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"無い"という概念を有してしまったから。

先日(主に洋服だけど)、わたしはいろんなものを一気に捨てた。
通常こういう作業は年越し前の年末大掃除で行われるのだろうが、わたしの場合はズレて1月の年始大掃除となった。

ひと昔前には「断捨離」という言葉が流行り、"こんまり"こと近藤麻理恵の片付け術などが社会現象になったことも記憶に新しいだろう。
(ちなみに、こんまりもお子さんを出産されて、家の中は散らかっている!って発言してたみたいですね。人間らしくて、わたしは初めて好感を持ちました。笑)

今回は、過ぎた断捨離ブームの再燃でも、今更のこんまりメソッド実践記録でもないのだが、「モノを手放す・執着を捨てる」という行為は、やっぱり人間にとって簡単なことではなく、でも、それによって救われる気持ちも必ずあるという、非常にむつかしい感情を湧きたてられるな、と思ったので、そんな自分の感情も交えつつ、「捨てること」を描いたタイの映画『ハッピー・オールド・イヤー』をやかましく語ってみようと思う。

少々暗めの話にもなるかと思うが、よかったらお付き合いのほど。



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「捨てる」は浄化。

本作の見どころは、なんといってもヒトとモノの結びつきを嫌というほど丁寧に描いている点である。
主人公の女性ジーンは、デザイナーとしてそのキャリアを歩み始めたところ、スウェーデンの留学中に学んだ「ミニマルな暮らし」を、故郷であるタイの実家に取り入れることから物語の幕が開ける。はじめは単に「要らないもの」をただゴミ袋にまとめて捨てに行くだけと思っていた様子も、物語は一変、家族間での「要らないもの」の価値観の相違や、「要らないもの」のはずなのに手放せない自分自身の混迷がまざまざと映し出され、ひとつひとつの部屋を、戸棚を、段ボール箱を開けるたびに、それぞれのドラマにずっしりとした重みを帯びてくる様が、実にリアルに描かれている。

これはわたしも肌で感じたことだが、「ときめき」がなければそれは捨てるもの、と、言葉で表現するのは簡単でも、その「ときめき」の正体が何なのか、つまりは自分の大切な価値観はどこにあるのかを理解することが非常に困難なのである。その意味では、「モノを捨てる」ことの根本には、自分にとって無駄な価値観の削ぎ落しを問われているようにも感じられ、それすなわち「浄化・昇華」などと表現するほうが正しいような気もするのだ。

もうすべて真っ新に!すべて無くなってしまえ!と思い、有るもの無いものすべてを一掃してしまうことは簡単だが、それができないのが人間の性というものであろう。それでも自分の中の"何か"が、目の前にあるモノを手放そうとしているのであれば、その正体についてゆっくり考える時間も、わたしは大切ではないかと思う。本作はそうした"行ったり来たりする感情の移り変わり"を面倒なくらい細かく描いている。あっと驚く掃除の解決法を提示してくれるわけでも、清々しく心晴れやかになる作品でもないけれど、この温度感に救われる観客はたくさんいるのではないだろうか。

少なくともわたしは「捨てる」ではなく「浄化する」の気持ちで、本作を横で流しながら要らない服の選別をすることができた。(何の報告)


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「捨てる」は覚悟。

だが、たとえどんなに綺麗な形で"浄化"できたとしても、"あなたにとっての"という枕詞から逃れることはできないのである。

本作にはこんな台詞が登場する。

"人は見たいものしか見ず、選んだもの以外は忘れる"

最もどぎつく、最も核心を突いたひと言だ。


『ハッピー・オールド・イヤー』が日本で公開されたとき、ミニシアターの一角に飾られていたポスターには「共感度MAXの断捨離ムービー!」なんてキャッチーコピーが当てられていたが、そんな軽妙な言い回しでまとめられるほど、本作は単純なストーリーじゃない。

主人公ジーンの断捨離は、いつしか「捨てる」から持ち主に「返す」という展開に駒を進めていく。きっかけは、友人から貰ったCDを捨てたところ、当の友人本人にその様子を見られてしまい「捨てられるくらいなら返して欲しかった」と捨て台詞を言われてしまったことにある。

情に流されることなく、論理的な思考でその「所有権」だけに着目するならば、これの正解は「貰った者の自由」と言えるだろう。だが、その裏で巻き起こるドラマには、もっと人間の根源的な何かーーー「対象を認識すること」や「物事を忘却すること」といったーーーヒトとモノとが共存して生きていくために持ち合わせなくてはならない、一種の呪いのようなものを描いているとも捉えられる。

本筋とはやや乖離した話になるが、キューブリックの名作『2001年宇宙の旅』でもその概念が語られるように、ヒトはある時を境に創造(想像)することを学び、モノを作ることに特化した生物として繁栄してきた。情けない進化ばかりを遂げる我々は、その後産業化の時代を生き、大量生産大量消費の流れに身を任せ、今となっては、世界中でモノとの付き合いに頭を悩ませる人が溢れ返っている。ごみ処理は何にも勝る最強ビジネスとして勃興しはじめ、利便さと息苦しさの狭間で、誰もが苦悩しているように見えるのだ。

本作はそこまで壮大なマクロ視点の話ではないが、そんな息苦しさを覚えた結果、保身のためか、はたまた大義のためか、"人は見たいものしか見ず、選んだもの以外はすべて忘れる"ことで、なんとかその自我を保っているように感じてしまう。その行動として「捨てる」は疎か、元いた場所へ「返す」という行為を通じて、自尊心を傷つけない手立てを模索するのだろうが、結果としてより大きな傷を負うことも少なくない。どちらにせよ、「捨てる」に付随した一連の行動には、本人が思っている以上に覚悟が必要な行いなんだと、この映画は伝えてくれている。辛いけど。嫌だけど。でも、きっとそういうものなんだと。

わたしも、身に染みて。(えーん泣)


***


「捨てる」で良いんじゃない。

それでもわたしは「捨てる」っていう選択も良いんじゃない?と思う。
ネタバレを避けるために、敢えてここでは本作の終着点を明言しないが、賛否両論巻き起こるラストに関して、わたしは比較的賛成の意見を持っている。

たとえどんなにモノを捨てても、持ち主に返しても、何をしようとも、ソレを完全に消失させることはできないと(これはあくまで持論だが)わたしは思っているからだ。

上述の飛躍した論の中で、ヒトはある時を境に創造(想像)することを学んだと表現した。この創造(想像)の中には、世界をとても明瞭なものにしつつも、非常に困った概念の存在が含まれている。ずばり「無」の存在だ。「ゼロ」という概念を生み出したと言っても差支えないだろう。

わたしは数学の類が苦手なので、「無」や「ゼロ」や「空」というものを数値的に説明することはできない。が、言葉で表現するならば、それは「無くなった」という出来事が「有った」ことにしないと、「無」を認識することができず、それはつまり「無い」ことを「有する」ことでしか置き換え不可能な概念なのである、などと言えるのではないだろうか。(自分でも何言ってるの?って思ってる。)

モノを捨てること、手放すこと、浄化させること、表現の差はあれど、そのすべてのゴールは、自分の手元に有ったはずのものを無くすこと、ゼロに帰すことを意味している。「無」という概念を生み出すことはできても、ほんとうにその場から実体が無くなってしまうことの恐怖は、いつの時代も、誰の身にも等しく同じ量だけ訪れる厄介なものである。

だから劇中でも、何度も「捨てる」ことに挫折するし、諦めるし、やっぱり捨てないという選択をする場面がいくつもある。傍から見ていると、うじうじしてて面倒くせえな!早く全部捨てちまえよ!と思わないこともないが、こればかりは実際に体験した者にしか分からない感覚なのかもしれない。

もちろんそれで「捨てない」という選択ができることも、とても素晴らしいことである。むしろ、持てる余力があるならば、人生にその余裕があるならば、何でも自分の身の周りに置いておくほうが良いに決まっている。

でも結局考えあぐねて、悩みに悩んで、「捨てる」「返す」「手放す」という選択をしたことも、まったく悪いことではないだろう。なぜならそれは、捨てた本人にしか分からないけれど、「無ということを有し続ける選択」をしたことの裏返しだと思うからだ。

「記録より記憶」なんて言葉もあるが、他者から見るとそれはとても淡泊なものに映るかもしれない。しかし、たとえそのモノを手放したとしても、その行動の結果には実体を有していたときよりも更に強固な結びつきを得ることがある。それがどんなサイズで、どんな色で、どんなものだったかは、時と共に忘れていくかもしれないが、それを「捨てた」「手放した」「無いものとした」という事実は有るわけで、気持ちの弱いわたしたちのような人間には、それくらいの負荷で丁度良いんじゃないかと思うのである。

モノを一気に浄化させたわたしは、背中に翼が生えた如く身も心も軽く…なるわけなんかなく、手放したモノたちとより一層の繋がりを感じているほどであるが、あれこれと本棚やクローゼットをぎゅうぎゅうにして、モノでいっぱいに溢れ返させていたときよりも、不思議と充足感を覚えていることは間違いない。

まさに「ハッピー オールド イヤー」と表現するに相応しい感情なのだろう。



いかがだろうか。
いつにも増して私情の混ざった映画語りとなってしまったが、こんな映画もあるんだ、くらいに読み取っていただけたら幸いである。

今日現在では、Netflix、U-NEXT、Hulu等のサブスクで鑑賞できるようなので、もし気になった方はぜひ。


新旧問わず、わたしの感情を高ぶらせた映画たちをまとめています。我ながら"やかましい"語り口調ばかりですが、ご興味ある方は他の記事も見てみてください。


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