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この映画は、
この映画こそ、「あおいのきせき」を生む直接の引き金を引きました。

浅田彰さん—というか「日本のポスト・モダニズム」—を僕は徹底的に批判して生まれた作家であると自認しているのですが、

「映画の21世紀は『EUREKA』をもってはじま」ったことに異論を挟むものでは無く、というよりもその通りであると100%賛同の意を表明するのです。

すくなくとも、表層的な意味に於いてさえ、この映画に宮﨑あおいさんが出演されていらっしゃらなければ「あおいのきせき」と言う名を持たされた作品は生まれませんでしたし、つまりそれでは、「あの中身」も存在しなかったと言得うるのです。

僕がこの偉大な映像作家、いいえ、この敬愛する偉大な映画監督の名を知ったのは—いや、驚きました—1996年のことでした。新宿に北野武さんの久方ぶりの新作映画を観に行った折に触れた「Helpless」の劇場予告においてのスクリーンで拝見したのが最初です。(僕は実は監督の優れて劣った観客なのですが、監督の愛した劇場スクリーンに於いてそのお名前を知ることになったことだけは極めて「特権的」な出来事であったと自慢をしたくなるのです)

まだまだお若いこの優れて偉大な日本の映画監督は、今年、まるで「有から無へ」お帰りになることの比喩のように「極めて特権的な」日にお亡くなりになりました。

EUREKA

青山真治監督、
ありがとうございました。

ありがとうございました。

青山真治監督。

監督がいまいらっしゃらないのが、ほんとうに悲しい。

ほんとうに悔しい。

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