思い出の中で食べる
エピソード食
母の最期の入院について、「思い出せることを書いておこう」という、ある意味大変個人的なことをしています。
個人的ではありますが、親の死と向き合うことは普遍的な部分があって、たとえそれが他人の話であっても、辛かったり痛かったり暖かかったりの、読む人個別の感情を喚起されるものなんじゃないかと思います。
あたしも人のものを読んでいろいろと(自分のことを)思い起こしますけど、何かをきっかけにイモヅルみたいに出てきて止まらなくなるエピソードと、案外あっさりと行き止まりになる記憶とがあります。
入院中の母の食べ物のことは、両方の傾向を備えているかもしれません。
あたしはあんなに母になんとか食べてもらおうと必死で工夫して持参したりしていたのに、今それをディテールまで思い出そうとすると、難しいのでした。
でも工夫をしたその理由は、深いところにある記憶なので、鮮やかに出てきます。
記録があるので、「ある日のメニュー」を書いてみます。
もうその時は病院で出すものをほとんど欲しがりませんでした。
主治医もとうに「冷蔵庫にお好きなものを何か入れておいてください」と言っていました。
栄養がどうとかではなく、なにか美味しいと思うということが、何より母の心のために良い、という段階だったからです。
11月13日に食べたモノ
キュウリの浅漬け、カブの浅漬け、刻んだやつをひと匙ずつ。
超高級塩昆布:小倉屋のえびすめ一枚、薄いお粥3匙ぐらい。ゆで卵の黄身半分くらい。
間食にカスタードプリン3匙。
夜は海苔の佃煮とお粥、梅干し少し、キュウリ少し、イクラ6粒、大根のみそ汁3匙、芋羊羹を小指の先ほど。
これらのものには全部「理由」がありました。メニューにエピソードがついているのです。
食べている人を見ることも食事の一部
まだもう少し食べられていた頃に気が付いたのですが、母はあたしたちが何か持って来て、そばで食べる音をさせたりすると、食べる気が出てくるのです。
それで、キュウリなどをコリコリかじっていたら、そういうのが食べたい、と言い出しました。でも、あたしが作る浅漬けは、母には少し薄味すぎるのです。
「八百屋さんで売っているような、シンプルな浅漬けが食べたい。ポリポリしたものが食べたい」というのがリクエストでした。
あたしは母の希望に一番近そうなものを調達して持って行きました。もう嚥下するのに注意が必要ですから、緩和ケア病棟の共有キッチンでこまかく刻みました。
ベッドのそばであたしは自分は乱切りのキュウリとカブをかじってみせて、母にはみじん切りをスプーンで与えるのです。
そうすることで、母は元気で何でもかじっていた頃のイメージで、漬物を味わっていたのだと思います。食べながら、ポリポリと、小さな、でもよい音を立てていました。
思い出すための味
超高級塩昆布:小倉屋の「えびすめ」は、母がおつかいものに使っていたブランドで、四角く切った厚手の塩昆布です。
一年に1回ぐらいそれの切り落としが、やや安く買える時があり、それも楽しみにしていました。
父が亡くなってからはそんなに経済が楽じゃありませんでしたから、しばらく食べていなかったんじゃないかと思います。それをおねだりされたのです。
冗談抜きで美味しい塩昆布ですけど、まあ我が家の家計で常食するのは無理っす。でもデパートに行って、10年ぶりぐらいに買って来ました。
それをお粥と一緒に食べていました。口の中でとろけてしまうようなやつです。
ゆで卵の黄身は、半熟であたしがコンビニで買ったサラダの上にのっかっていたので、ためしに食べるかきいてみたら口に入れてくれました。
そういう、歯茎でつぶれるような柔らかいもので、だけど食感がある(流動食のような人工的ななめらかさではない)ものが、いいんじゃないかとあたしもいろいろ考えていました。
カスタードプリンはあたしの好物です。幼児の頃はもっと好んでいて、ああいうものならなんでもよかったので(笑)、茶わん蒸しのことを母は「あったかいプリンよー」とか言いながらあたしに食べさせておりました。
カスタードプリンも、茶わん蒸しも、母は手づくりでしたが、あたしはそんなことやってられませんので、適当なものを買って、「スプーンであーん」してもらって、残った分はあたしが食べる、みたいな感じで一緒に食べました。
スプーン持ちの立場は逆ですけど、母は今でもそれを憶えているんじゃないかとあたしは思ってました。
そういう懐かしいシーンが、味の記憶と結びついていることが、よいことなんじゃないかと考えていたのです。
海苔の佃煮は病院に入る時の定番で、へんてつのない、桃屋の「ごはんですよ」、みたいなやつです。
何も気に入ったものが無い時、母はこれでお粥を食べるのが習慣でした。
弟が少し高級なやつを買ってきて、それが冷蔵庫の中に入っていました。
梅干しも同じラインのものです。母は酸っぱいものが好きですから、いい品質の梅干を買ってきてありました。
母は子供の時に梅干を食べすぎるなどの「事件」も起こしたことがあります。頭が痛くなるほど食べちゃったんだそうです。
イクラは、母の故郷北海道の名物ですね。親戚が自分でしょうゆ漬けにしたものを送ってくれてましたが、それは無理としても、病院の近くのすし屋や母の行きつけのマーケットで買ってくることはできます。
イクラだったら無理なくお粥のおかずになるだろうと思って用意しました。母が子供のころから馴染んだ食べ物です。
みそ汁には苦労しました。我が家と使っている味噌が違うので、あたしが作ってきたものには満足しませんでした。
病院の栄養士にも味噌汁が飲みたいとリクエストしていたので、ほんとに好物だったのだと思います。
この日はあたしは出汁と具だけ用意しておいて(出汁は飛魚です。それは共通でした)味噌は弟から自宅のものを持って来てもらって、共有キッチンで作りました。作りたてで香りがよかったので、美味しいと言って飲んでくれました。
芋羊羹は父が大好きだったものです。父が好きだったものを食べる、というのも、母には懐かしいよい思い出を呼び戻すって意味で、楽しいことのようでした。
イクラを買ってくる時に商店街で手作りのものを見つけて、ああこれはいいな、と思って一個だけ買いました。130円ぐらいだったかしら。
本当は浅草の舟和の芋ようかんが父のいちばんのお気に入りでしたが、それを買いに行く暇はないですから、これでいい、思い出すだけでいい、と思いました。喜んでくれたと思います。
あたしは商店街を歩きながらさまざま記憶を掘り起し、母が食べられそうなもので、今までのよい思い出と結びついたものがないかと毎日考えていました。
そういうのを頭のなかで「エピソード食」と名付けて、他にもいろいろ作ったり調達したりしました。
つづく
おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。