短編小説:ヘッドセット・ゲームキッズ
23時。決闘の舞台は、ダークシティの片隅にある路地裏だった。殺し合う二人は共に人外の技を使っている。一方は掌から黒い気弾を放ち、一方は肉食獣よりしなやかに動く。二人とも、素手だった。
気弾を放つ男――黒いスーツを着た大男は、ギミー・デンジャーという名で知られていた。ファイターの中でも屈指のパワーを持ち、一度相手を捕まえれば、それですべてを終わらせることもできる。しかし、彼はいま、劣勢だった。
相手は、赤いチャイナ服を着た少女だった。彼女はギミー・デンジャーが気弾を放つと同時に、前方に向かって高く跳んだ。その時、ギミー・デンジャーは死を予感した。少女は気弾を飛び越え、ギミー・デンジャーの頭部に向けて、空中から踵落としを放った。防御が間に合わない。
ヒット。攻撃で、ギミー・デンジャーの動きが硬直した。着地して、少女――サッドネスは、連続技を叩きこんだ。蹴りから、殴打、そしてもう一度蹴りで上空に打ち上げ――ギミー・デンジャーを指さし、超必殺技”インフィニット・サッドネス”を放った。
赤く輝く光の線が、螺旋の軌道を描いて上空のギミー・デンジャーを貫く。それが、決着だった。
試合が終わると、ギャラリーから歓声が上がった。猫町祐也はおなじみの悔しさを感じながら、PCモニターの隣に置いていたお茶を飲んだ。5試合先取の試合、2-5で負けた。
画面の中には、対戦部屋の待合室が映っている。様々なファッションをした、11人のプレイヤー。祐也は”猫”と名乗っていた。祐也のアバターは19歳くらいの少年だった。パーカーに、ヘッドフォンを首にかけ、髪の色は金色。現実世界の自分に似せた格好だ。
頭部に装着したヘッドセットの向こうから、彼らの声が聞こえる。
「何気に好カードなんだよな、猫さんとレザさん」
「実力拮抗してるよね」
「マスター同士の戦いは観てて楽しいですわ」
雑談。祐也は会話に参加することなく、頬杖を突きながら画面を眺めている。
「でも最近は――」よく通る女性の声を聞いて、祐也は顔を画面に近づけた。「あたしの方が勝ち越してるよ。たぶん6-4くらいの実力差はあるね」
「おお、言うねー」
「ん、実際どうだっけ? 前回10先した時のログ――」
「6-4はない」祐也は発言した。「まじでない。なんなら、もう一回やって証明してもいい」
「うぃーぴぴー」
「やる気勢だなー」
「あ、でもレザさんは……」
「そうなんです。ごめんなさいですが」彼女は言った。「疲れたし、明日は病院行かなきゃいけないから、あたしもう落ちるわ」
「勝ち逃げか?」
祐也は言った。
「ごめんね、また明日な」
「明日――」
そこまで言った時、彼女はボイスチャットから退出した。合わせて、ゲーム内のアバターもログアウトした。
二秒後、雑談が再開した。祐也はしばらく会話を聞き流していた。
「俺も、落ちます」
祐也は会話の隙を見つけて言った。
「お疲れ~」
「おやすみなさい」
ゲームからログアウトし、ボイスチャットから退出した。
「……」
ヘッドセットを外し、息を吐いた。
「6-4はねえよ」
PCの電源を落とす。時刻は23時半。
明日は月曜日。彼はベッドに入ると、一日を終わらせた。
診察の予約時間は9時半だが、もう一時間も待っている。いつものことだ。犬飼玲は待合室の座椅子に座りながら、携帯を眺めていた。チャットアプリのテキストチャンネルで、コミュニティの連中が雑談している。玲は流し読みしたあと、適当にどうでもいいことを書きこんだ。
書き込みを終えると、携帯の画面を消し、鞄に入れた。――昨夜は長時間対戦してしまった。反動で、今朝は身体と頭が怠い……。
診察室のモニターに、番号が表示された。102番。玲の番号だった。彼女は診察室へ入った。
「犬飼玲です」
診察室に入る時は、名前を言う決まりになっている。
「おはようございます、犬飼さん」
精神科医が言った。眼鏡をかけた、30代の男性である。玲は向かいの椅子に座り、鞄を荷物入れに入れた。
「具合はどうですか?」
精神科医が言った。いつもの台詞。
「良くなっていると思います、たぶん」玲は言った。これもいつもの台詞。「思考も前よりは働くようになったし。でも、あれ……昨日ちょっと頑張って、その反動で今日、すごく疲れてます。そういうことが多いです」
「なるほど……、反動が来てしまうのは、そういう病気ですからね。そこは、どうにかやり過ごすしかないと思います」
「そうですよね」
「治すのに時間がかかる病気ですから。お薬を飲んで、適度に運動して、しっかり休んで。長期戦になると思いますが……無理しない程度に、頑張りましょう」
「はい」
毎月、似たような話をしている。
「では、お薬はいつものやつを一か月分――頓服は足りていますか?」
「ソラナックスが少ないです」
「じゃ、30日分出しておきますね」
「はい」
そんな風に、診察は2分で終わった。玲は挨拶をして、診察室を出た。
「……」
彼女は立ち止まり、精神科医の台詞を思い出した。長期戦になる。――もう、24歳だ。19の頃から薬を飲み続けて、まだ治っていない。
「うんざりしちゃうね~」
そう言って、彼女は待合室を出た。
昼過ぎになって、玲は帰宅した。昨日のゲームで疲れているのに、通院でさらに疲れた。本当に疲れた。鞄を放り投げ、ベッドに寝転んだ。
「……」
だけど、夜になったら戦いが待っている。猫と約束もしたし……。いまは、その為に休まないといけない。
玲は目を閉じ、やがて眠りに落ちた。
夜が近づいてくる。猫町祐也はバイトを終え、部屋に戻ってきた。作業着を脱ぎ、部屋着に着替える。それから、ゲーミングチェアに座り、お茶の入ったコップをデスクに置いた。
「ふう……」
お茶を飲む。今日はかなりハードな作業だった。腐ったスイカを処理するのは、本当に嫌いだ。筋肉もたくさん使ったので、そこそこ疲れている。だけど――ゲームの為のエネルギーは、有り余っている。
19歳という年齢は、無理が効く年齢だ。オンラインの友達(40代男性)がそう言っていた。だから、若いうちにどうこう、という話なのだろう。祐也は時々自分の年齢と将来のことを考える。最近、父親から小言を言われた。「もっと人生設計を考えろ」と。ゲームばかり、か。
将来に希望などない気がする。なりたい自分なんて、ない。ただ、いまが楽しいならそれでいい。
「今時の若者だよ、俺は」
それっぽく呟いてみる。
そんなことより、今夜の戦いは負けられないのだ。それまでにちゃんと身体を作っておかなくては。
祐也はゲームを起動した。
夜になって、目が覚めた。時計を見ると、19時半を過ぎた頃だった。電気を点ける。両親はまだ帰ってきていないだろう。玲は部屋を出て階段を降りると、カップラーメンを調達した。
部屋に戻り、3分待ってカップラーメンを食べた。
身体の怠さは、いくぶんマシになっていた。では、脳は? 試しに思考を回してみる。193×34は? ……分からなかった。
「暗算苦手だし」
玲はPCを起動し、ヘッドセットを装着して、ボイスチャットに接続した。
「おはようございます~」
つとめて陽気に挨拶する。
「レザさんだ」
「お疲れ様ですー」
次々と返答が来た。チャンネルに入っているのは8人。
「逃げずに来たな、レザさん」
やや強い口調で、猫が言った。玲は思わず笑みを浮かべた。これはボイスチャットの向こうの彼らには伝わらない。
「ちょっと待って、いま起きたばっかりだから、トレモさせて」
玲はそう言うと、ゲームを起動した。
「準備運動をちゃんとするのね」プレイヤーの一人が言った。
「そうです。負けてあげられないので」
トレーニングモードを起動。と言って、あまり待たせるのもよくないだろう。最近ミスりがちだったコンボを少し練習するだけにする。
練習中、彼らは雑談していた。玲は聞きながら決まった動作をひたすら反復する。
「じゃあ、休憩中にスイカを食べたり?」
「まあ、そうっすね。温いヤツですけど」
猫のバイトに話題が移った。玲は耳を傾ける。
「スイカ以外にも作ってんの?」
「そうっすね、カリフラワーとか……冬はヒマなんですけどね。その時は別のバイトをやってます」
猫は淡々と答える。
愛想がない少年。だけど、交流すると、なかなか可愛らしいところも見えてくる。玲は猫に好意を持っていた。
毎日つながる、オンラインの友達か。これがあたしの命を繋いでいるんだ。
「準備運動終わり。猫くん、やろっか」
祐也は音楽を再生する。90年代のオルタナティブ・ロック。歪んだギターの音が、気分を整えていく。
対戦部屋に”ギミー・デンジャー”でエントリーする。
膝の上、手元にはレバーレス・コントローラーがセットされてある。これは格闘ゲームで使われるデバイスで、平たい箱の形をしている。箱の表面には14個のボタン。これでキャラクターを操作する。
「じゃあ、対戦よろしく」
発言と共に、レザが”サッドネス”でエントリー。祐也は決定ボタンを押す。
二人のキャラクターが対峙する演出の後、対戦ステージへと転送される――ダークシティの路地裏へ。
〈では、仕事をしようか〉
ギミー・デンジャーが左サイドから登場する。
〈祝福しましょう、今日はアナタが死ぬ日なので〉
右サイド、サッドネスが笑いながら登場する。
”それでは”
画面中央に字幕が表示される。
”戦闘開始”
対戦が始まった。開始3秒、両者は間合いを調節する。どちらが先に仕掛けるか。――祐也は地上に意識を集中させる。訓練により、上空からの攻撃はオートで迎撃できるようになっている。ダッシュによる急接近は、必ず止める。中足は最警戒。
「”待ってる”ね、猫くん?」
ヘッドセットの向こうでレザが言った。
「おーけー、じゃあ行くね?」
サッドネスが、前歩きをしてきた。
「舐めんな」
相手の狙いは”地上戦”を制すること――だったら、真っ向から迎え撃つ。
祐也はレバーレス・コントローラーのボタンを細かく操作する。ギミー・デンジャーとサッドネスの間の距離が、60分の1秒ごとに変化する。
ほんの数秒の、一触即発。祐也は先に仕掛けた。踏み込み、中パンチを当てに行く。
しかし、パンチはわずかに届かなかった。後ろ下がりに、スカされた。祐也は舌打ちする。攻撃が回避されたということは――”差し返し”による反撃を食らう。
空振りの硬直に、サッドネスのしゃがみ強キックがヒットした。ギミー・デンジャーはダウンを取られる。
「まずは一手だね」
「ただの局地戦だろ」
サッドネスは起き上がりに攻撃を重ねてくる。祐也は投げ抜けを入力。サッドネスの投げが相殺され、両者の距離が大きく離れた。
立ち回りに戻る。――まだ始まったばかり。試合は5セット先取、これはその中の1ラウンドに過ぎない。
今夜こそは勝つ。俺の方が弱いなんて、認めない。
まだ始まったばかりだが、幸先のいいスタートだった。首尾よく攻防を制し、ギミー・デンジャーを画面端に追いつめた。サッドネスの端は、強い。玲はゲームパッドを複雑に操作し、脱出困難な連携を仕掛ける。
「あたしさあ――」
ガードを強要し、投げを通す。ダウンを奪う。投げの後は投げがループする、いわゆる”柔道”と呼ばれる攻めを仕掛ける。猫の体力が、なくなっていく。
「猫くんと戦うの、好きだなあ」
最後は、打撃からコンボに繋ぐ。猫の体力はゼロになった。まずはラウンド先取。
「言ってろ」猫は声を荒らげた。「その笑みをぶっ壊してやる」
2ラウンド目が始まった。
「煽ってるわけじゃないよ」
本当に好きなんだ、君と一緒のこの時間は。半年前からずっと一緒に遊んでて……ライバルだと、思っているんだ。
君がどう思っているかは知らないけどさ。
「ただ、猫くんの悔しそうな顔を想像するのは楽しいよね――」
「死ね、いや殺す!」
祐也は感情のままダッシュを仕掛けた。止められ、痛いコンボを入れられた。
「――お前、卑怯なことをするな! 精神攻撃とか……」
「格闘ゲームは心理戦のゲームだよ?」
レザの声は弾んでいる。遊ばれている? 6-4……、いや、絶対違う。落ち着け……!
当然、落ち着ける時間などない。レザが、攻めてくる。
「……!」
ふところに入られた。サッドネスは、連続打撃で”固め”てくる。ガードを強要させられ、投げを嫌って投げ抜けを押したところを、後ろ下がりからの打撃で狩られた。”シミー”と呼ばれるその攻撃は――とても痛い。ギミー・デンジャーは吹き飛ばされ、画面端に追いやられた。
――殺される。
祐也は咄嗟にコマンドを入力した。
〈吹き飛べ!〉
ギミー・デンジャーが金色に輝くアッパーを放った。その攻撃は、攻めに入ろうとしていたサッドネスを、逆に吹き飛ばした。
”無敵技”だった。仮にガードされていたら、反撃で死んでいた。勝負手だった。
「僥倖か?」
祐也は呟く。チャンスを拾った。無駄にはしない。
「ぶっ放しが上手いね、猫くん!」
「今そっちに行くからよ!」
ダッシュを入力、吹き飛んだサッドネスを追撃する。――サッドネスの起き上がりに、攻めを仕掛ける。祐也は打撃を入力した。
重いパンチが、サッドネスの腹を捉えた。ヒット。硬直に、さらなる打撃を加える。ゲージを支払い、コンボを伸ばす。追加の打撃を叩きこむ。
「痛った……」レザの呟き。
コマンドを入力、必殺技の”ヘビー・クリープ”でコンボを締めた。突進しながらの蹴りが、サッドネスを吹き飛ばす。
攻めはまだ続く。再び、”起き攻め”が始まる。祐也はコマンドを入力。
〈捕まえたぞ!〉
ギミー・デンジャーがサッドネスを捕まえ、組み伏せた。それはガード不能の”コマンド投げ”だった。――相手を至近距離でとらえたなら、投げか打撃のどちらかは通る。それ格闘ゲームだった。
「じゃんけんが強いね、猫くん」
「運が俺に向いているみたいだな!」
ギミー・デンジャーは、組み伏せたサッドネスに向かって、思いっきりパンチを振り下ろした。
「もう少し!」
祐也は叫ぶ。サッドネスの体力はあと僅か。もうツーチャンス、いやワンチャンスでラウンドを取れる。
ダッシュし、再び起き攻めに行く。――もう一度、コマンド投げでやってやる。
祐也はコマンドを入力。サッドネスに、コマンド投げを仕掛ける。
「あなたさあ――」レザが笑いながら言った。「じゃんけんだけで勝とうとするのは良くないと思うよ?」
サッドネスは、バックステップをしていた。コマンド投げは、回避された。――ギミー・デンジャーに大きな隙が生まれる、当然レザは見逃さない。
「畜生……」
ギミー・デンジャーの硬直に、サッドネスが蹴りを叩きこんだ。ゲージを支払い、コンボを伸ばす。蹴りから殴打、そして蹴りで上空に打ち上げる。
「あたしの勝ちだね、とりあえず」
サッドネスは上空のギミー・デンジャーを指さし、超必殺技”インフィニット・サッドネス”を放った。
赤く輝く光の線が、螺旋の軌道を描いてギミー・デンジャーを貫いた。それが決着だった。
負けた。祐也は脳みそが暖まるのを感じながら、再戦ボタンを押した。まだ、一本取られただけだ。
「ちょっと待った、いまのはさすがに俺が悪かった」
「そうね」ギャラリーから感想が出た。
「猫さん、ちょっと動きが硬いかな~」
「というか、レザさんの煽りで単調になってる?」
「いやいや、あたしは煽ってないですよ」
「煽ってるだろ!」猫は叫ぶ。一瞬後、クールダウンする。「……なるほど、こういう手なんだな? もう俺には通用しないぞ」
「だから煽ってないって――」
”戦闘開始”
2戦目が始まった。
「ちょっと真面目にやるわ」猫は呟き、ボタンを操作する。
「これ、7-3くらいの実力差はありますね……」
「だから、お前、煽るのは――」
――夜は流れていく。結果は4-5でレザの勝ちだった。
「疲れたし、あたし落ちるね」
22時になったころ、レザが言った。
「次までに、レベル上げしておく」祐也は言った。「明日は勝つ」
「ん……、明日ね」
彼女はボイスチャットから退出した。
「今日は早いのね」
プレイヤーの一人が言った。
「レザさん、病弱キャラだから」
「そうなんですね」
祐也はそんな雑談を、頬杖をつきながら聞いていた。レザのことを考えていた。それから、だべりながら対戦をしていると、23時になった。明日もバイトがある。
「俺、落ちます」
「おつかれー」
「聖戦待機してるわ」
「おやすみ」
祐也はゲームからログアウトし、ボイスチャットから退出した。ヘッドセットを外し、息を吐いた。
「”いまが楽しいならそれでいい”」
なんとなく、呟いてみる。人生というものは巨大すぎて、よく分からない。
PCの電源をオフにし、立ち上がり、体操みたいに身体を動かす。
もうすぐ夏も終わりか――すぐに冬がやってくるんだろうな。そんなことを考えながら、祐也はベッドルームを出た。シャワーを浴びて、一日の疲れを洗い落とす。
そのあとはベッドに寝転び、明日を待つ。時々、眠れない夜がある。今夜がそうじゃなかったらいいけど。
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