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会話の地雷恐怖症

人と話していると、会話の地雷が怖くて踏み込めない時ってないだろうか。


自分ではなんともないことだと思って発言したり質問したりしたことが、受け取った相手にとってはショックを与えてしまったり、デリカシーがないと思われてしまうことは相手が異性だろうが同性だろうが関係ない。


私は映画やドラマを観るのが好きなのだが、あれらはいろんな立場の人間の感情が露わになる。それはドラマ内で片方の人間には知る由もないことだったりもする。

それだけではなく、自分が受けての時に嫌だなと思うことも多々あるからだ。

気にしないようにするのが一般的だとは思うが、なんとなくずるずると引きずって考えてしまう。

そういうことがあると、自分の発言に対してももちろん顧みる機会が増えてくるわけだ。

自分が会話の中で発する言葉を一度脳で検閲して口にすることが増えてきて、気づいたら会話にびびってる自分がいる。

コミュ障とか、人見知りとか言われたりする人は多いのかもしれないが、それだけ言葉を脳内で検閲して慎重に選んでいることを知ってほしいとは思うよね。


だからなんだって思うかもしれないし、結局は表にでた言葉、表情、感情が全てなんだからそれは研鑽するしかないだろって思われて仕方ない。


最近Netflixの新聞記者を観ていて、ふと組織とか立場とかによってその人の人格が決められたり、捻じ曲げられたりするんだなということと、自分達の利益のためならいくらでも他人の弱いところにズケズケと土足で入っていくんだなというのが苦しくてならなかった。

また改めて感想は書きたいと思うが、とにかく、会話の地雷には気をつけよう。

でも意外と踏んでからでも遅くはないかも?
怪我して学ぶことも多いのあるのでその辺はバランス良く。
と、自分に言い聞かせるのだ。

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