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心の声に、正直に。

こんにちは。
最近悩んでいた事がありまして。
これは割と僕にとっては大事件だった訳で。
それは

「写真撮るのが、全く面白くない」

という事なんです。
何を撮っても熱くなれないし、これだ!っていう写真も全く撮れない。むしろ、早く撮影終わらないかなと思うほど。
写真を生業にしているから本来はこんな事を言ったらダメなんでしょうけど、でもそういう時期って誰しもが通過するし、仕事が嫌だから転職するし、何も恥ずかしい事じゃないと思っています。今から書かせて頂くのは
今までの僕の人生の一部と、何だかよく分からないけど元気の出そうな言葉なので暖かく見てあげてください。

僕は20歳の時に、母にPENTAXのカメラをお祝いで頂いた事がきっかけでプロの道に進もうと決めました。
カメラを手に持った時は、何だか自分が本物のアーティストになったような気分で、毎日色々なものをテーマに写真を撮りまくって、本屋とネットで技術を覚えては実践して、本来受講しなければいけない大学の授業をほったらかしてPhotoshopとIllustratorの勉強、他学部の広報学部の授業に乱入しては色々な情報を手に入れてきました。当時貧乏だった僕は、やっとの思いで稼いだお金でギャラリーに出展してみたり、遠征して写真を撮りに行ってみたり、もう集中したら周りが見えないタイプだし、周りの友人はみんな同じスーツ髪型で就職活動を必死にやっているし…正直心の中はめちゃくちゃビクビクしてて、俺本当にプロなれるの?って自問自答しすぎていたような気がします。結果、プロになっちゃったけど。

そして大学を卒業後アシスタントとして1年半バイトの日々。最初の半年は、朝10時に出社して、撮影が何もなければ18時にタイムカードを切ったらすぐにその日見た先輩カメラマンたちのライティングを自分一人で再現して納得したら帰る、という生活。残りの1年は、カメラマンチームのボスの元で朝5時起きで撮影の同行(朝のお迎え→運転→撮影→打ち合わせ→夜呑みとかご飯→家まで送迎→スタジオで次の日の準備をする→帰宅)で深夜2時寝という生活。休みの日は友達の誘いをほぼ全部断って撮影の練習と、自分が独立した時の事を見越して作品撮りの日々。自分のスキルが上がっていく感覚は一切なかった上に、大学時代に付き合ってた彼女にフラれたショックといつまで経っても貯まらない貯金のストレス、そして何より友達からの誘いが無くなっていくのが何よりも苦痛でした。

とまぁ、そんなこんなでアシスタント時代を掘り下げるともっと色々な事があったけど、2011年7月に独立の道へ。最初の1ヶ月目は順調でした。アシスタント時代にお世話になった会社さんから仕事の依頼がきて、奮闘した新潟のお酒工場の仕事。その為に買ったカメラcanon 7D。他にも何かと仕事の依頼が舞い込んできて、結果的に「コレいけるじゃん!」と思った束の間、2ヶ月目は家賃45000円すら払えないほどの稼ぎに。やばいと思って必死に営業活動をしても、結局誰からも助けてもらえず無一文に。
人って面白いんですよね。やばい…どうしよう…っていう現実に直面するほど逃げたくなるんですよ。もう、全くの無気力。(笑)
営業もせず、家で引きこもってゲームの日々。今だから言えるけど家賃も1年半滞納してたし、たまに入る仕事のギャラも全部先行投資という名で機材買っちゃうし、ペット不可なのにうさぎと犬飼っちゃうし、親から多額の借金するし…癒されたいから元カノに連絡しては自分勝手な自慢話をする日々。

あぁ、クズだな(笑)

書きながらイライラしてきた。とまぁ、その他諸々クズ人生を歩んでいた訳ですよ。そんな時出会ったのがウェディングフォト。
東京店と横浜店でカメラマンを募集していて、迷わず横浜店へ。だって
「カメラマン=東京」みたいなイメージありますよね。ということは、何のスキルを持たない当時の僕が東京に行ったところで絶対仕事が回ってこないのは明確です。人数も少なそうだし、ちょっと頑張ればたくさん稼げるんじゃないかな、という浅はかな気持ちで面接へ。
そこで出会った2人が僕の人生を大きく変えてくれた訳で、その話は長くなる&僕の不祥事だらけなのでまた後日。
といこうとで、もうガムシャラに頑張って、デビューして自分一人で撮影に行かせてもらえるようになって、そしてお客様から指名をたくさん頂けるようになって、たくさんの先輩方に叱咤激励を頂く有難い日々。そんな環境に甘え続ける事をしたくなかったので、もっと高みを目指す為に次のステップへ。

次のステップでは今まで知らなかったグローバルな視点と価値観を多く学ぶことができているし、常に新しい事にチャレンジできる環境なので、それはもう刺激的な日々の連続。自分のブランド(企業案件とかポートレート)も立ち上げて、少しずつ成長させています。
こちらは現在進行形なので諸々割愛。

そんな、写真だけに全部を注ぎ込んだ日々を過ごしてきた20代が終わり、30代に入った途端、急に糸が切れたような感覚に襲われました。
もう、どんな撮影をしても面白くないと思うようになってしまったのです。原因はわかりませんが、多分走り続けることに疲れちゃったのでしょう。情熱が無くなった訳でもなく、好きじゃなくなった訳でもなく、ただただ疲弊してしまったのだと。だから僕は、ここ1ヶ月はずっと写真のことはなるべく考えないようにしてきました。何か体を動かせる趣味を見つけてリフレッシュしようと決めて、そんな時に出会った、ずっと乗ってなかった親父のルイガノのクロスバイク。ちゃんと走れる状態に整備して、湖畔沿いをサイクリングしたり毎日10km以上は乗るようにする生活をしていました。自然と共存するスポーツって、良いんですよね。風をダイレクトに感じる事ができるし、長い坂を登りきってから見える景色の素晴らしさや、葉っぱが重なる音、動物の声、呼吸する事。ん?結局走ってる事には変わりない…(笑)

とまぁ、そんなこんなで今日という日を迎えているのですが、苦難を乗り越える時に必ず助けられている言葉がありまして。

夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。
by 高橋歩


ずっとこの言葉に助けて貰ってるんですよね。もうこれは理論とかじゃなく真理だと思っていて、結局自分が動くかどうかの話。至ってシンプル。
そんな偉大な言葉と高橋歩さんにめちゃくちゃ感謝してて、今度飲み会やるからって事で行く事になったんですよ。嫁とディズニー行く約束だったけど、ずっと尊敬している人だったから、どうにかこうにか説得しました。(嫁、本当にごめんなさい…旦那、頑張って勉強してくる!)
そのきっかけを作ってくれたのは、先ほどお話したウェディングフォトを始めるきっかけになった横浜店の元ボスのおかげで、つい最近まで「写真撮るのが全く面白くない」と悩んでいた気持ちが本当にどこか遠くに飛んで行ってしまいました。

単純。(笑)

でも、大抵の悩みってそういうモノだと思うんです。現状の自分にワクワクしていなかったり、刺激がなくなって疲弊するだけの日々に追われていたり、年を重ねるごとに積み重なる小さなプライドにしがみ付いているだけだったり。

誰かの為に何かできないかってウジウジするのはカッコいいけど、行動していないのにウジウジするのが一番ダサいんですよ。自分の事が嫌いな人の事を、無理して好きにならなくたっていいし、やりたくないことは全力で拒否してもいいと思うし。だって自分の人生1度きりだし。

ということで、僕は今回も高橋歩さんに助けられました。
過去でもなく未来でもない。とにかく今を生きて頑張ろう!

よし、自転車を漕いでこよっ


今後の活動やプロジェクトに活用させて頂きます。ありがとうございます!