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【映画話】タルコフスキー監督の「Stalker」(後編)

前編の続きです!
前編:https://note.com/swan_yukiko/n/n9bc92c579708

おじさま2人はゾーンへ向かう道中に、小話という名の議論を繰り広げます。
科学のおじさまは、空想のものや小説などは人類にとって馬鹿らしいものだと作家へ言います。
作家のおじさまは、科学がない時代はロマンがあってよかった。科学が人間の夢を失くしたと言います。

実は、登場人物がそれぞれこの世の象徴的役割を果たしているのです。
1.ストーカー:聖愚者
2.科学者のおじさま:現実主義。名誉・論理・科学の象徴。
3.作家のおじさま:非現実の快楽主義。資本主義的。自由、ロマン、夢の象徴。

ストーカーの聖愚者とは、聖なる愚者。
キリスト教ではしばしば、信じる力が強い愚者こそが神聖だとされていました。
彼は願いをもった人々を、願いの叶う部屋に連れて行くとこを聖なる行為と信じている。そしてそれこそがこの世の中で自分が役立てる唯一のことだと、、、

あらすじの続き***
3人は願いの叶う部屋に着きます。
科学者は願いの叶う部屋を爆破しようとします。自分の名誉のために、そして願いが叶うなんていう夢ゆめしいことに色々な人が惑わされないように。
作家は願いの叶う部屋を前に、「『全ての人を幸せにする』ってことをお願いする奴がいてもいいよな、、でもそれはイデオロギーなんじゃないか?
俺はお願い事をしたくない。潜在的な自分の願いなど、見る勇気はない」と主張します。
ストーカーにとってはこのゾーンは神聖な場所であるため、科学者の行動を止めようとします。
力尽きた3名は揉めた後疲れ切って部屋の前に座り込みます。
ストーカーはぼぉっと「ここは僕にとって神聖な場所だ。静かでいいな。妻と子供と引っ越してこようかな。」と考えます。
妻と子供を心配する気持ちが、願いの叶う部屋に届いてしまいます。
3人は無事に街へ戻りました。
願いが届いたことをなにも知らないストーカーは妻と子供と幸せに家に戻ります。
最後、ストーカーの子供が椅子に座って机の上のものを眺めているシーンになります。
誰も見ていない中、その子供には超人的な力が宿ったことが表されます。
***終わり

引用風だけど私が書いたあらすじ♪

タルコフスキーはこのストーカーという映画を通じて何を問いかけているでしょうか?
それは「あなたは潜在的な自分を信じていますか?」だと私は感じました。

タルコフスキー は水を聖なるものだと考えいます。

これはあくまで自論ですが、
潜在的な自分というものをイメージづければづけるほど、
自分が信じられなくなるのではないかと思います。
人間も水のように、いろんな環境に適応します。
受け止め、変容し、飲み込み、滴って、流れて行きます。
それでいい、ありのままでいい。と自身を水のように受け止めた時、
人はゾーンの前で願いができるのではないかと感じました。

タルコフスキー映画気になった方はどうぞ色々見てくださいね!
以上です!


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