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そうでした、「嫁」でした。

義母ははへの電話を切って、少し気持ちが落ち着いた。

「かーちゃんが、御祝のお礼を私にもあっていいんじゃない?って言っとったぞ」
と、昨夜夫と話していて、「あぁしまった」とモヤモヤしていたのだ。

年始の挨拶に、夫の実家でお呼ばれをして、娘たちへもお年玉を、長女には成人の御祝をいただいていた。その場でお礼を言っていたのだけれど、その時に、義母は席をはずしていて、改めて、義母にもお礼を言うべきだったのに言わずに帰ってきてしまっていた。

「おかあさん、お気遣いいただいて
    ありがとうございました。」

きちんと目を見て、そう言えばよかった。

それから一晩、なんだか心がモヤモヤしてしまって、たまにしか会わないのに、いつも良くしてくれる義母の顔ばかり浮かんでしまう。夫は週に一度、実家で夕飯をいただいていて、野菜やお惣菜も持たせてくれて、娘たちも義母の「味ごはん」が大好きだ。

それに引き換え、「嫁」としての私は、とても「できて」いないなぁ、と胸が曇って。

こういう事は、ちゃんとしておかないと。

早起きの義母のことだから、もう起きているだろうけれど、早すぎても何事?と心配するといけないと、8時をまわるまで待っていた。

「おかあさん、お正月はありがとうございました。お呼ばれしっぱなしでごめんなさい。御祝も、せっかくお気遣いいただいたのに、きちんとお礼を言わなくてごめんなさい。」

と、小学生みたいな謝り方になってしまう。
スマートに、大人な礼儀とは程遠い自分が、ほとほと情けないのだけれど、それでも
「ごめんなさい」と「ありがとう」がきちんと言えただけで、心が落ち着いていった。

「ばかな、ばかな、ええよ、ええよ」

と、義母は電話口で笑って優しかった。
モヤモヤがとけていった。

                                     

                               𖤣𖠿𖤣𖤣𖠿𖤣𖤣𖠿𖤣

夫の実家で、家族みんなでゆっくり集まるのは年始くらいで、たまの義父の病院の送迎くらいしか会わないから、私は自分の立場をうっかり忘れてしまう。
(うっかりしてちゃダメなんだけど)


私は「嫁」なのだ。

夫は私よりも10歳年上で、両親も私の両親よりも10歳ほど年上で、80歳代の義父と義母は「昔ながらの」考え方や立ち居振る舞いを常としている。(長女が産まれたころ、夫が娘の紙オムツをかえる姿を、義母は目をまん丸くして見ていた。)

そんな義母に、この「嫁」だ。
きっと、いろいろなことに「想像の上をいく」ような、「今の若い人は」と思うこともたくさんあるだろうのに、そっとしておいてくれている。いわゆる世間の「嫁」像には、とうていそぐわない私…。

気をつけよう。
スマートに、大人の礼儀をさりげなくできるように、気遣いのできる人になりたい。

「嫁」であり、「大人」なんだから。

こっそりひっそり、
「大人」になろう。

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