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みんなが知ってる夏を歌う。

夏休みは~、やっぱり~、短い~。

大江千里の「夏の決心」
夏と言えば、これなのだ。
100年前も、100年先も、日本の夏はこれなのだと、わたしは信じてやまないのだ。

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早いもので7月も終わり、8月。
異常気象続きの毎日で、穏やかな夏の日々とは言えないが、暦の上でも夏真っ盛りであることは間違いなく、夏好きとしては、やはりどこか気持ちが高まる。

社会人も2年目、わたしにとっての「夏休み」という概念はとうに無くなってしまったが、どんなにIT化が進み、バーチャルとネットだらけの世の中だと言っても、子供たちが汗だくで走りまわったり、虫網を持ってコソコソしていたり、ぽけーっとした顔でアイスを頬張っている姿を見かけると、やっぱりこれだよなと思ってしまう。

そんなとき、決まって口ずさんでしまうのが大江千里の「夏の決心」だ。
紛れもなく、ポンキッキーズの影響である。
山下達郎も、斉藤和義も、米米CLUBも、大江千里も・・・かっこいいとは、渋いとは、ノスタルジックとは、という、そういう基準はすべてポンキッキーズによって形成されたのだ。
いま考えれば、よくもまぁ親世代を上手いこと取り込んだ子供番組を作ったもんだと、そのセレクトには感心しかないが。

話を戻して…
夏の代名詞といえば、サザンもTUBEも挙げられるが、彼らにはどこか「サマーバケーション!(※カタカナ表記)」という雰囲気を感じてしまう。やはりそれはどこか大人なジューシーさを含み、扇風機の前でワアーっとやる夏ではなく、エアコンと窓開けのダブルで首都高を駆け抜けるような贅沢感があるのだ。

それに引き換え、「夏」または「なつ」と表記したくなるそれは、「夏の決心」でしか表現できない。誰もが知ってる、けど忘れかける、大切な夏の感覚だと思っている。

わたしはこういう人のこころの奥底にある、楽しいと寂しいの共存みたいな情景を描ける人が大好きである。それは単なる"共感"や"あるある"ではなく、決して自分の知っている景色とは違うけど、それによって感じる気持ちは共通して分かるという、不思議な感覚の実現だ。

「夏の決心」は、歌詞のすべてにそんな魔法がかかっていると思うが、中でもお気に入りの一節がある。

"宿題だね ほんとの空の 透きとおる青 きみのとなりで見ること"

「夏」という言葉が入らなければ、「暑い」とか「楽しい」とかいう感情の言葉も入らない。それなのに、このたった一節で、夏の暑さも、セミの鳴き声も、どこかで鳴る風鈴の音も、畳と蚊取り線香の混ざった匂いも、もくもくと浮かぶ入道雲も、よく名前の分からない親戚のおばさんたちの声も、甲子園のサイレン音も、冷水にさらされるそうめんも、風に揺れる千羽鶴も、手汗で滲んだ宿題のプリントも、それぞれに映る、日本の夏の、すべての光景が、嘘のようにキラキラと浮かび上がってくる。なんて美しい歌詞だろう。

夏を味わいたくなったら、迷わず「夏の決心」。これ、皆さんにぜひおすすめしたい。

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さて、そんな「夏の決心」は今から約30年前にリリースされた曲である。30年という月日は、世の中の価値観も、技術も、人も、すべてをまるきり変えてしまった。現代はあまりにも効率化に脅かされている。大人も子供もスピードばかりで、目の前に広がる透きとおる青を見逃しがちである。夏休みなんて、いつにも増してあっという間だ。だからこそ、この歌のように"決心"をしなくてはならない。

わたしに夏休みはないけれど、わたしなりの夏の決心がある。「夏休みさいこうー!」と大声で駆けていく子供たちと同じくらい、わたしだって命懸けの夏を送っている。皆さんも、皆さんだけが感じられる素敵な夏を過ごせますように。


以上、わたしからの #夏のオススメ でした。


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