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やっぱり紙が好き。


たぶん、私は紙が好きだ。
本を読むことも好きだし、絵を描くことも好きで、つまりは紙が好き。

最近のこどもたちは、タブレット授業がはじまっていて、多くのことをデジタルですませている。
学校のおたよりも、各親御さんのスマートフォンへメルマガでお知らせがくるようになっている。

そんな中、たまに、国語の先生が書いた紙のおたよりをもらってきたりすると、私は嬉しくなってしまうのだ。手書き文字で、モクモク雲みたいな枠で囲ってあったり、吹き出しがついていたりするのを見ると、ほっこりしてしまう。パソコンで打った文字を見慣れている中、手書き文字に表れる先生の人柄なんかを感じ取ってしまう。きっと真面目で、穏やかな先生なんだろう、と思ってしまう。

世の中、スマートフォンでメイルやメッセージを送り合い、遠く離れた友人ができたりするようになった。私にも、SNSを通じて趣味や興味の合う心を通わせる友人がいるのだけれど、彼女とは紙のお手紙をやり取りするようになった。
便箋を買ってきて、文字を綴る。内容は、これといってあらたまったものではないけれど、友人は今こうして私が手紙を書いている時間はどうしているかな?この手紙が届いて読むときの友人の顔や表情を思いながら。
漢字が出てこなかったり、字を間違えてしまったりしながら(最初から新しい便箋に書き直したり、修正テープで直したり)、丁寧な文字を連ねてゆく。これでよし、と封をして、切手を貼って、ポストへ入れるころには、彼女が郵便受けにこの手紙を見つけたときの顔を思い浮かべているのだ。にこにこしながら、お手紙届いたよ、のしらせを数日待つ。
 
またある日は、我が家の郵便受けにレターパックが届いているのを見つけ、わぁとなる。
わぁ、お手紙だ。
彼女からのお手紙には、キーホルダーだったり、見つけたかわいいシールだったり、綺麗な包装紙だったりオマケがたくさん入っている。好きそうだと思って思わず買ってしまったの、とか、綺麗な模様だから気に入ると思って、とか、その一つ一つに付箋で一言貼ってあったりする。そして、普段はSNSでのやり取りなので活字なのだけれど、彼女直筆の文字たちに人柄や感情があふれている。お手紙って楽しい。少しだけ時差があるのがまた、小さなタイムカプセルを開けるようでワクワクする。この手紙を書いた時はたしか、とさかのぼってほっこりする。

先日ニュースで、デジタル教科書について小学生がインタビューに応えているのを見た。
「紙の教科書は重いし、いちいちめくるのが面倒だからタブレットでいいと思う」
と話していた。紙の好きな私は、それを聞いて悲しくなってしまった。なんか寂しくなってしまった。
新学期に配られる新しい教科書、ピンピンの紙、ペリペリと剥がすくらい重なったページ。大事なページは端っこ折っておいたり、挿絵に落書きしたりしていた紙の教科書。
算数の教科書だけサイズが小さくて、ドリルも縦長で、ランドセルの中で納まりが悪いのが気に入らなかったけれど。
たしかに紙の教科書は嵩張るし重いものね。
ただね、「めくるの面倒」はさみしい。私がデジタル書籍にどうにも手を出せずにいるのは、おそらくそこで。
めくりたい、のです。
ページをパラパラと、あるいはゆっくりと、ページをめくっていきたいのです。
フワッと本の匂いがして、次のページにいくのがいいじゃない、と思うのです。辞書なんて、ページをペラッペラッとめくっている時とか、いかにも勉強してます感がカッコイイじゃないの、と思うのです。(めくりやすい紙の薄さがまたいい)
めくってなんぼじゃないの、とまで思ってしまう私は、どうやら本格的に紙が好きなんでしょう。
いろんなことがデジタルで便利になって、ペーパレス化していく中、紙の使用量はやはり減っているのだろうな、と調べてみたところ、あまり減ってはいないとのこと。デジタルへ移行していくのにだいぶコストがかかるので、なかなか簡単には進まない、ということらしい。

そうか、と胸をなでおろす。
紙はまだ、なくなってしまわない。


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