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どこかのだれかのものがたり

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街で見かけた、見ず知らずの方に思いを馳せて🌸
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記事一覧

フランダースな男

フランダースな男

拝啓

「最後に会った日から、もう2年ほど経ったけれどお変わりないですか?
突然のお便り、お許しください。


あれからきっと、あなたもご苦労があったでしょうけれど、
わたしも当時、何度も気が滅入りそうになることがあったんです。
とにかくいろんなことから逃げ出したくて、
思い立ったある日、ワンボックスカーに積めるだけ荷物を積んで
愛犬のゴールデンレトリバーと共に、北へ走らせました。


車をび

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夢うつつな女

夢うつつな女

天狗の手の上にひらひらと雪が落ちたので、
ああ、まだ冬なんだなと思った。
陽の光が暖かかったので、窓辺でぬいぐるみをひなたぼっこさせたことを後悔した。
今ごろ、湧いたように舞う粉雪を見て、震えているに違いない。
今日のわたしは、アイラインを目からずいぶんとはみ出して描いたせいで、気が強い。
使い始めてもう3ヶ月ほど経つアイライナーはインクが枯れてきて、疲れ果てたカラスのようだった。


いつもと

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不安になる後輩

不安になる後輩

トイレの鏡を見て、驚いた。
菓子パンがついている。
さっき、仕事中につまんだチョコ入りのパンを思い起こす。
そうだ、電話がかかってきたから、とっさにマスクをつけたんだ。
紐を耳にかけたあと、鼻のワイヤーをつまむ癖がある。
ちょうど人差し指でつまんだだろう箇所に、菓子パンの欠片がついていた。


出かけるときに靴を履くように
人と会うときはマスクを着けるようになった。
急いで書類を届けるために階下

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口角が上がる女

口角が上がる女

朝のラッシュをやり過ごし、駅に着く。
最近の電車の中は本当に息苦しい。
だれ一人声を発さず、ただじっとその場で耐えている。
ちょっと咳払いでもしようもんなら、わっとわたしから人が離れていく。
やっと解放され、駅の階段を下りながらカバンに手をやる。


いつも、階段下の自動販売機でコーヒーを買うのだ。
上段、右から2番目の微糖コーヒー。
毎日同じことをしているので、もう目をつぶっていても買えるだろ

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化けられた男

化けられた男

ボタンを押して、二歩後退する。
壁と天井のへりを見上げながら、思う。
「最近、目がかすむなあ」
大理石風の壁をじっと見つめていると、ようやくピントが合ったようだ。
横を向いたたぬきのような模様ができている。


それにしても最近寒い。
ポケットに手を入れ、スマホを握るように持っていると、ぶるっと震えた。
画面の表示を見ると、18:28
その下に、通知がひとつ。
「新着メッセージがあります」
マス

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夢中になる少女

夢中になる少女

「……っと。あれ」

みんなは、どこに行ったんだろう。
棚から手に取ったイヤリングが、宙ぶらりんになった。これ、めっちゃかわいいね!って言おうとしたのに。

友だちの声は聞こえてこない。
左右を見ても、気配がない。
ばっと、身を翻して隣の陳列棚へと走る。
いない。
ここもいない。
そのとなりは?

そういえば、
前にも、こんな気持ちになったことがあった。
幼稚園でふと、お庭に咲いた小さなお花が気に

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追いかけたい男

追いかけたい男

黄昏時は不思議な時間帯。
あと何回、わたしはこの美しい景色をゆっくりと見られるのだろう。
そういう間にも、熟れたトマトのような陽が下りていく。


ぴゅーい。


ふいに、口笛が鳴った。
意識せずとも、わたしは切なさに駆られると反射的に口笛を吹く。
どこにも力を入れていないからか、まるでわたしの全身から発せられているようだ。
ま、わたしの口から発音していることに変わりはないのだけれど。


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雨が友をつれてくる女

雨が友をつれてくる女

リズムよい音が聞こえてきて、少し気分が高まる。
カーテンを少しめくって、目でちゃんと確かめる。
向かいの家の屋根の上は、灰色の雲。
「雨だわ」

その瞬間、花に水をやるように、わたしの心は生き生きとする。
わたしはくせ毛で、偏頭痛持ちだけど、雨の日はきらいじゃない。
頑張ってセットした時間を取り戻してほしいとも思わない。
バファリンの容量も頭に入っていない。
そんなことなんて、どうでもよくなってし

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