唐物の流行


金沢貞顕の手紙にみる喫茶

鎌倉幕府の黙認のもと、中国の宋と民間の自由貿易によって中国の文物が大量に日本に運び込まれた。それらを「唐物」といい、唐物は喫茶にも使われるようになった。

鎌倉幕府執権の金沢貞顕の手紙には、喫茶関係の記載が多く見られる。

「鎌倉中に唐物があふれている」
「唐物を披露してください、拝見したいと思います」
「唐物を使った茶が流行っています、いよいよ流行するでしょうから、そのような道具も用意してください」

金沢文庫古文書

鎌倉には、書籍、香料、薬品、織物、唐墨、硯、筆なども流入していた。

沈没船の唐物

中国から朝鮮半島に立ち寄り、日本に向かう途中、新安(大韓民国南西部)沖で沈没した洋帆船の調査(1967)では、以下のものが引き揚げられた。

唐〜元代の銅銭 28トン・800万枚
中国陶磁器2万点
高麗青磁
古瀬戸瓶
木製の下駄
元年号の荷札「至治三年(1323)6月1日」
宋代龍泉窯の青磁鯱耳花入
青磁袴腰香炉
元代黒釉擂座茶入
茶壺
建窯禾目天目

当時、中国陶磁器や茶の湯の道具が大量に輸入されていたことがわかる。


参考文献
茶道文化検定事務局編『茶の湯を学ぶ本』2021、淡交社。

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