見出し画像

アートって美術なの?

なるほど、歴史的に見れば、長らくアートは美術でもあったでしょう。もっともARTという言葉は歴史的に変遷していて、言葉もまたラテン語のars、イタリア語のarte、フランス語のl'artを経て、英語のARTにたどりついたもの。その言葉の意味するところも時代ごとに国ごとにけっこう違う。しかもどこの国であっても、マルセル・デュシャン以降、その意味は大胆に変化した。もはやアートは(必ずしも)美をもっとも大事な目的とはけっして見なしていない。だって、いったい誰がマルセル・デュシャンが「泉」と名づけた小便器を、美しいと感じるでしょう?_


この歴史的経緯をもう少していねいに説明しましょう。古代ローマ帝国はほとんどの時期、多神教でした。かの帝国がキリスト教を国教としたのは最末期のこと。果たして、かれらのローマ彫刻がかれらのどんな思想を表現していたのか、それはぼくにもわからない。マッチョな力と美女へのあこがれでしょうか? 


古代ローマ帝国末期にキリスト教が帝国の国教になって、やがてかの帝国は分裂してしまいます。しかしその後もクリスチャンの国においては、絵画の王道はイエスの「人生」(?)名場面集となった。


イタリアは言わずと知れたカトリックの国。ところがフィレンツェ・ルネサンスは、イタリア人がみんな揃って、古代ローマが偉大なる文明を持っていたことにびっくり仰天、みんな揃って古代ローマ帝国文明にあこがれた熱狂的な時代です。かれらはクリスチャンであるにもかかわらず、多神教の古代ローマ帝国にあこがれた。こうして生まれたのが、ボッチチェルリの『ヴィーナスの誕生』であり、『春』です。


しかし、もちろんそんなメディチ家がリードする古代ローマおたくどもをにがにがしくおもい、こいつら地獄へ落ちろ、とおもっている人もまたいます。とくに牧師のなかに。そこである牧師は、いまで言えば人気ラッパーのように、メディチ家とかれらお抱えの美術家どもに対して、悔い改めよ、悔い改めよ、悔い改めよ、とミサで熱烈に叫びます。さぞやボッチチェルリは生きた心地がしなかったことでしょう。おまけに時代はペストが蔓延して人がばたばた死んでゆく時代です。(そもそもあの頃のかの地のみなさんは、風呂に入ると体のなかに悪霊が忍び込むと信じて、ロクに風呂にも入らなかったからいやましてペストは蔓延し、フィレンツェの街にも毎日弔いの鐘が鳴り響く。イタリア・ルネサンスは地獄の季節に咲いた大輪の花ばなです。)なお、もうひとつ重要なことはルネサンス期の画家たちは、正確には絵画のみならず工芸全般をうけおう工芸工房を率いる職人の親方たちでした。


19世紀後半のフランスに花開いた印象派は、実は普仏戦争(プロセイン 対 フランスの戦争)によって、若き詩人ランボーが発狂せんほどになるほどフランスがずたぼろになって、しかし、その後第三共和政の時代になって。やがてエッフェル塔も建てて、自分自身を取り戻し幸福になった時期のこと。つまり、最初はみんな印象派の絵画をバカにしていた癖に、しかし、だんだんかれらの絵に惚れ込むようになった。作品の買い手も増えて、値段も上がっていって、画商も儲かるようになった。その理由は、かれらが王様の時代を葬り去って、民衆の時代を選んだことを寿ぐ気持ち、すなわち自信と誇りがあります。でなければ、たとえばルノワールが描く、名もない少女がピアノを弾いたり、庶民がたのしく食事をしていたり、はたまたモネの、先妻の死による地獄から救ってくれた、マダムとその幼い娘との舟遊びを描いた絵画がけっして賞讃されることはなかったでしょう。ましてやモネの積藁にいたっては。積藁でモネは刻々と変化する夕方の、光の現象を追いかけ、キャンバスの定着させた。さらにはマティスとピカソは、色彩と描線のよろこびを謳いあげ、その上、三次元のこの世界をキャンバスの二次元で表現することの矛盾をいかに越えてゆけるかについて探求をはじめる。


この後期印象派の時期には(セザンヌを発展させるようなかたちで)キュビズム(立方体主義)が(盛期はほぼ二年間ながら)盛りあがる。そしらはすべて、人の視覚が動き回ることの探求です。なぜああいう試みがはじまったかと言えば、すでに絵画のライバルたる写真が登場し、さらには映画の誕生さえはじりつつある。そんななか絵画は絵画にしかできない視覚の探求をおこなうという目的と意志があった。なお、ピカソはブラックとともにキュビズムをリードしたのみならず、その後ピカソは、あの有名な、正面を向いた女性の顔のなかに、横顔もまた導入する趣向の絵をひとしきり連作したもの。


ところがどうでしょう、こういうふうに絵画のなかから神が消え、l'art がどんどん知的なゲームになってゆく傾向をクールに見つめ、「おまえらみんな楽しそうにはしゃいでるけど、しかし、この先l'artはどこへ行くつもり?」と、冷笑とともに皮肉を投げつけた人物がいます。それがデュシャンの小便器。『泉』と名づけられているのは、小便器ですもの、ボタンを押せば水が流れるから。美術館の空間になぜ小便器が置かれてるとおもう? 当ててごらん! デュシャンはそう問いかけています。いやぁ、デュシャンってつくづく嫌な奴ですね~。デュシャンの泉は、そしてかれの作品のすべては、謎解きゲームです。


驚くべきことに、そんなデュシャンがその後のARTの方向をほぼ決定してゆきます。けっきょく、その後20世紀ARTに、美はあってもなくてもかまわないものになった。せいぜい好意的に言って、美は目的ではなく、副詞の位置まで下がった。もっとも、絵画の王道がイエスの「人生」(?)名場面集だった時期とて、美は副詞としてありはしたのだけれど。いずれにせよ、20世紀アートは、美よりもむしろ作家の世界観の表明にこそ重きを置くようになった。こうしてインスタレーションという考え方、表現が生れもする。いわばアートの表現は、絵画/彫刻の二分論を棄却して、空間を表現の舞台にするようになった。もしも最大限に好意的に言うならば、ね。



とっくにARTは、美の表現を主たる目的にはしていない。そんなARTもときにはおもしろく観客の知性と感性を刺激してもくれる。ただし、ぼくはおもう、ぼくらはもう少し(欧米社会ではなかばとっくに葬りさられた、そんな)美術をもう少しくらいは大事にしてもいいんじゃないかしら。だって、ぼくらに日本人にとって、狭義の欧米公認現代ARTは馴染まないもの。だって、ぼくらはけっしてそこまで観念的には生きていないもの。むしろ花鳥風月大好きの日本人って、けっこうチャーミングではないかしら。美術館の白い空間よりも、四季折々の大自然と心をかよわせることの方がいほどゆたかでしょ?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?