どうしようもない組織に何を言ってもどうにもなりません。

このため千葉行政書士会のホームページを日日、確認することが、私の日課になりました。

そんなある日、待ち望んでいた処分が、とうとう発表になりました。秋風が吹いていました。

「1年の会員の権利の停止(千葉県行政書士会会則第25条第2号)」

「やった!業務停止処分!」思わずガッツポーズをしました。

手口が手慣れていると感じた通りに、累犯があったようでした。


行政書士のこと、母のことを報告するため、父の墓参りに行きました。
秋とは思えない暑い日で、首の後ろがじりじりと焼けるのを感じながらも、じっと動けないでいました。

けれどそのとき、墓の向こう側から、すーっと涼しい風が吹いてきました。
風は、右に左に、私の横を撫でるように通り過ぎます。
涙が溢れました。


争族が決着してから母とは会っていませんし、今後も会いたいと思いません。
しかし私の娘は連絡を取っていて、二人はお正月だけ会っています。私は親不孝者ですが、孫との交流だけは目を瞑っていきます。母のためではなく、娘から祖母を奪いたくないからです。私が自分の祖母をとても大切に思っているように、娘も、おばあちゃんを大事に思っているかも知れません。

争族は、誰にでも起り得ます。わたしが争族人になったのですから。

                                 了


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