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あこがれが思い出に変わっても


帰国した日とその数日間の頭の中


日本に帰ってきて、朝ごはんが クロワッサン から 食パン に変わった。食パンは焼いて、お土産に買ってきたエシレバターとヌテラ(ヘーゼルナッツとチョコのスプレッド)を塗って食べている。

パリが私に与えた食いしんぼう魂は帰国後も消えてくれなくて、毎晩ひとりでバリバリ食べていた『LU』というメーカーの板チョコが載ったクッキーを、日本でもおやつによく食べている。帰ってきてから2週間で、もうなくなりかけ。

お土産用にはさらに赤のビターチョコver.もある
もっといえば他のお菓子も買っている


チーズとバターとヌテラがまだ残っていてくれるから、パリでの日々を遠く感じずに済んでいる。帰ってきてからまだ数日しか経っていないのに、幻だったのかもしれないとすら思う。あの日々が、すでに思い出という名の過去になりかけていることがひどく、切ない。

ヌテラやチーズを食べ終わる頃には、私はパリでの日々をしっかりと思い出にできているのだろうか。



パリの準備をしていたとき、長距離フライトに備えて2冊の小説を選んだ。1冊は、パリ行きを後押ししてくれたマハさんの『ジヴェルニーの食卓』。もう1冊は、宮下奈都さんの『太陽のパスタ、豆のスープ』だった。



「夢」と呼んでいいのは、たった1つそれだけを望んで追いかけ続けてきたような、大きなものだけだと思っていた。

でもそんなことはなくて、夢はいくつあってもいいし、いつから望んだものであってもいいし、小さくたって大きくたっていいし、努力と少しの勇気で叶うものであってもいいし、才能が必要なものであってもなくてもいいのだと、パリから教えてもらった。

十数年間、ずっとパリに憧れてきた。パリの次に訪れたい場所はイタリアだったけれど「イタリア行きたい」というとき、それは "行けたらいいな" レベルの感情でしかなくて、比較にならないほど一線を画したところにずっとパリがいた。日々の中でたくさんパリについて知っていって、夢を蓄えてきた。だからこそ楽しめた場所がたくさんあった。


夢が叶うということは、夢を失うということでもある。だからこそ、そんな私がパリという夢を失ったあと、どう転ぶかわからなくて怖かった。

私が感じるものは夢を失った喪失感なのか、夢が叶った充実感なのか。その結果、呆然とするのか、満足して何も手につかなくなるのか、「この1ヶ月は人生最高のご褒美だったのだから」と切り替えて卒論や入社に向かえるのか。「パリはもう行ったから、次は他の国に行きたい」と思うのか、「やっぱりパリに行きたい」と思うのか。


少し悩んだ結果、滞在中に週末のアムステルダム行きを辞めた。Thalysの乗車券が高いとか、日帰りで訪れるにはあまりにも勿体無いとか、その日にデモが予定されていたとか以上に、一度に全部叶えてしまったらどこへ向かえばいいのかわからなくなってしまいそうだから、夢は分散させた方がいいと判断したからだった。


そんな思考感情の渦を持って、"これから私、どうなっちゃうのかな"、"どうなるんだろう" と立ち尽くしていた私に、『太陽のパスタ、豆のスープ』は完璧に寄り添ってくれた。我ながら最高の選書だった。


それらが過去になった今、私が予想していたことのすべてがこたえだったと言える。夢を失った喪失感も、叶ったあとのどうしようもなく満たされた感情も、どちらも味わった。元々行きたかったイタリアやアムステルダムやニューヨークにももちろん行きたいけれど、スペインやドイツ、ベルギー、オーストリア、イギリスにも行きたいし、訪れる際にはたくさんリサーチしていきたいと思う。

それでもやっぱり、また何度だってパリに行きたい。次はもっと、自信を持ってフランス語を話せるようになっていたい。

今後、どんな地をどれほど大切な人と訪れようと、行く前にどれだけリサーチを重ねようと、今回のパリには敵わないのだと思う。


語学留学なんて興味がなかった。海外で暮らしたいとか、国際的な仕事をしたいだなんて思ったこともなくて、海外は旅行で1週間くらい行けたら十分だし、その土地の言語を話せなくても翻訳アプリを使えばいいと思っていた。

だけど今は、英語やフランス語を話せるようになりたいと思う。いつか仕事の出張でパリに行けたら、数年の赴任でパリに暮らせるようなことがあれば、どんなに幸せだろうと思う。


パリでなければ、こんな考えとは無縁だった。

でもそれは、気づかないふりをしていただけなのかもしれないな。



***


帰国して数日後、父が少し遠くのTSUTAYAで借りてきてくれた『ミッドナイト・イン・パリ』と、町田(啓太)くんが出ているパリのアナザースカイをみた。登場するパリの風景を見るだけで、これは "道に迷った" で辿り着くような距離じゃないな、とか、"ああ、これはルーブルとパレロワイヤルの間のとこだ!" とか、そういうことがわかる。1ヶ月間、毎日パリの街を練り歩いた私だからわかる、それが嬉しい。


お土産開封式をしたら買ったことを忘れていたものがあるくらい、たくさんお土産を買ってきていた。なんでこんなもの買ったんだろう、と思うものもあったけれど、1週目にテンションが上がって勢いで買ったものや、自分の部屋には絶対に似合わないのに飾られてる様子がかわいくて衝動買いしたエッセイの書かれたじゃばら折のポストカードは、買ったときの私は買った瞬間の気持ちごと持ち帰りたかったのだとわかる。どこまでも私らしい。


だけど、形に残るものは "買ったもの" ばかりではない。

毎日更新なはずなのに気まぐれ更新なメトロ新聞、各施設のチケットやパンフレット、市庁舎でもらったパリマップ、使い終わったミュージアムパス、飛行機のチケット。

毎日持ち歩いていた『地球の歩き方 パリ』、手のひらサイズのメトロ路線図、Navigo(ICカード)、ソニーのミラーレスカメラ、それで撮った写真たち。

もらったものや持っていったものだって、旅を終えれば立派な "お土産" だ。

地球の歩き方、navigo、メトロマップ、歯ブラシ


3週目、パリに来た父が「(思い出は)ものに託さなくていいんだよ」と私を諭したけれど、本当にその通りだったな、と思う。

わざわざ買わなくてもその地を訪れるだけで、その地でしか手に入らないものは手元に残る。そしてそういうものほど、濃い思い出が染み込んでいて愛着があったりする。


買ったとき23€でビビったけれど、
地球の歩き方と水を入れて持ち歩くのにちょうどよくて、
たくさん一緒に旅したロダンくんバッグ
最高の相棒・Sonyα6400


それでも

毎朝コーヒーを飲むとき、エッフェル塔で買ったマグカップで初めてエッフェル塔を訪れた日の感動を思い出すだろう。

朝ごはんの食パンにヌテラを塗れば、何を食べても美味しかったパリの食を身近に感じて力が湧いてくるのだろう。

家を出る前、ヴェルサイユで買ったリボンで髪を結べば、マリーアントワネットになったかのように少し自信を持って1日を過ごせるかもしれない。


こうして思い出とともに生きていく。
その先でまたもう一度、あの景色を見たい。そのためにならなんだってがんばれる。心から、そう思う。


思い出に変わったあこがれは、
これからも私を生かしてくれる。










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