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小説家を目指すならば、小説の書き方を誰かから学ぶべきか?

私は小説家を目指しているがまだデビューできていない四十五歳の男である。
私は小説の書き方を誰かから指導されたことはない。
指導されたくないと思う。
自由がそこにあるから小説を書いているのだから、そこに指導が入ると不自由になる。
私が文章の書き方を授業で教わったのは、國學院大學の傳馬義澄教授の授業を半年受けただけである。その授業は「文章の書き方」だった。その授業で教わったことは、例えば、一文に「の」が三つ以上になると醜い、などと言うものだったと思う。まあ、半年で文章の目利きの仕方のヒントを得たように思う。今では、上の例のような「の」が三つ以上あると醜いなどというのもあえて無視することも技術であると思っている。傳馬教授から教わったのはあくまで、文章を見る意識であると思っている。余談だがこの先生の思い出として、大勢の学生が騒ぐ中、私がひとりでキャンパス内のエレベーターを待っていると「暗いぞ」と笑って声を掛けてくれたことである。その一言で私の心はにわかに明るくなった。
まあ余談はさておき、私はこのように文章の書き方を半年学んだだけで、「小説の書き方」を学んだことは一度もない。「だから、デビューできないんだよ」と言われればそれまでだが、私はそのうち売れると本気で信じている。世の中には「小説の書き方を教える塾」があるそうだが、私は絶対にそんなところに通いたくない。通えばその塾の講師の小説の書き方を覚えるだけで、その講師を超えることは難しいと思う。
私は初心者の小説の書き方は一番好きな作家の小説を真似して見ることだと思っている。私は小説を書き始めた当時、村上春樹の文体を意識していた。『ノルウェイの森』が好きだったからだ。彼の文体は他の作家のものと比べて一際光彩を放っているように思えた。その真似から始まって、次第に自分の好きな文学は西洋文学の古典の翻訳小説だと気づき、翻訳小説の文体で自分が一番しっくりくる文体を模索し始めた。そして、今書いているこのような文体が私の文体になっている。読みやすい文章がいい文章、という哲学もある。もちろん、あえて読みにくいのも魅力であるが、私は読みやすい文章を書きたい。
で、以上は文章の書き方だが、そればかりが小説の書き方ではない。小説は物語だ。そうでないと言う人もいるかと思うが、物語で何かを表現するのが小説であるのが基本であると私は思う。
物語をどう書くか?
私はこれを映画から学んだ。
私は芥川賞に選ばれるような作品を志していた時期も長くあるが、それが自分の一番書きたい小説ではないと五年くらい前に気づき、映画のような小説を書きたいのだと思うようになった。もちろん、映画化を狙った作品ではなく、映画みたいな物語なのに小説で読むのが一番面白いというのを目指している。私は長年、ヒットした映画のストーリーの哲学を膨らませてきたが、ナラトロジーなどという学問があることは最近知った。だいたい同じようなことを考える人がいるんだな、と思いながらも、絶対にナラトロジーに従って小説を書かないぞとも決めた。理論に従って書くならばAIでも書ける。だいたいナラトロジーを勉強しても面白い作品を書けるようになるわけではない。それは野球選手がバッティングについての理論を学んだからといって、打てるようになるわけではないのと同じだ。人間の中にある才能を自ら掘り起こすことに努めなければならないと思う。そのためには実際に書くことが一番効果があると思う。
小説の書き方は誰かから指導されるべきものではないと思う。自分の好きな作品を超えるように独学で書いていくのが、小説を志す人生としても面白い所だと思う。

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