見出し画像

「残酷」を醸し出すには

電話口の声の暗さに気をとられそこから別れまで速かった
「残酷なことをしていた」そうなのか残酷だったのか今までは
花を吐く様に君には拒まれて散らばる花をただ思うのみ

廣野翔一『weathercocks』(短歌研究社・2022.11)

「花を吐く」の初出は「穀物」第6号(2019年11月)。歌集収録の決定稿には初出から少しだけ動きがあるが、上の3首は異同もなく、順番もこの通りに並んでいる。

別れと拒絶に挟まれた「残酷」。主人公(と敢えて書く)には思いを寄せる相手がいて、二人の時間をそれなりに共有してきたらしいが、ある日不意に相手の本心を聞かされてしまう。主人公が抱く思いの熱量を相手も分かっているから、思わず言ってしまったのだろう。「残酷なことをしていた」。その瞬間、主人公のなかの記憶の風景が、時間のかがやきが、崩れ、散り始める。美しかった花は吐き捨てられ、かすかな香りを残して無残な姿を晒す。主人公はそれを〈見る〉ことしかできない――。

「花を吐く」を通読した読者なら、私の読み取ったこの筋書きを納得してくれると思う。だが一方で、「花を吐く」をじっくり読み返していると、この「残酷」をほんとうに、主人公を拒んだ相手方にだけ求めてしまって良いのだろうかと、不意に考え込んでしまう。

「残酷なことをしていた」そうなのか残酷だったのか今までは

仮にこの歌単体で放り出されていたら、どうだろう。ここには台詞と認知があるのみである。どんな相手か、どんな〈私〉かの情報もない状態で、「残酷」の矢印だけが向いている。

①私が「残酷なことをしていた」と思わず口にしてしまい、不意に出たおのれの本音に対してそうなのか(私は)残酷だったのか今まではと驚く。
②相手から(あなたは私に)残酷なことをしていた」と告げられて、そうなのか(私は)残酷だったのか今まではとただ茫然となる。
③相手から(私はあなたに)残酷なことをしていた」と告げられて、そうなのか(あなたは)残酷だったのか今まではとただ茫然となる。

無論、「花を吐く」という連作が求めている解は③である。①では別れ話を突然告げられた立場にしては私語りが饒舌になり過ぎてしまうし、②だと自罰が過ぎてむしろみずからの残酷さに酔うことになる。

ただ、それでも私はこの「残酷」の歌が③の意味で安定する手前の、主語がぱきっと書かれていないがゆえに生じるコミュニケーションと独白だけの強い露出の感覚を、読む際には引きずってみても良いのではないかと感じるのである。たしかに「残酷」の歌は前後の歌をつなぐ役割を担っているが、この行きどころのない一瞬の捨象と抽出があるからこそ、読者である私たちはこの二人の関係の終わりを、ひりひりとした思いを重ねつつ読むのではないだろうか。

加えて、もし連作の筋を追うのであれば、別れが描かれる以前のこういう歌にも目が行く。

きみのあたまのねじがゆるんでいるけれどしめないでいるおもしろいから

相手の「ねじがゆるんでいる」のを面白がることのできる仲だと、この時の主人公は思っていた。敢えてすべてを平仮名で書いているのも、「おもしろい」と思う側の昂揚であり、惚気でもある(つまりこちらもある程度「ねじがゆるんでいる」ことになる)。この歌の方が「残酷」ではないかと、私なんかは思ってしまう。何故なら、ねじがゆるむ方の気持ちがむず痒いほどに分かるから。そんな生き恥晒しているの見つけたら面白がってないで止めてほしいって、好きな人が相手だったら余計に言いたい。

ただ私は、この「おもしろいから」の歌が初出時には存在していないことを知っている。この昂揚は、次に来る「残酷」をより「残酷」にするために演出されたものであることを、そもそも連作を編み、それを改作するという行為にはそういう起伏の操作が往々にして含まれていることを知っている。

ではどうして、敢えてこんな歌を入れたのだろうか。勿論これは私の推測でしかないが、昂揚とともにしたたかな思いを抱いてしまった姿をあらかじめ書いておくことで、この連作が主人公サイドを単に失恋の「被害者」の立場としてのみ描く物語に陥らないようにする狙いがあったのではないか。その策にまんまと私ははまって、「残酷」の歌の茫然とした主人公の吐露のうちに、告解のような内省を感じ取ったように思うのである。

なお、「花を吐く」の改作でもうひとつ、なるほどと膝を打ったものがある。

もう一度話したいなと思うとき軽く小さき雨降りはじめ

廣野翔一「花を吐く」(「穀物」第6号、2019.11)

もう一度話したいなと思うなど軽く小さき雨降りはじめ

廣野翔一『weathercocks』(短歌研究社・2022.11)

この「など」が含むメタ認知的な突き放しの感覚が、「花を吐く」決定稿の色調を決定づけているのだと、私は思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?