見出し画像

24.03.03_周囲の態度は自分の心を映す鏡

こんばんは、多部栄次です。
ぼちぼち日記やっていきましょう。

薬ってすごいですよね、一錠二錠飲んだだけで心身良くなったり悪くなったりするんですから。脳に分泌される数㎍の成分(それもそこまで複雑でない化学構造式)で人ってのはころころ変わるもんですからやっぱり化学って侮れないなと、誇らしく思いますね。いや自分は何もしてないですけど。

それよか休日の夜に外ランニングするんですけど、この日鍵落としたことに気づいたんですよね。対人だとパニックになるくせにこういうときは全然焦らなくて、「まぁどっかに落ちとるやろ」「なかったら車中泊…いや車のキーも家の中だからコンビニか24時間やってるところまで走って朝まで過ごせばいい」と考えてました。

走ったルートを途中まで探してたんですけど普段落とすはずないですし、何かしらのイレギュラーな行動をしたことで落としたと思うので「たぶんあそこだな」と場所を特定して注意して探したら見つかりました。いやほんと良かったです。

さて本題に入るわけですが、眠たいので簡単にでもお話ししようと思います。

自分は完璧主義とまではいきませんが理想主義者に近い傾向があると自覚しています。こういう理想像があって、それを満たしていない自分はダメな奴だ、といった感じに。その理想像の材料は周囲の教えや期待、環境に依存しているのもありますが、今まで自分が恐れていたもの、怒られるとか傷つくことを言われる、見放される、信用されなくなる、嫌われるとか、いろいろな脅迫にも似た何かに圧迫されて自分を責めていたんだろうなと思います。でも実際は周りは言うほど怒ってないですし幻滅もしてません。じゃあ何がそうしているのか、誰が自分を責めて、苦しめているのか。

自分自身なんですよね。
よく人は変えようとしても変わらない。自分か環境を変えない限り人は変わらないという言葉は聞いたことがあると思いますが、その理由の一つに、相手が自分にする言動は自分の心を映す鏡なのだと教わりました。つまり、自分のことをダメな奴だと思ったら周囲も自分のことをダメな奴だと思いますし、自分を信頼していなかったら自然と周囲も自分のことを信頼しなくなります。もちろん科学的な根拠は僕の口から説明できないのでエビデンス求められても困りますが、ただ納得したんですよね自分は。

だからこそ、今度からは自分のことを責めず、少しでも許してやれる寛容さをもちたいと考えています。そうなれば、100%でなくても自分の思い通りにはなりますし、周囲も妻たくなくなるかもしれないと思います(例外はあると思いますが、誤差の範囲です)。少なくとも、いまよりかは行きやすくなるだろうなと思います。

まずはいろんな人と相談して、客観的に自分を俯瞰する(日本語変かも)。そのとき見える自分は見たくもないほどに恥ずかしくて情けないものかもしれません。でも、それが自分なんです。そんな自分を我が子のように愛することが第一の壁だと思います。

今のポンコツな自分は確かに理想像とはギャップがありますけど、それが自分なんだと認めて、笑って励ましてやりましょうよと、僕は自分の内面に言ってやりたいと思います。どんなときでも、一番のライバルでもあり味方でもあるのは自分自身なのですから。

素敵なイラスト画像をお借りしました。chikorizmさん、ありがとうございます。

それではおやすみなさい。明日も良い一日を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?