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「緊急事態宣言中にも関わらず…」は正しい報道なのか?

昨年は「自粛警察」という言葉が流行しました。2021年の緊急事態宣言は範囲も内容も緩和されていますが、20時以降に店で飲食できないことを相当ストレスに感じている人が多いようです。

そして、「みんな我慢しているのに」というニュアンスで、ルールを守らない、特に若者を取り上げ、悪者扱いしている一部のメディアがあります。
本当に感染に気を付けている人、感染して大変な目にあった人、家族を失った人。その人たちが「ふざけるな」と思うのは、十分承知しています。しかし、何が正しいのか、誰が間違っているのか、という問題ではなく、悪者にされている彼らがそこにいる理由を社会的背景も含めて伝えなければ、報道ではないということです。
正しい報道は、両極の意見を同量に伝えることだと思います。

結論です。いくら個人のライターだとしても、偏った意見は他人の人生を狂わせる可能性があります。どうしてもその必要性があるのなら、もう一方の対象者を十分に取材した上で、覚悟を持って書いてください。

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自分の命を守るために

伝えたいことは以上なのですが、「いや、どう考えてもこのご時世にバカ騒ぎしている人の方が悪い」と思った方のために、一人の若者の考え(想像)を紹介します。本当は自分で取材してルポができればいいのですが、それはまたの機会ということで。あくまでもフィクションとしてお読みください。

渋谷・道玄坂にあるクラブ。50人以上の満員の客が、12時を回っても踊り続けている。5人グループの男女が、店の外でタバコを吸っている。私は、常に話を切り出しているリーダー格の男性に声を掛けた。意外にも取材を快く引き受けてくれた。
男の理由は、こうだ。
26歳、高卒の会社員。大卒の後輩が全然仕事ができないのに自分より先に役職についてやってられなくなった。それを決めた上司には、いつも理不尽な残業を要求されている。今日は高校時代の仲間と飲んでいる。自粛はもう限界だった。1年の間に、心を病んだ同級生2人が自殺した。コロナと政府を恨んでいる。まだ死んじゃいけない。そう思ったとき、自粛はやめた。世間になんと思われようが、自分の命のほうが大事だ。コロナに罹れば死ぬかもしれないって?人にうつすかもしれないって?自分の命を守れない人に、他人の命は守れるはずがない…

「書く人」の責任

大きな組織は、人をコントロールしようとします。そのための手段として、マスメディアが利用されるときがあります。これは、権力に立ち向かうことを宣言している報道機関でさえ、本来の目的を見失うくらい巧妙にコントロールされます。
私たちライターが本当に寄り添わなきゃいけないのは、人間です。
善悪は、世間が決めたきゃ決めればいいんです。絶対に、自分で決めてはいけません。汚職にまみれた悪徳政治家も、人に隠れてボランティアをしているかもしれないのです。
それが、何かを書く仕事をしている人の、最低限の責任だと思っています。

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