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「成功できないのは全部努力不足のせいだ」と思っている

MBTI診断をたまにやります。
鵜呑みにするかどうかはともかく、自己分析の参考ツールとしてこういった診断を利用することは結構好きです。

いつかちゃんとMBTI診断について調べて、何かしら所感を書いてみようとは思っていますが、今回はかなり個人に寄った話をします。

見てくださる方の知識欲を満たすことが出来るような記事にはならないと思いますが、もし「自分は能力が平均に満たない」とか「自分はもっと努力しなければならない」とか「アイデンティティが揺らぎがちだ」という方がいらっしゃったら、ちらっとでも、参考程度にでも、覗いてみてくだされば。

それをどうにか治す(楽にする)方法は殆ど書けないので、しくじり先生的なアレとして。


自分の性格について自覚する

私は昔(年単位で昔)から何度やっても必ずINTJ-Tになります。変わった試しがない。しかも各々のステータスのパーセンテージがかなり極端に偏ったうえで。

自分でも「まあ、そうだろうな」と思う。

人との会話、とりわけ雑談が苦手だし。
計画通りに物事が動かないとかなり慌てるから、事前準備は必ずするし(旅行の計画とかしっかり決めたいタイプ)転ばぬ先の杖も複数用意するし。
物事を決断する際は感情よりも事実を重視するべきだと思っているし。
自分の能力に自信がないくせに成功願望だけは矢鱈とあるし。

この「自分の能力に自信がないくせに成功願望だけは矢鱈とある」部分、結構自分を苦しめている点です。

人生のあらゆるシーンでこの思考回路に陥りがち。
ここだけ書くと意味不明なので、具体例があったほうが分かりやすいですね。



同年代でこんなに頑張っている人がいるのにどうして自分はこんなに頑張れていないんだろうと思ったこと


「頑張る」ってかなり抽象的な言葉ですよね。
そりゃあ、辞書を引けば言語化はされていますけれど。
「努力する」とか「我慢してやり遂げる」とか「我を通す」とか、そういった意味合いを持つようですが、じゃあその努力って具体的にどの程度すれば努力と言えるの? 我慢するって何をどこまで?
きっと答えは「時と場合と人による」だと思います。柔軟性が必要な言葉。

それでも私は、この言葉に捕らわれている感覚があります。

友人が気が付いたら出世していたとか資格をとっていたとか、結婚していたとか子供が出来ていたとか、同じ業種で働いている同期がいつの間にか評価されて有名になっていたとか、そういう身近な話に対して「自分は出来ていないな……」と落ち込むことはよくある事だと思います。私もあります。

私が自分いい加減にしろ、と思うレベルで困っていることは、同年代の芸能人に対して嫉妬し劣等感を抱いてしまう事です。

私はかつて、好きな作品に出演しているとある声優さんに物凄く嫉妬したことがあります。
私はその声優さんと同年代で、最初は「似たような年齢の方が新人さんとして頑張っているんだ、凄いなあ」「私は役者じゃないけれど、私も自分のやりたいことで評価を貰いたい。頑張ろう」と思っていました。
素直に応援していて、所謂”推し”とまではいかなくても、出演作品が増えたらその作品を見に行ってみようとかそう思うくらいには。
ですが、徐々に徐々に、その方が評価を上げていくたびに、私の中には憧憬と共に嫉妬心が芽生え始めました。

ある日の事。
その方が役者として表現するものを見て、凄い、最高だ、この人は努力が出来ているうえにそれがきちんと成長に繋がっている。素晴らしい物を見せてもらった。嬉しい。あの方が出演するこの作品を見て良かった。
これは、今現在この瞬間にあの方が表現できる芸術の「最高到達点」だ。
そう思ったと同時に、こんな感情に支配されたんです。

「じゃあ、ここでこうしている私の価値は何なんだ?」

私は別名義で文章の創作活動をしています。
作品をインターネットで発表して、同人誌を出したりなんかもして、動画やSNSで宣伝したりとかもして。そんなことをしています。

文章を書く事は私にとっての存在証明です。
これがないと生きていけません。
仕事じゃなくていい、でもずっと書いていきたい。
そしてそれが評価に繋がれば嬉しい。
活動を続けていくうちに、私の作品を好きだと言っていただけたり、同人誌を出すたびに必ず買ってくださる方もいたり、ずっと創作して欲しいというありがたいお言葉を頂いたりなんかもしています。
私は幸せ者です。そのはずなんです。

それにも関わらず、私は自分の最高到達点を永遠に求め続けているんです。
そんな自分の活動の「今」を、その方の「今」と比較して、心がめちゃくちゃになりました。
もっと頑張らないと。
自分が満足できていないということはきっと自分は頑張れていない。
どこかで自分を甘やかしている、それで「私もああなりたい」と思うだなんて身の程知らずだ。せめて「私もああなりたい」と言っても怒られない程度にはしないと。
この感情をコントロールすることが出来ない。
お酒を飲んで、レッグカットをして、薬を1日の上限以上に飲んで、近所迷惑なくらいに泣いて、そんでまた「私は何をしているんだ」と自己嫌悪に陥るデフレスパイラル。

役者さんと私の同人活動ではステージが全く違う話なのに、馬鹿みたいですよね。本当に烏滸がましいですよ。
滑稽なことは分かっています。
とても醜い感情です。
分かっている。

それなのにどうしても、「私はああなれない」と思うと同時に、「私もああならないといけない」と思うんです。

長い時間をかけてその方と自分を比較することを辞めて、単なる1ファンとして居られる様に感情を抑えるように自分に頭の中でいちいち言い聞かせて、現在は上記の事があった当時よりはその方に対する感情値は落ち着いています。

それでもやっぱりゼロにすることはできなかった。
ふと嫉妬心と劣等感がちりつくことは今でもあります。
油断したらまた頭がおかしくなってしまうような感覚も残っています。

でも、それ以上に、こんな素敵な同年代の存在を知ることが出来て良かった、私も同じように努力していこう、という感情を先行させるように意識しています。
これが凄く難しいことで、時間はかかりました。嫉妬を覚え始めたのが約3年半前で、ようやく落ち着き始めたのが去年の夏頃だったかな。



強すぎる成功願望が自己嫌悪と混ざり合うとそれは人生を束縛する鎖にしかならない


メンタルやられている人、程度の差はあれど、こういう考え方になっているパターンが多いんじゃないかなと思っています。

そして薄らぼんやり自覚があるのですが、私はきっとどんなに出世してもどんなにお金を稼いでもどんなに資格を取ってもどんなに他人に認められても、私自身が私を認められなければ永遠にこの考えを変えられないのだろうと思います。

平均未満で良いからそれなりに生きていくだけなら、平凡に生きるだけなら、意外と平均とか数字とかどうでもよかったりするんですよね。
いや、そりゃあそれが重要になるシーンや意識する必要があるシーンもありますが。受験とか出世を目指すタイミングとか。
それでも「毎回毎シーン今後の人生永遠に必ずそれが絶対!!」というわけではないんですよね。

年齢を重ねることで、徐々に徐々に、何となく分かって来た……ような気が、ほんの少しだけ、します。

納得はまだいっていないけれど、理解は出来てきているような。

とりあえず今後は、自分がどうしてこのような性格なのか、という分析が出来たらいいなと思っています。



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