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絵画解説:「The young Napoleon Bonaparte studying」

 絵画の語り口として、大きく分けて二つあると僕は思う。
 一つはその絵画を描いた作者について。当人が有名であればあるほど、紙面上で絵画自体の特徴に触れる余地が減っていく。

 もう一方は、描かれた題材(景色・テーマ・人物)が有名な場合。この場合だと、むしろ描いた作者があまり知られていない事が多々ある。
 さて、今回扱う絵画はこの後者―――すなわち題材が有名で、作者が日本では無名―――に該当するのだが、それでもなかなか特殊なケースであることを前もって言っておきたい。
 
 今回扱う絵の題材は、ナポレオン・ボナパルト。フランス革命を切り口に、彼の劇的な人生は始まり、偉人といえば彼を思い浮かべる方も多いはず。僕も好きな歴史上の人物のひとりだ。

ダヴィッド『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト
Wikipediaより

 では、今からみていく絵画の何が特殊なのかというと、ずばり作者だけでなく、この絵自体も有名ではない点である。
 この絵を知るきっかけは、ナポレオンというキーワードの他には一切ない。
 ナポレオンといえば、上記の絵が代名詞なので、今から紹介する絵に出会うきっかけがそもそも無い。
 しかも、この絵は近代になって挿絵として誕生したために、史料性もやや劣る感があるのだ。
 では紹介しよう、今回の絵画は「1780年頃、フランスのブリエンヌ・ル・シャトーの陸軍士官学校で学ぶ若きナポレオン・ボナパルト」。

Wikipedia(仏版)より。

 この絵に僕自身が出会ったのは、ナポレオンについて書かれた新書の中で引用されていたから。確か岩波新書だった気がする。
 珍しく図書館本だったので、手元には無い。いや、無いからこそ、よりこの絵の印象が深まったのかもしれない。ナポレオンも“このように”勉強していたのかという感慨。

 邦題にあるように、ここに登場しているのは若き日のナポレオン。
 彼はこの時期から、凄まじい読書量によって教養を深め、後に天下を率いる才能を育んだとされる。
 事実、彼の業績は将軍・皇帝としてのみならず、文人として、あるいは「ナポレオン法典」の成立によっても認められる。
 そんな彼の夜通し学ぶ姿がランプの光にあたったとき、かくも偉大なる成熟したオーラというべきものが、既にヨーロッパの地図の上にさしているではないか。

 彼は士官学校で砲兵科へ進んだことから、定規や計算のあとも見られる。騎兵などと比べても、砲兵科は決してエリートコースではない。
 だが、虎視眈々と覇権を目論む姿勢は、その後の昇進を感じずにはいられない。
 光が下方から当たっていることで、目元に陰りがあり、静かな学習の場にも、どこか緊張感が漂うようだ。

 このように、単なる肖像画ではなく、挿絵であればこそ、その人となりやその後の生涯をできるだけ多く表現しようとする工夫がゆるされる。
 
 ちなみにこの絵を描いたのはジャック・オンフロワ・ド・ブレヴィル(1858年11月25日 - 1931年9月15日)というフランスの画家らしい。ヨブという名称で表記されていることが多い。
 なんと彼は、「レジオン・ドヌール勲章」の騎士に叙されているようだ。
 フランスで非常に名誉ある勲章であるが、その制度をはじめたのもまた、ナポレオンなのである。
 ナポレオンを描き、その題材ナポレオンによって歴史に自らの名を書かれた人物といえる。

この勲章はナポレオン・ボナパルトによって1802年の5月19日に創設されたものであり、平時戦時に軍人や文化・科学・産業・商業・創作活動などの分野における民間人の「卓越した功績」を表彰することを目的としています。

HP「在日フランス大使館」
レジオン・ドヌール勲章

 ナポレオンの何が人を惹きつけるのか。それはこの絵にもあるように、絶え間ない努力の末に、文字通り頂点を極めたからである。
 彼は優秀なる指揮官であると同時に前線に立つ兵士でもあり、政治家であると同時に文筆家でもあった。

 ちなみに余談だが、ナポレオンは「ジェネラリスト」として、軍の一切を統括する権限と才能を持ち合わせ、その天才的手腕でヨーロッパを支配した。
 それに対抗すべく、ドイツで誕生したスタッフとラインというシステム。これこそ歴史に名高い「ドイツ参謀本部」の始まりなのであった。
 ナポレオンが質、それも最高峰の良質でもって戦うからこそ、情報と軍の確実な運営を目論む。軍において「スペシャリスト」が生まれだしたのは、ナポレオンという強敵がいたからこそ。

 話をナポレオン自身に戻そう。
 歴史文化への造詣の深さが、ナポレオンをしてロゼッタストーンを持ち帰らせ、それをもとに学者シャンポリオンが解読に成功。
 今日、我々は古代エジプト文明の神聖文字ヒエログリフが何たるかを知る。

ジャン・レオン・ジェローム
スフィンクスの前のボナパルト
同じく仏版Wikipediaより

 そしてまた一切を失い、流罪となる悲劇が、その人生を劇的に映す。
 晩年、彼が所有できた最高の財産は、ナポレオンという誰もが知るその名に他ならない。
 まさしく栄光と悲劇の人生は、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の再来であり、以降、人々はそういった人生モデルを、カエサルではなくナポレオンのようだ、と言い換えることもあったことだろう。

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