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藍を待つ。

人に習う、という機会は、歳を重ねるうち、減っているように思う。けれども、世の中まだまだ知らないことばかりなのだから、習うことは歓びだ。

「下絵付け」をさせていただいた。

普段、私のしている仕事は「上絵付け」というもので、釉薬で焼成の済んだ陶磁器の生地に、転写や絵の具で絵付けをしていくもの。
業務用洋食器などが大半で、飲食店やホテルのカップやプレートに転写を貼り、1日に150~200枚という地道なペースである。
熟練の職人の手描き絵付けとなると、高価な一品物となってくる。100年ほど前の額皿や花瓶が、アンティークショップのガラス戸の棚にひっそりと並んでいる。

「下絵付け」というと和陶といわれる、いわゆる伊万里焼や有田焼に代表されるような、和食膳に並ぶ丼や鉢、盛り皿などの藍色や赤絵の器に多い。素焼きの生地に、和絵の具で筆がきをする、釉薬の下に絵の入る「下絵付け」。

地元の六連房の登り窯のある工房へ、久しぶりに顔を出す。

たたら作りで置物を作っている方や、乾いた作品のヤスリがけをして絵付をされている方、工房にはめいめいに「創る人」が集う。
そこに、熟練の陶芸家や絵付職人の方々(私の母と同じ歳くらいの大先輩な方々)が、土の扱いから絵の具のお世話まで見て下さる。

「柊ちゃん、いつでも来てやってけよ」
と、声をかけて下さって、さっそくに。
「ロクロ教室」でお世話になって依頼、やりたいことがあれば、と声をかけて下さる。

素焼きの大皿を前に、かれこれ50年、下絵の絵描き職人の、小柄で笑顔の優しい村井さんに習う。

描きためていたスケッチブックから、蓮の絵の曼荼羅風なデザインを選ぶと、「へぇ素敵ねぇ」と言いながら、素焼き生地をロクロ台に乗せ、手回しで芯をとる。
トンッ トンッ トンッとリズミカルに。

私は、この芯取りがいまだできない。
ロクロを回転させながら、皿の中央と円心とを合わすのだけれど、この道50年の村井さんは、造作もなくトンットンッと出す。

芯が決まれば、鉛筆でスーと当たりを引いて、綺麗な円が皿に等間隔に引かれていく。
絵を置く目安になる。

村井さんにあたりをひいてもらう。

鉛筆で、あらかたの絵を描いていく。絵柄の配置、大きさ、を大まかにイメージして。

濡れ布で拭き取り具合を見ながら。

「呉須がええね、この絵はきっと」

「ゴス」とラベルの貼った容物の、群青色の和絵の具を掻き混ぜ、濃淡をみてもらう。

呉須 絵の具

試し描き用の素焼き皿に、筆の描き味や色味、線の味わいを試し描いて。
村井さんの筆の持ち方、滑らかなすーっとカーブを描くスピード、筆の表現に魅せられて、和陶の筆筋のかっこよさに昂る。粋だ。

書道のような「掠れ」や「払い」や「為」。

薄い絵の具で塗りを。
濃い絵の具で線を。

大きな器を左手に抱くようにして、筆のはこびやすい角度を取りながら。

濃淡を。強弱を。

「いい、いい、うまいうまい」

見られていると緊張するからと、はずしていた村井さんは、そっと来て褒めて下さる。

「筆使っとるだけあるわ、綺麗な筆や」

上絵付けと違う、素焼きのザラザラした面への筆のかかりは、和紙にも似て、なんとも気持ちよく。描いたそばから沁みゆく藍色に夢中になる。

はみ出るとか、ズレるとか、その筆まかせが手描きらしい味になる。

「好きに描いたらええよ、
   そのほうが面白いことになるで」 

緩やかな村井さんの絵筆の愉しみを教わる。

きっちり描いた原画デザインは雰囲気。
筆まかせの一筆ごとの表情が、描きながらとても楽しくて。二時間の瞬く間。

「もうあんたは教えんでも描けるで」

村井さんは、50年描き続け、いまだ現役で週に二日の仕事に、明日も行くのだと言う。

「描き手がおらんでクビにしてもらえんわ」

にわかに技術は育たず。
ドイツのマイスターでも10年の下積みを経て、晴れて一人前だというのだから。

描き方の説明に、木の机に鉛筆でつい描いた村井さんの筆跡はまるで、鉄板で文字を教えるもんじゃ焼きのように自由で。

習うことはたくさんあった。

釉をかけて九月の窯へ。


九月中旬、六連房の登り窯に火が入る。

呉須色を楽しみに待つ。



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