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ぐずぐずとした葛藤は、まっすぐな望みから


最近、はるくんは「ねむい」という言葉をゲットしました。小さな頃から今までずっと、はるくんは「ねむい」がわからなかったのね。なんだかねむくなってくると、そのぼんやりする感じや、遊びたいのに身体がうまく動かない感じがもどかしくてぐずぐずしてた。「ねむいなら寝ればいいのに!」とよく思ったものですが、その「ねむい」がわからないのだものね。あぁ、難儀なことよ。

やっと「あぁ、このかんじは『ねむい』ってやつなんだな、ぼくはねんねしたいんだな」と分かるようになったわけですが、それですんなりと眠れるわけではなく。


んなぁーもー、にぁーねむいー、ねむいよー
…ねんねしないで!
もうだめだー、ねむいーにぁもー
…だめなの!ねんねだめ!まだあそぶの!

↑これ、ぜんぶはるくんのひとりごとです。
ひとりで会話してるの(笑)一人二役で(笑)一応確認してみたんですよ。「ねんねしないで!って、おかあさんが?」って。そしたら「…はるくん」だって(笑)

ねむたいはるくんと、あそびたいはるくん。それぞれの心の声がそのままおくちから言葉になって出てくるの。そっかぁ、こうやって葛藤しているのね。


案の定ねむたいはるくんの勝利となり、私のうでまくらですーすー眠りにつきました。ふたつの正反対の思いを持って葛藤することは大変よね。うん、わかる。おかあさんもよくあるよ。

でも、はるくんの一人二役の会話を聞いていて、なんか「いいな」って思ったの。はるくんの葛藤は、私がよくやる葛藤とはちょっと違う感じがして。


はるくんの葛藤は「あそびたい」と「ねむたい」。どっちも自分の中から出てきたもの。どっちも自分が「そうしたい」って言ってる。頭からなのか、身体からなのか、出てくる場所は違うけど、どっちも自分からだ。

私のよくある葛藤は「こうしたい」と「けど…」とためらう気持ち。「こうしたい」は私の中から出てくるものだけど、ためらう気持ちはたいてい人の目を気にしてのものだ。こんなことしちゃいけない、とか、大人なんだからこのくらいできないと、とか。

確かに「ためらう気持ち」も自分の中から出てきたものかもしれない。でも、「こうしたい」という望みからじゃない。「できないって思われたくない」とか「それはわがままって見られるよ」とか、頭の中に浮かんでくる言葉は「こうしたいけど、それをしたら人からはこう見られるだろう」と私が『勝手に』そう思い込んで自分にやめさせようとする自分の声。そう、私の葛藤は「こうしたい」と「やめなさい」って葛藤だ。


なんか、いいな。はるくんの葛藤は清々しいな。だってどっちも叶えたい望みなんだもの。どっちの望みも「叶えたいな」って葛藤してるのだもの。自分の望みを叶えようとしてるなんて、素敵じゃないか。たとえそれがぐずぐずになって表れていたとしても。

私の葛藤は自分の望みをあきらめさせようとする葛藤だ。叶えたい、でもだめだ、やめなさい、あきらめろ。私はいっつもひとりでそんな会話をしていたんだ。はるくんのように口には出さないけれど、心の中で。望みを押さえ込んでスマートな大人のフリしてたって、その奥ははるくんのぐずぐずよりもっとひどいぐずぐずだ。


はるくんはかっこいいな。自分の思いにまっすぐで。さっきまでぐずぐずしていたのに、今はすやすや眠ってる。片方の望みは叶ったね。ねむたくなったから、きもちよくねんね。私もそんなふうになりたいな。「こどもはいいよね」って皮肉で言うんじゃなくて、心の底からまっすぐにそう思うよ。



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