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次の更新は今週の金曜夜になります。最近話題になった「毒マロ」について対策・精神性の社会的弱者という社会問題・捉え方・効率的な接し方や対応について、体験談を元に25000文字の量でお送りします。
読解をしていたら「解釈は人の自由!全部幻覚!」と怒られる現象
「解釈」という言葉の定義が広がりすぎて、読解を楽しんでいると「どう受け取るのも人の自由!全部幻覚!」と怒られるようになってしまった。
作品の楽しみ方に対して「原作にそう読める場所なんてないじゃん」などと、人の楽しみ方が制限されないように生まれたのが「解釈は自由」という概念だ。しかしこの言葉の本質は「作品をどう楽しむもの人の自由」だと思う。
作品を元にワクワクする展開を想像する楽しみ方は人
楽しみ方に社会的優劣を持ち込むと、その純度と誇りが失われる
自分の楽しみ方を愛し誇りがあるこそ、他人の楽しみ方に不満や不快さを感じることは誰でもあるだろう。私はこのような不満や不快さは誰もが感じていいものだと思っている。
しかしそれは認識を間違えれば誤った方向に向かってしまう。
私たちは決して他人に素晴らしい人間だと認められたいがためにその「楽しみ方」を愛しているわけではない。それらを求めた瞬間、自分の楽しみ方から「純度と誇り」が失われてしまう。
「逆CPを憎む腐女子が分からない」私たちもまた同じ感覚を持っている
︎︎あなたは逆CPを憎む者を不思議に思った事はあるだろうか。またはあなた自身が憎しみを経験したことはあるだろうか。
「なんでそうなるのか分からない」という感覚 この「憎む」とは、「好みではないから読まない・解釈が合わないから萌えない・味がしない・楽しみ方が違うから距離を置いている」といった類のものではない。
明確に「許せない」「なんでそうなるの」「不快だから目に入れたくない」という感覚を指