私が看護師になった理由②

 当時付き合っていた彼氏(今の旦那)と付き合い始め2年で同棲を始めた。働いていたアパレルは都心部の百貨店に異動させてもらい、新生活を始めた。
彼の住んでいた10畳ワンルームでの2人での生活は正直狭く感じることもあったが、収納も豊富でキッチンも2コンロあり、バストイレ別だったので狭いなりにも慣れれば快適に暮らせていた。
 しかし異動先のアパレルでは客層の違い、顧客が既にスタッフに定着してること、等もあり上手くいかなかった。私は特別話すことが上手いわけでもなくコミュニケーション能力に長けているわけでもない。よくよく考えたら、この仕事は私には向いていない。5年程かけてようやく気付いたことは、皮肉にも自分が接客業に向いていないことだった。そう思うと全てが嫌になった。高単価で売れた時の快感も、その頃には新鮮さを失っており、散々接客して購入に至らなかった時の苛立ちの方が勝った。自分の接客がどんどんおざなりになっていくのが自分で分かった。購買意欲の見えないお客さんへの接客が面倒になり、冷やかし客には苛立った。最終的には、よくもこんなペッラペラのどこにでもありそうな服に何マンも出すよな、とさえ思うようになった。矛盾しているが私は今でもそのブランドが大好きでたまに買うし、至高だと思っている。
売り上げノルマも以前いた百貨店よりも厳しかったし、忙しかった。

辞めよう、そう思うに至るに、一年とかからなかった。

 だけど私に他に何ができる?アパレルしか経験のない私に。何の資格もない、他にできることなんかあるのか。いや、そもそもやりたいことなんて他にあるのか。
その時、自分が何の取り柄もない空っぽな人間である事が急に輪郭を持って現れ出した。

そしていくつかの会社の面接を受けた。保険会社、事務、営業アシスタント、、しかしことごとくどれも不採用だった。

私の好きな映画のワンシーンにこんなセリフがある。「あなたは自信過剰ね。人生は怖いものなのに。」
私はその時初めて、人生というものが恐ろしものだと思い知った。その頃はまだ若かったから気付かなかった自分の存在価値や社会で生きていくだけの能力やお金を稼ぐ能力、必要とされる力、その全てが自分には無いことがあからさまに露呈した。それまでなんとなくで生きてきた自分が、なんとなくでこの先どんどんなんとかならなくなり、自分はやればある程度できると思っていた自信が一気に崩れ去った。
20代を後半にして、人生はそう甘く無い、恐ろしいものだということに気がついたのだ。


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