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書評『なめらかな世界と、その敵』

僕が最初に伴名練を知ったのは、例の“一万文字メッセージ”。それは本書のあとがきにも収録されており、著者のことをまず知りたければ、真っ先に読むといい。

私の読書人生の始まりがとてつもなく幸福なものであったこと、90年代の後半を過ごした小学生にはあり得ないような幸運に支えられたものだった

一般に90年代はSF冬の時代と言われ、象徴的だと思うのが、本来はSFであるはずの瀬名秀明『パラサイト・イヴ』がホラー小説として宣伝されたことなど。“SF”とついていたら見向きがされない状況だったのだろう。ホラーと銘打つことで売るしかなかったのだ。(パラサイト・イヴはホラーでもあるんだけど…)

著者がそんな90年代に、偶然SFを読むことができたのはなんと僥倖なことだろうか。現在はアンソロジストとしても活躍しており、まず大森望氏との共編『2010年代SF傑作選』。次に『日本SFの臨界点』恋愛篇・怪奇篇(一万文字メッセで宣言していたのはこのアンソロジーのようです)さらにそのアンソロジーの中から、中井紀夫新城カズマ石黒逹昌の単独篇。これらは主に90年代に活躍した作家で、忘れられてはならない傑作を再び今の読者に紹介するものだ。最後に『新しい世界を生きるための14のSF』で新鋭作家の紹介もしている。著者はまだまだ紹介したい作家が大勢いるとのことで、今後の活躍はアンソロジストとしても作家としても大注目に値する存在だと思います。

かつてはいざ知らず、今ではアンソロジーを組むSF作家というものが皆無だ。なので、伴名練先生は現在、非常に珍しいポジションにいる人物で、こういう人物の存在こそが何より貴重だと思っています。

本作に収められている短編はほぼ全て同人誌で発表されたもので、そしてその全てがアンソロジーに採用されるという完成度を誇っています。僕自身は同人誌で注目されていた作家など知る由もなく、作者が本書で広く一般にデビューした時の、周りの盛り上がりっぷりをよく覚えています。


なめらかな世界と、その敵

あらすじ

乗覚を通じて、いくつもの並行世界に意識をジャンプさせることが可能な世界。女子高生の架橋はづきは、部活にバイト、新作ロールプレイングゲームを乗覚を乗り換えながら、一緒くたに楽しんでいた。そこに幼稚園からの幼馴染、厳島マコトが編入してくる。彼女は自己紹介で「必要がなければ私に近づかないでくれ」と一蹴する。その様子に、はづきは動揺するが、やがてマコトが事故によって乗覚障害を引き起こし、一生ほかの並行世界に意識を飛ばすことができないことを知る。それはマコトだけ人生が一度きりしか存在しないことを意味した。

感想

初っ端、主人公のいる場所が行をまたぐ一瞬で切り替わる文章に困惑した。教室で友達と喋っていたかと思ったら、次の行では並行世界を移動するそれっぽい描写もなしに、アルバイトに勤しんでいたりする。

この急激な視点の移り変わりが、目まぐるしい並行世界ジャンプを繰り返す日常を送る、彼女たちの感覚なのだ。“スマホの画面をスワイプするように”と喩えた人がいたが、まさにその感覚。嫌な現実に直面したとき、別の現実に逃避して生きる彼女たちは、スマートフォンであらゆるコミュニティやコンテンツを自在に移動するデジタルな遊牧民である我々の姿である。

そんな真面目な感想はこれまでにしておいて、まず最初に面白いと感じたのはさっきも言った通り、場所をポンポン飛んでいくという、SFでしかあり得ないような視点の置き方だ。これは単に並行世界というアイデアを表現するテクニックであるだけでなく、“語りの装置”にまで影響を及ぼす点が実にSF的な文芸なのだと思う。

数多くのSFが言語や叙述といった、器そのものというか小説という形式そのものとの格闘でもあるなと感じます。この前読んだベスター『虎よ、虎よ!』もタイポグラフィーを使った挑戦であるし、筒井康隆七瀬シリーズだとか。あげればキリがない。

著者自身は石黒逹晶の『雪女』が、SFという語りの装置に魅せられる瞬間だったそうです。グレッグ・イーガンなどと合わせて。

冒頭で引用されるのはR・A・ラファティ『町かどの穴』。並行世界ものだそうです。引用元ということかな。穴を介して並行世界とつながるというコメディらしく、初めは穴を介してつながるというオマージュ元に忠実な作品になる予定だったようなのですが、下永聖高の『三千世界』という短編とネタ被りしてしまったらしく、現在の意識だけ入れ替わる設定になったようです。
そしてもう一つ、ユエミチタカ『マルチヒロイン』。聞いたことないな、と思って調べてみたらマンガだった。マンガまで引用するのか……幅広い。

ゼロ年代の臨界点

こちらは架空の1900年代に日本SFが始まっていたらという、論文形式の小説。
それも中心となる人物は3人の女性である。多くの人が指摘するように、現実のSF黎明期の御三家といえば、星新一小松左京筒井康隆の3人で、男性作家が中心だ。それを女性を中心とした偽史として読み替えてみせ、ありえたかもしれないもう一つのSF史を提示して見せる。SFは現実世界の鏡でもあり、唯一の現実である僕らの世界を相対化して見せてくれる。現実には何がなくて、何がありすぎるのか。著者は現在、SFマガジンで『戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡』というエッセイを連載しており(こっちは本当のエッセイのようです)今まで存在さえ知らなかった作家たちに光を当ててゆく。この『ゼロ年代の臨界点』やその他の短編でも、著者の視点が常にもう一つの現実、もう一つの歴史に向けられていると感じる。

美亜羽に贈る拳銃

あらすじ
ナノマシンを用いたインプラント手術により、相手に“好意”を定着させられる技術、ウェディングナイフ。その技術を完成させた東亜脳外の北条美亜羽は、神冴脳寮医師連絡会の陰謀により、足を失い義足となる。彼女は陰謀の魔の手から逃れるために、神冴脳寮の神冴実継の養子になることに。しかし養子となった美亜羽は、医師連絡会との会合で脳にWKを打ち込み、自らの脳を破壊してしまう。実継の元に残されたのは、明晰で冷酷な頭脳を持った北条美亜羽ではなく、平凡な恋をする少女である神冴美亜羽だった。実継は彼女を元の人格に戻そうと試みるが……。

感想
本作は京都大学SF研究会の同人誌にて発表された、伊藤計劃氏へのトリビュート作品である。ちなみに『ひかりより速く、ゆるやかに』以外は全て同人誌にて発表された短編のようです。
他のSF作品の引用などが数多く、一つ一つの元ネタなどは卜部理玲のnoteで解説が披露されていて、閲覧はマスト。

作中にいわゆる“聖書”というものが出てくるのですが、私たちの世界の聖書と異なり、科学技術が発展した世界での人間についての教えや道徳が説かれている、つまりSF小説になっている。SFアンソロジーである。

読んでいて痛快だったのが、ラストの『ばぁん』。

俺の物語は、人間のアイデンティティに関わる思弁なんかじゃなかった。ただ、ある女性に好意を向けられていながら、心は別の女性に奪われている、ただそれだけの色恋沙汰だったんだ

グレッグ・イーガン伊藤計劃のナイーブな自意識の問題を吹き飛ばす解決だと受け取った。

ホーリーアイアンメイデン

あらすじ
戦中の日本、本庄琴枝と本庄鞠奈の二人の姉妹がいた。姉である鞠奈は、空襲に襲われ、防空壕の中で泣き喚いていた子供を抱き上げると、まるで魔法か何かのようにぴたりと子供の癇癪を鎮めてしまった。それから鞠奈姉は孤児院にも出向き、同じようにやんちゃな子供たちをたちまちのうちに鎮めてしまった。やがてその噂が“洗脳研”の宗像少佐の耳にも届き、鞠奈姉の恐ろしい力が明かになってゆく。

感想
書簡形式小説。伴名練氏は大正時代の少女小説である『花物語』からの影響を語っている。冒頭すでに死んでいる妹琴枝から手紙が届くというフックと、鞠奈姉の超能力のようなものの不気味さでぐいぐいと読ませる。インタビューでは世界を支配していく姉の動機が、ちゃんと本文中に記されているとのことです。想像よりも懐の深い作品なのかもしれない。

シンギュラリティ・ソビエト

あらすじ
米ソ冷戦下、アメリカ国民は固唾を飲んでテレビの中継を見守っていた。人類初の月面着陸は、ソヴィエト連邦との競争に決定的なアドバンテージをもたらす瞬間だからだ。しかし、意気揚々と着陸したアポロ11号とアームストロング船長が目にしたのは、自らが立てた星条旗が、槌と鎌の歯車のソビエト連邦旗に変わっていき、突如として現れた巨大なスターリン像だった。「我らソヴィエト人民の人工知能ー『ヴォジャノーイ』は技術的特異点テフノロギーチェスカヤ・シングリヤルノスチを突破した」米国は勝負に負け、新たな時代の幕が開けた。

感想
史実の冷戦下では、米ソで熾烈な宇宙開発競争が繰り広げられ、米国がアポロ11号を月面着陸させ、有人探査を成功させ、アメリカ国民の歓喜で終わる。本作ではそれを読みかえ、宇宙開発に邁進する米国を尻目に、ソ連は人工知能の開発を進めていたという筋書き。そしてシンギュラリティを達成したソ連のディストピア社会が描かれる。

人工知能博物館の学芸員ヴィーカが、もはや人智を超えたAIの下す命令に従って、米国から来たスパイを尋問していく中で、主人公の過去、AIの真の目的と、複数のパンチラインで読ませてくれる。ラストの展開は、拡大したSFっぽいテーマをミクロな人間同士のストーリーに着地させて完結させるので、読み味がすこぶるいい。難解なものにしたくないという作者の意志を感じる。

虚構の組み立ても見事で、それぞれソヴィエト市民に配られる拡張現実へのアクセス権、“労働者現実”、“党員現実”、“書記長現実”や、クローン再生された挙句量産されるレーニンとか、笑っちゃう。

そしてやっぱりこれも、もう一つの現実、もう一つの世界を描くSFになる。
あとがきでは、文庫化する際にロシアのウクライナ侵攻を受けて、いくつか書き改めた箇所があるという。ここらへんとてもナイーブで、自分の描く物語に対しての繊細な配慮が感じられる。それは『ひかりより速く、ゆるやかに』で表面化される問題意識でもあって、嘘がつきにくい、あるいは嘘がつきやすすぎる・・・・・・・という昨今の空気を感じる。スプートニクが発信する陰謀めいたプロパガンダを本気で信じる人たちからは、虚構が持つ性格の両義性を感じざるをえない。

冷戦SFはいくつかある中で、著者は東ドイツのSF『労働者階級の手にあるインターネット』が着想のもとだと明かす。

ひかりより速く、ゆるやかに

あらすじ
私立紀上高校の生徒を乗せ、修学旅行に向かった新幹線のぞみ123号は、突如として原因不明の“時間低速下”現象に見舞われる。窓の向こうに見えるのぞみ123号の乗客は、凍りついたかのごとく静止し、外部からの一切の干渉を拒んだ。運命の日、偶然にも修学旅行を欠席した二人の生徒、伏暮速希と薙原叉莉は、閉じ込められた同級生、檎穣天乃を巡り、残された者の絶望と葛藤を生きていく。

感想
実はこれを新幹線の帰り道で読んだというね、タイムリーというかプレイスリーな読書に。無事に低速下現象に襲われることなく帰路に着くことができたので、感想を書いています。本作は書き下ろし作品で、著者曰くその時代の“瞬間最大風速”を目指して書かれたものだそう。扱われるテーマが時事的で、僕はフィクションと現実の関係性を描いてみせる作品として諒解した。

たしか本書の文庫ではなく単行本の印税が、全額京都アニメーションに寄付されていた。2021年の藤本タツキ『ルックバック』が、京都アニメーション放火事件の犯人を彷彿とさせる描写をしていて、ジャンプ+で公開されたセリフが修正される自体となった。さらに2016年公開の『君の名は。』『シン・ゴジラ』ともに、震災をテーマにした内容で、『君の名は。』には少なからず批判があったのを覚えている。新海誠監督の現状最新作である『すずめの戸締まり』では、劇場内に、災害の描写が含まれる旨をあらかじめ忠告する案内板を立てていた。現実に起こった悲惨な出来事をフィクションに仕立てる行為の是非。

ハヤキがしたように、自身の絶望を物語ることで癒すというのは、何も今に始まったことではなくて、大昔から人間は虚構を通して現実を見ていたはずだ。戦後SFの始まりが、敗戦の挫折と原爆のトラウマで駆動されたように。ちょうど今、宇野常寛氏が『2020年代の想像力』を出版していて、虚構の価値は如何なものか…といったことを喋っているようなので、この小説もそういうシーンの一環として読めるのだろうか。気になる……。

余談ですが、主人公のハヤキは性別を特定されない書き方がされていて、男の子としても読めるし、女の子としても読めてしまう。なんだかあれだ、ポケモンの始まりで主人公の性別を選ぶみたいな、好きな方でプレイしてね!というようなことが読書で可能だとは思いもしなかった。

あと時間低速下って、タイムトラベルものみたいにジャンル化されてるんですね。真っ先にわかったのはティプトリー『故郷へ歩いた男』で、(ハヤキの叔父が持っていた小説という形で、直接オマージュ元を言及しているんだけど……『美亜へ贈る真珠』、『むかし、爆弾が落ちてきて』『化石の街』『旅人の憩い』『海を見る人』『暴走バス』『00:00:00:01pm』『ふるさとは時遠く』などなどといった感じで…)

まとめ

伴名練のアンソロジスト、紹介者としてのポジションが、今後ユニークな活躍を残してくれるだろうと思います。それは他の作家にはできない仕事だから。たくさん期待をかけたくなる。

一方作家としての伴名練は、『なめらかな世界と、その敵』『ゼロ年代の臨界点』『シンギュラリティ・ソヴィエト』における、もう一つの歴史、あり得たかもしれない歴史という視点の中に、僕は何か見出せると思う。アンソロジーで忘れられた作家(というとすごく失礼なのを承知で書きますが)を救済して、光を当てていくことが、正史ではない、もう一つの傍流に潜む想像力に価値を与えてゆく、あるいは等価値なものとして存在しているんだということを、熱烈に語っているのではないかと思った。何にせよ、“忘れられた名作”ほど悲しいものはない。次々に発掘して僕に教えてくれ、伴名練よ。

ドラマ作りに関しては、作者自身言及する“星新一イズム”、時代を特定しない書き方で、なおかつテクノロジーに偏重しない、間口の広い語りで万人に開かれている。基調にあるのは姉妹間の友情、恋愛ドラマで、オタク的でありながら初心者も入りやすい。クライマックスがばっちりキマってる作品が多い。

表紙の赤坂アカ先生のイラストが気になったら買ってみてください。そのくらいのライトな感じでオススメできます。


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