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『デ・キリコ展』へ行く

東京都美術館の『デ・キリコ展』へ行きました。

絵画や彫刻等の美術品には詳しく無くて知識はほぼ皆無なのですが、単純に見ることが好きなのでたまに美術館や博物館に行きます。

ジョルジョ・デ・キリコの作品はとても興味があったので絶対に行きたいと思い、ウキウキでチケットを購入しました。
デ・キリコ作品の展示会は日本では10年ぶりだそうで、「大回顧展」と銘打っておられました。しかも珍しい作品も沢山展示されていたそうな。貴重な機会に巡り敢えて嬉しい。

全体を一回鑑賞しただけなのでもう一度くらい行きたいですね。
二度三度と見ることで新たな発見があり、感想が変わることって沢山ありますからね。どんなものでも。
初見の感想も尊いものですが、二度目三度目がないと「初見の感想」じゃなくて「一回きりの感想」になってしまうので。
それが悪い事だと思っているわけでは全く無いのですが、個人的に”今回”は「一回きりの感想」にしたくなかったって感じです。

理由は恐らく形而上絵画にあると思います。
作品自体に明確な答えがないから(曰く「謎」らしい)、自分が何を感じたのかを記憶しておきたくなる。


説明(解説)文の中で最も印象的だったのは、形而上絵画が生まれた経緯についての説明でした。
意訳すると、既に見た事のある広場の景色が「初めて見ているかのような」感覚に陥ったとのこと。

これちょっと分かるなあと思いました。
いつもの景色が全く別のものに見える感覚。
今、自分が居る場所が分からなくなるような感覚。
世界の座標が消え去ったような感覚。
時間から切り離されてバラバラになったような感覚。
妙に不安で、でも心地良いような気もする、酩酊状態のような感覚。

それ離人感じゃねえのかと言われたらそれはそうかもしれないんですけど、その感覚をただ「不快・不安」で終わらせず、創作に昇華するのが凄いですよね。幼き頃の私は単に不快で終わってたもんね。とか得意げに語ってみましたが全然同じ感覚じゃなかったらすみませんデ・キリコ氏。


他に印象的だったのは、形而上絵画一辺倒ではなく時代によって様々なタイプの絵画を描いているところですね。正直知らなかったので驚きました。
途中で古典に回帰していらっしゃる時期もあるし。そしてそれをブルトンが批判していたりもするし(ブルトン側が懐古厨厄介オタクだとは思う)。
なんというか、アーティスト達の思考回路も人間なんだなと感じました。

時代によって、年齢によって、その時々の価値観によって、作り上げるものも変わる。考え方が変わる。
今現在の自分の価値観が一生ものではない。
自己分析、省察は永遠に続く。
それをデ・キリコ及びシュルレアリスト達にも感じました。

あまりにもエグいくらい人間だなあ……。人間の精神性って面白いよなあ。
歴史の面白さってこういうところにあるんだろうな。中学生の時の自分に教えてやりたいです。歴史めちゃくちゃ苦手だったので。


私は絵を描きませんが、美術品を見ていると文章の創作意欲が湧いてきます。不思議と。

次はどこへ行こうかな。
博物館や神社仏閣にも行きたいです。仏像とか見たい。


フォトスポットだったので撮りました
『不安を与えるミューズたち』大好きです


こちらも出口の先にあったフォトスポット
「デ・キリコ展」のフォントも良いですよね


開催期間長くて助かる
また来ます


行くことが難しい方にオススメの『デ・キリコ展公式図録』


余談。
デ・キリコは90歳まで生きたらしいんですけど、それ本当に凄いなと思いました。
当時90歳まで生きたという時点でもう凄いんですけど、勝手な偏見ですが(その割に結構確信に近いくらい信じていますが)創作者ってメンタル病みやすいと思うんですよ。
それなのに90歳まで生きた。凄くないですか?
大往生だったからこそ、様々なパターンの創作を行うことが出来たのかもしれませんね。
これで例えば30代で亡くなっていたら、彼の創作は30数年で完結してしまっていたのですから。

私もそのくらい生きたいものです。


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