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私と彼らとその他の記録

その話の流れで、
その時、これ言えないことだったと数秒立ち止まったものの
その話の流れで、その話の肝となるそれは避けられない必須なポイントだったので
会社の同僚に
自分がもう、息子が生まれてこのかた18年くらい、
ずっとこうやって子育て(もう終わりかけている)ブログを書いていることを言ってしまう。
頭のいい空気が読める彼女はその部分をさらっとスルーしてくれるが

ああ、、とうとう、、今毎日接している会社の人に言ってしまった
「やってしまった感」で、どきどきした。

この18年くらいの、私と子らとその他の(小説とか音楽とか出会いとか)大切な記録をあらためてめくってみる。


「どうせ死ぬ」とポジティブに思っている。

ここにいる人たち、ここにいない人たちも
もう人間全員いずれ100%死ぬ人たち って思っている。
それはちょっと優しい気持ちにさせもする。
なぜか朝、会社に向かって運転している時によくそれを思う。

死ぬのは痛いし苦しいんだろうって想像している。
どうせ痛いし苦しいんだろうって。

なので
死ぬのめちゃめちゃ怖すぎるのに
それでも生きている人間のメンタルは凄すぎないか?めちゃ強くないか?
どうなっているのか?と朝、運転しながら考える。

なんで、人間が「絶対死ぬ」って知っていて、生きていられるのか不思議だが、
「怖すぎるのでそのことはいったん考えないようにする」という機能はあるみたいで
明日も生きるという強い仮定で、明日以降の情報を得ている。
天気とかさ・・・

あと1週間だけ、自分と自分の周りの人間が全員健康であってくれればいい
1週間後、雪が降らなければいい
1週間後、無事に会場に入れたらいい
私は自分が生きるということを信じていて、周りが健康でいてくれることを願い
セブチが最高のコンディションでステージに立ってくれることだけを願い
そして、今今、自分が目指しているところは、そのライブなので
そこに集中したいがために、
会社では1分1秒でも時間が惜しい感じでめちゃめちゃ仕事をしている。

毎日踊っていたのに、ここにきて、右膝が正座できないくらいに痛んでしまい、そんなに踊れなくてストレスだし、
なんでか睡眠時間が確保できなくて、3時間~4時間とかで、
そういうのも要領悪くって、自分にいらってするし

でもその一方で、充実もしている。
実はいろんな場面で、生きててよかった って思っている。

どうせ死ぬ のに 生きていけている強さは
死にたくないという生き物としての本能と、
ちょっとだけ先の希望があること。
と、その連続なのかも。

多分、そういうことを、私はこんな形でこっそり書いている。

私と息子と娘とその他の大切な記憶。
どうせ死ぬ私たちの 過去になっていく時間たち。

ちょっとだけ先の希望があること
それが大切な過去になり、どんどん積み重なっていくこと。
そんなので どうせ死ぬ人間たちは、今生きられる んだと思う。

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