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何を間違ったそれさえもわからないんだ浪人、浪人。

言ってみたかっただけで、実際は今のところ自分の選択が間違っていたとは言い切れない。
大学受験を現役でクリアするということだけに焦点を当ててみれば間違えたことはいくつか挙げられる。頑なに塾に行かなかったことだ。ifルートの妄想でしかないけど、多分塾に通っていたら中堅の大学くらいは受かっていただろう。少なくとも今みたいに、出願さえしないという状況にはなっていなかったはずだ。

とは言え少し長い目で見れば塾に行かなかったことは良い選択だったと思える。私は自分が本当は何がしたいかなど考えず理系に行ってしまったので、そのまま大学も理系に行っていれば、大学生の時に困っていたかもしれないから。ちゃんと自分で何がしたいかを自問し、答えを出せたのは有意義であった。
まあ、ここでの反省点を挙げるなら、自分は腰が重くて考えきるまで動けなかったけど、本当は動きながら考えるのが一番良かった。難しいことだけど。
この動きながら考えるということに関しては、とりあえず動くことが肝要。動きながら考えるぞ!って意気込んで始めるのではなく、とりあえず動いてみる。そうしたら、自然と思考が手に乗っかってくる感覚になる。

「自分のことは自分で考える」を一番大事なモットーにしてきたから、スロースタートで浪人してしまったことは仕方ないと思っている。むしろこれで良かったとも思う。


ところで、浪人とは激ヤバな時期だと思える。
産まれてから程なくして保育園へ行き、その後は幼稚園に3年間、小学校に6年間、中学と高校に6年間通って、いま18歳となる。いわば、1歳以来の「無所属」と言える。私はこれから1年間、無所属…………!

無所属ってヤバいな。いや、もしかして「浪人」に帰属しているのか? どういうこと?
これは予想だけど、1歳までの記憶がなかったのと同様に、浪人も適当に過ごしていたらすぐ夏になって冬になって結局志望校落として終わりになっちゃうかもしれない。
それだけは避けたい。避けたいので、とにかくこの時期はもう、遊びまくろう。ていうか遊びまくり勉強しまくりにしよう。しまくりの1年。

これは最近気づいたことなんだけど、「こうならないようにしよう」という制限より、「ああなるためにこうしよう」という解放のほうが、結果的に「やりたくないけどやってしまうこと」の制限に繋がるんだなって思った。やりたいことが多ければ、自然選択みたいに自分の本当にやりたいことだけが最終的に残っていく、みたいなイメージ。だから無制限でやりまくるのが、良い。

そのためには、お金が必要かな〜〜〜〜。
もう高校も卒業することだし、行動の幅広げてマジでアクティブになんでもやりまくろう。1週間のやりたいことリストとか作ってみるか。

最近夢にクラスメイトが出てくるようになったんだけど、既にホームシックならぬスクールシックになっている可能性がある。冬の渡り廊下、渡りたいよ〜〜〜!

お疲れ様!

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