嘘じゃないもん。
私は中三の後期、田舎の中学の「生徒会長」だった。
ホントだよ?
生徒会選挙で、男の子の対抗馬がいたけれど大差で当選した。
「柊ちゃん、そりゃないぜ」と対抗馬の男子も笑ってしもうてた。
当時、女の子の生徒会長とは、相当めずらしかったのだけれど(なにせ田舎なのでね)、私はそのころかなりの優等生だったため(自分で言ってしまうほど)、「アリ」だった。
だから、ホントだって。
当時の生徒会のシステムとして、各委員会の委員長は、生徒会執行部となるためコチラから(生徒会から)「ご指名」できた。
私は、ここぞとばかり、仲良しの友達ばかりを任命した。普段、○○長とか引き受けたり任されたりしないような仲良しの友達を。
体育委員は、○○くんでー。(足速いし)
給食委員は、○○子でー。(給食好きやし)
図書委員は、○○○で。(たくさん本読むし)
保健委員は、〇〇さんで。(やさしいし)
と、集まってみたらすごい楽しいメンバーになってしまっていた。
もう、生徒会の日が楽しみすぎた。
昼休みにはいつも生徒会室で集まって、ポスターとかおたよりの原稿なんかを書きながらガヤガヤと溜まり場みたいになって。
生徒会顧問の先生も、「またおるんか〜」とちょいちょい覗いては見守ってくれていた。
さて、一応実績を記しておく。
後期、秋には「合唱祭」があった。
合唱委員が中心となってやるけれど、生徒会としても後期の大きな行事だ。会議もしっかりやっていた。
「例年、合唱祭には町の身体障害者施設〝サンライズヒル〟の方々をご招待しています」
と招待状の話をしていたのだけれど、
「ちょっと待って。身体障害者の方は、どうやって来てくださるの?」と聞いてみると、
「障害がある方々なので、代表で二名ほどが 車椅子送迎車で来てくださってます」
とのこと。
うーん。
「私たち中学生の方が動ける(フットワーク軽い)のに、来ていただくのはなんかおかしい気 がするのだけど…それも1、2名の方しかお招きできないのなら、こちらから伺うことはできないものですか?全校と言わず…。」
と、顧問の先生にかけあってみた。
中二では福祉の授業もあるから、それと絡めて一学年だけで施設へ慰問して、そこで合唱を披露することは可能かもしれない、と言ってくださった。
合唱祭の一環として、それも組んでもらえることになり、中二の子たちがある日の午後、〝サンライズヒル〟まで赴き、合唱を披露してきてくれた。福祉体験も同時に行われたようだ。その後何年か、それは続いたという。
ホントだよ?
卒業式の日、私は「答辞」を読んだ。
卒業生代表。生徒会長最後の大仕事。
寒い日で、凍えるだか緊張だかで、小刻みに震え、蛇腹折りの紙も「紙相撲」なみに震えていた。(西野カナも…いや、いいか。)
もちろん、例年の台詞を元に、アレンジを加えて自分で書いたのだったけれど、全く憶えていない。ただ、寒いのと緊張で、言葉に詰まった数秒間があった。その瞬間、一気にみんなが泣きはじめたことを憶えている。
柊ちゃんが泣いてる…。
泣いてしまって言葉に詰まってる…。
そこここで、すすり泣きが起こった。
みんながもらい泣きしだしたようだった。
先生も、保護者の方々まで、すすり泣く。
声が裏返ってしまっても、感極まって泣いてしまっていたように見えて、結果的に感動的ないい式だったとなった。
「柊が泣くからや~、もらい泣けたわ〜!」と、式後にたくさん言われた。
私は特に否定もせず、頭をポリポリとかいていた。ひとつも泣いておらず、寒さと極度の緊張のせいとは言わなかった。
そんな私だったけれど「生徒会長」だった。
友達もいまだに
「これが生徒会長だったんだからね〜」
と笑う。
ホントだもん。
嘘じゃないもん。
漫画で見る「生徒会長」とは、全然ちがったけれど。全然それっぽくなかったけれど。
ホントだもん。
ずいぶんと
「らしからぬ」生徒会長だったけども…。
ホントだもん。
嘘じゃないもん。
トトロだっているんだから、
私だって生徒会長だったことあるもん。
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