見出し画像

【言葉】即ち【物質】である可能性を論理として組み立てる。

■【意味】が【粒子】でも在り得るとはどういうことか

■全ての「実在」が【波動】兼【粒子】であれば、【言葉】も【(素)粒子】たりうる?

【言葉】が実在であるという仮説は、もちろん【非空間】【非時間】【非時空間】が実在であるので、あながち無根拠なものではないでしょう。

すなわち、つまり。

「素朴実在論」として知覚を信じるなら、確かに【言葉】は【意識】、厳密には【わたくし】の【精神・心】という【非空間】に【非物質】として実在するといって無矛盾であります。

そうして【空間】が【物質】存在の「ありか」とすれば、【非空間】は【非物質】のありうるために【波動】という「形式」を採るということが言い得ます。【非空間】存在は【波動】という「かたち」で【空間】ではなく、【非空間】に存在している。

【時空間】において【物質】と【波動】は「共存」して有るわけではない、という理解が正確である、という理解です。

ただし。

私たち【認識主体】は【非物質】と【非波動】を完全に分けて認識する事は出来ません。
【空間】と【意識】が相互入れ子構造であるからです。【認識主体】はマクロの知覚で【空間】存在を【物質】として捉えます。しかしミクロでは【非物質】の様相を呈します。

今の考察からその理由が分かります。

勿論【空間】に於いて【言葉】が存在する為には「音波(音声)という「形式」を採ることになるのですがこの場合「波」は「空気」を「媒質」とした「微細な気圧の変動」を指示しています。

ここで「思考実験」

もし気圧をマイナスにして「発声」をしたらどのような現象が観測可能になるでしょうか。勿論あくまで原理を追求した、理論上の欠点を見つける為(無根拠な前提を発見・解除する為)の「思考実験」ですから「窒息(身体が沸騰)して死んでしまう」とかいうのは「なし」です。

■【シニフィエ】という意味に於いての【前言語】はどこからくるか?

ヒト(等高等生物)にはあって、人工知能には備わっていない力、「思いつき」の話です。

◎「仮説」◎

μ粒子】が「思いつき」の元である。(原田武夫氏のサジェスチョンによる)

ヒトの神経系が電気信号や化学反応で機能していることは明らかですから、恒常的に降り注ぐ「素粒子(宇宙線)」が「ごく微細な(要するに現状ピックアップ出来ない程度の)化学反応」を起こすことで、(同じ脳神経系の機能である)「言語活動」「意味」が伝播されるという「仮説」はなんら既知の基本法則に矛盾するものではないでしょう。

■【受動意識仮説】との相性

μ粒子】が「思いつき」の元である。

という「仮説」は有名なベンジャミン・リベット医師の実験の原理の証明に値するものであるのは間違いありません。

■【言葉】はどこからやってくるのか?

■「意志」とはなんぞや(心を【非空間】存在としてどのように解釈できるか)

「意志(will)」という【非空間】においての「現象」を【空間】においての「物理現象」と同等に扱って理解することは不可能ではないでしょう。

というより【非空間】や【非時空間】という【空間】又は(狭義の)【非時間】と同様に「実在」している「ところ」を、やはり【空間】と同様に「法則」の支配する「ところ」として扱うことが求められているということは、過去記事にも記しました通りです。

現状、ほぼ出鱈目によって占められている【非空間】や【非時空間】に対する言説を一掃し、新たに普遍性を持った言説(科学的言説)を持ち込むことで、(三態である)宇宙全体を科学(レンマ論理をも含む論理)で語ることが出来る、と考えることは、なんら不当なところはないどころか、むしろ自然なはこびでしょう。

そうして三態である【宇宙】つまり【非空間(非物質)】【非時間(非波動)】【非時空間(梵我一如・トヘン・ワンネス)】は、それら「三界」の結節点として機能する【わたくし】でリンクして働いているのは間違いがありません。

例えば【わたくし】の【心】へ【言葉】が「降りてくるとき」、【非時空間(梵我一如・トヘン・ワンネス)】は【わたくし】の【心】と「瞬間(withoutTime)」繋がり、「悟る」ことが出来ます。

何を悟るのかが「恣意」であり、その【わたくし】という人の【人生経験】と所謂【センス】による所が多い、といった塩梅になっていると推測致しますが、いかがでしょうか、原田先生。(N響の定期特別地方公演に係わる全ての皆様方に清心からありがとうを申し上げます。)

すると私たちが「エネルギー」として既に知っている【なにものか(対象)】が、【波動】や【物質】のかたちをとって「三界」を循環していると考えるのに、これも不都合はまったくありません。

それを「情報」と呼ぶ事は不可能ではないでしょう。検証が待たれます。「エネルギー保存の法則」は「三界」全てを対象として「情報不変の法則」として考えられると想像致します。(参考・原田武夫音声レポート)

そしてそれらの循環する「あいだ」にある【わたくし】の「こころ」に「意志」をもたらし、【空間】においてはご存じ「すべての物理現象」を引き起こすことで「宇宙」が成立している、という「公理」或いは「大前提」を採用するところから人知の再解釈をする不都合も何もないはずです。

繰り返しになりますが【非時空間(すべての源)】は「三界」の「結節点」である【わたくし】において【非空間】で【意志】を或いは【言語】を伴い、そうでなくとも【非空間】に「意味」として「具象化」され、所謂【時空間】をあらしめ、その因果として、あらゆるすべての【できごと】を在らしめている、と考えられるのです。

この「今の常識」からすると「突拍子もなく聞こえる」「仮説」をどこまで無矛盾か追求することが、未来の人類の知恵に直結することは間違いないでしょう。

或いはさきごろ「発見」されたという「アマテラス粒子」の手がかりになるかもしれません。(なるでしょう)

いずれにせよ、パラダイムシフトというモノは、「今の常識=当たり前」からかけ離れてこそ真のパラダイムシフトと呼べるのです。

■いままでの整理〖宇宙のありようと認識主体としてのわたくし〗

「A = A + 非A + Aと非Aの境界」

あおいのきせき」より 「存在の方程式」

■【器楽の音楽】【人間の音楽】【宇宙の音楽】

ピタゴラスは「世界(存在)」を「音楽」で指示できると考えていたらしく、「実在の楽器で表現可能な世界」と「ヒトの精神と肉体が共鳴する(普遍的なしかし耳には出来ない)世界」と、そして「天界の音楽、宇宙そのものの世界」と世界を三界で表せるとしていました。

すると、ピタゴラスの指示しようとした「三界」を

「存在の方程式」に【時空間】【時間と空間の両存在としてのわたし】【非時空間=ト・ヘン】として、そのまま代入可能であることに気づくのです。

■「宇宙」の「三態」とは【非空間】【非時間】【非時空間】

「非ず」から世を眺める話が禅問答にあったように覚えておりますが、実際そのように理解すると非常にすっきりとすることが、「存在の方程式」から分かります。

絶対矛盾的自己同一

という言葉が何を指示していたのかについて、混乱した状態が続いておりましたが、「存在の方程式」の意味することが「それ」であると理解することで、この「問題」の決着もついたと分かります。

【空間】と【時間】で構成されている、とされている、所謂【宇宙】ですが、「A = A + 非A + Aと非Aの境界」という「存在の方程式」に則り、

【空間】と【非空間】と【わたくし(空間と非空間の境界)】

と新たに理解することで、【時空間】を「ひとつの場」として「多次元」と捉える、といういまの「常識」が引き起こす数々の「矛盾点」を無矛盾に言及できることを過去記事に記しました

量子テレポーテーション

「量子もつれの関係」とは極限において【空間】と【時間】が陥るいわば「当たり前」の状況のことであると理解され、かつ、何故そこに「観測」つまり「観測主体」が介在するのか、という問題に無矛盾の回答をもたらします。

シュレディンガーの猫

上の応用理解として、【時間】とは【非空間】のいうなれば「一形態」であり、「認識主体」である「個の意識(これを精神および心と呼ぶことにする)」も当然【非空間】と言い得うるので、極限の【意識】は【時間】と同等に扱えると理解出来ます。すると、「観測するまで」=「認識主体(個の意識)」が介在しないかぎり【時間】は存在せず、すると「動かない」ので、当然「量子の状態は確定しない」とこれも無矛盾で理解が可能です。  

■非ずを命名(意味を固定・限定)すると動き出す(意味があふれる)

「範囲」或いは「量」が不明瞭・不明確である全体を定義(命名)することはできません。

実際、わたしたちは「宇宙の果て(無限)」も「物質の最小単位(無)」も言い得ていないのです。

手元に【時間】と【空間】という「言葉」があります。同一の場(時空間)で対義関係としてうまく扱えず「困って」いる訳ですが、
【時間】は【非空間】といって正しい、
【空間】も同様に【非時間】と言って正しい。

であれば「不可分」である【時間】と【空間】を【非時間】と【非空間】と「言い換え」、その交わる「ところ」を【{精神(非空間)かつ身体(非時間)である}わたくし】として理解することで、「矛盾」と「問題」の回避が可能になります。

すると、そうすることで「範囲」と「量」の不明確であることから来る問題を回避し、いわば「存在のありよう」をより的確に指示することが可能になるのです。

加えて【非時間】かつ【非空間】である【非時空間】という「言葉」を使うことで、過去【梵我一如】【ト・ヘン】【ワンネス】などの言葉で指示していた対象も明瞭になるのです。

更にこれもまた定義の曖昧な【わたくし】を【非時間】【非空間】【非時空間】という「三界」の「交わるところ」と理解することで、人類知は飛躍的な前進を得ることが可能になるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?