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「二人だけの読書会」とは?

マンツーマンの読書会とそのメリット


読書会という空気感

私は約2年に渡り、オンライン読書会を主催してきました。

読書会というのは、ハードルが高いと思われがちです。
実際に私の友人も、「読書会に参加してみたいけど、レベルの高い人たちの会話についていけるか心配」という声をいただいていました。
その友人は、読書が好きなので、「読書がお好きなら、読書会にも参加していただけますよ」と声掛けをしていたが結局、最後まで参加されなかったことについては、とても残念に思っていました。

ある時、読書会のメンバーの一人が『行動読書会』という読書会を主催されて、イベントとして立ち上がったのです。
その『行動読書会』に参加させていただいたとき、友人の「読書会に参加してみたいけど、レベルの高い人たちの会話についていけるか心配」という言葉を思い出しました。
『行動読書会』は、主催者一名と、参加者一名の計二名で開かれていました。
その中に私が入って、三名となったのですが、この中で話されている内容に私はたじろいだのです。
私以外の二名は、経営者と取締役という立場の人たちでした。
そんな立場の人だから、というわけではないですが、とにかくレベルが高く、何を話されているのか全く理解できません。題材は『夢をかなえるゾウ』という書籍について話されているのですが、その内容は会社の中の話となって具体化されたり、経営というものを俯瞰してみるために抽象化されたりして、会話を繰り広げている二人を、茫然自失となりながら見つめることしかできなかったのです。

自分自身で主催していた読書会に関しては、レベルが高いとは感じなかったものの、他人が主催している読書会はレベルが高いと感じてしまうものなのか、はたまた、本当にレベルが高いお二人なのか。
私には真実はわかりませんが、読書会に参加すると、レベルが高くて自分の自信を失ってしまうことは身にしみてわかった気がしました。

この教訓から、『二人だけの読書会』というものに目を向けるようになっていきます。
以前から、二人だけの読書会を開催していました。
それは、「3人以上の読書会では緊張してしまう」という読書家さんの要望により、二人で読書会を開始したことが始まりでした。
そして今では、2名の方と『二人だけの読書会』を開催しています。
そしてこれは、私にとっても実り多きイベントとなっていることは言うまでもありません。

尾崎さんの読書コンサル

「尾崎さんは読書コンサルのようなことはされていないのですか?」
というお問い合わせをいただきました。
先日のことです。

彼女も私の読書会に参加されていた方で、現在はオーストラリア在住。
学生ビザで滞在している立場であるため、語学学校に通っています。
日本を離れ、改めて母国語である日本語の奥ゆかしさを感じていくと同時に、もっと読書経験を積んで幅広い教養を身につけ、自分の軸をしっかり安定させたいという理由で、私に読書コンサルを依頼されたらしいのです。

「読書コンサルはしていませんが、現在2名の方と『二人だけの読書会』を開催させていただいています」
とお伝えすると、「いいですね!ぜひお願いしたします(^^)」とお返事をいただけました。
「読書経験を共有するって、すごく素敵な時間だと思います。また、同じ本を読んで、着眼点や感想が違ったりするのも不思議で面白いことです。ご負担にならない範囲で、そういう場を持てたら嬉しいです!」
と嬉しい言葉までいただくことができました。
彼女は3人目の、『二人だけの読書会』参加者となったのです。

こうした読書経験を共有するのは、本当に面白いことだと思います。
私も、読書会を開催して「一番の学びは何か?」と問われたら間違いなくこの『読書経験の共有』を上げるでしょう。
しかし、大人数での読書会では、この『読書経験の共有』が足を引っ張ることもあります。どういうことかというと、同じ本を読んでも着眼点や感想が違うことが当たり前であるはずなのに、それが当たり前ではなくなってしまうことが、大人数での読書会では起こってしまうのです。
自分が感想を言ったことに対して、多くの参加者から共感を得られればその時点では問題はありません。しかし、共感を得られなかったとき、もしくは多くの人の共感が自分ではない人の感想に向いてしまったとき、自分の中に疑問が芽生えてしまいます。
「私の意見には皆が共感しなかったのに、○○さんの感想に皆が共感を示した。つまり、私の感想よりも、○○さんの感想の方が正解なんだ」
という間違った考えまで浮かんでしまうでしょう。

当たり前だが、本の感想に正解も間違いもないのです。
人それぞれ、感想は感想。
たとえ○○さんの感想が、多くの人の共感を得られたからと言っても、それは「たまたま多くの人が一致した感想だった」だけです。
ただの『多数決』。感想は、感想であって、大多数の意見とか少数派の意見とか『数による優劣』を決める問題ではありません。

しかし、大人数が参加する読書会では、こうした現象が起こる。
これは致し方ないともいえます。
大人数が参加すれば、意見が分かれることは勿論ありますし、多くの人が共感する意見と、少数派の意見というものが出やすいことも事実であるからです。

こうした問題を解決し、それでいて読書会という効果を最大限に発揮できるスタイルとして、『二人だけの読書会』を開催しています。
二人だから、意見が食い違っても、感想が違っても、それを愉しめます。
悲観することもないし、自分の意見や感想に自信がなくなることもない。
対等に感想や意見を交わし、文字通り二倍の学びを得ることが、ムリなく可能になる。それが、『二人だけの読書会』の唯一であり、最大のメリットと言えるのではないでしょうか。

どうですか?
ニ人だけの読書会を体験してみたくなりましたよね。
「体験してみたい」という方は、ぜひともマンツーマンでの読書会に参加してみませんか?

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