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レトロなパン屋のかほり

 私が子ども時代を過ごした昭和後期の頃は、パン屋は朝早くから開店しているのが当たり前だった。
 登校時に近所のパン屋の前を通る際には、その香ばしい香りを嗅がないように、息を止めていたこともあった。
 休みの日などには、朝から祖父と一緒にパンを買いに行って、あれやこれやと家族全員分のパンを選んでいた。あまりに買いすぎて、祖父は良く祖母に怒られていた。
 最近のパン屋は開店が十時からなど遅い店が多くなってきている。若い頃、私はそれを軟弱だと嘲笑していた。早朝から開店するパン屋の苦労など、想像することすらできなかったのだ。
「最近の」とは言っても、そのような店が増えてきたのは、そう最近でもないかもしれない。私のお気に入りのパン屋は十時開店だが、かれこれ十年以上は通っている。私の思い出の中にある昭和のパン屋は、もう三十年以上も昔の姿なのだ。
 今の私は、遅い時間に開店するパン屋も、おそらく副業としているためか、週に二日ほどしか営業しないレアなパン屋も、愛することができる。
 しかし、それでも早朝から開店しているパン屋を見つけると、この上なく嬉しくなる。それだけでワンランク美味しいような気さえしてしまう。
 同じく、レトロなパン屋も好きだ。狭い店内で、あまりオシャレではない安価なパンを、細々と売っているような店だ。パンがショーケースに並んでいたり、販売担当のお婆さんの腰が曲がっていたりすると、なお良い。
 現代において、そんなパン屋はなかなかお目にかかれない。昔から好きだったレトロな店たちは、残念なことにどんどん閉店してしまっている。
 パン屋に限ったことではなく、昔から親子で通っていた港町の洋食屋も無くなってしまったし、隣町のビジネス街にあるとんかつの名店も、店主の体調不良の張り紙が出され、今にも消えてしまいそうだ。
 せめて娘に伝えたいと思いながらも、叶わぬ夢となってしまった味も、既にいくつかできてしまった。
 一時期「パン好き」で通っていた私は、今はそれほどパンに執着はないものの、知らないパン屋があれば、なるべく行ってみるようにしている。情報は専らインターネットだが、詳細はあまり見ないようにしている。
 グーグルマップで「パン」と検索し、場所と店名だけで行ってみるのが楽しい。一応店休日だけは見るが、星の数も見えてしまうのが難点だ。
 しかし、先日私がそのパン屋に出会ったのは、全くの偶然だった。

 その店は、絵にかいたようなレトロなパン屋だった。
 一見パン屋には見えない。真四角の外観に、くたびれたオレンジと黄色のビニール生地の庇が映える。店舗の前面は大きなガラス戸が並んでいるが、その一部は無理やり置いた自動販売機で開閉できない。
 昔ながらの「商店」の佇まいであり「〇〇パン店」と表記が無ければ、私も近づくことはなかっただろう。
 その日私は中華料理店で昼食を終え、その付近を散歩していた。大通りから路地をのぞき込むと、突き当りにそのパン屋があったのだ。まるで別世界を見ているかのようだった。ジブリっぽいあの感覚だ。
 吸い込まれるように私はその路地に入り、その外観をスマホで撮影しながら奥へと進む。当然幻でも蜃気楼でもなく、どんどん店に近づくことができた。
 ガラス戸の奥、店内の照明は暗いが、どうやら開店しているようだった。意を決して、店の目の前で足を止めた。正直、怪しかったら急な方向転換もやむ無しと思っていた。
 ガラス戸の奥には、素敵な光景が広がっていた。
 ショーケースに、昔ながらのパンが並んでいた。あんドーナツ、カレードーナツ、メロンパン。小洒落たパンは見当たらない。
 ショーケースの他にも、お菓子が置いてある棚もある。それも「おっとっと」などの市販のお菓子だ。昔、近所のパン屋にもなぜかお菓子コーナーがあった、と懐かしくなる。
 重いガラス戸を開けて、店に入る。
 イロイロイロイロイロ イロイロイロイロ
 センサーが反応して、昔ながらのチャイムが鳴る。
 だが誰も出てこない。出ては来ないが、奥にゆっくりと動く気配があり、ますます期待は高まる。
 ショーケースを見ながら少し待つ。チョココロネやあんぱん、くるみパンと定番の中に、アップルパイやレモンパイといった、多少色気のある商品も見える。
「はいはい……」
 のんびりとした声で現れたのは、腰の曲がった老婆だった。
 完璧だ!
 小躍りしそうになるのを必死で堪なければならなかった。
 私はその尊い存在にいくつかのパンを注文し、ショーケースから一つずつ取り出す姿を眺めた。
 初めて訪れる店なのに、とても懐かしい気分になる。
 本来なら少しだけ取り留めもない話をしたかったのだが、残念ながら別の客が来てしまった。スーツ姿の若い男性だ。おそらく初めて来店したわけではなさそうだが、常連でもない、二回目か三回目のような表情をしていた。
 私は車に戻り、中華で腹いっぱいにも関わらず、くるみパンのビニールから取り出した。酸っぱいような、甘いような、どこかで嗅いだことのあるにおいが立ち込める。
 一口齧ると、そのにおいをより顕著に感じた。
 これは……このにおいは、イースト臭だ。
 昔何度かパンを作ったことがある。市販のドライイーストを使っていたが、まさにそれの臭いであった。
 だが、イースト臭がすることが良いのか悪いのか、そこまでの知識はなかった。
 とりあえずパンを一度袋に戻し、帰宅した。
 ネットで調べてみると、イースト臭の原因は、発酵不足とのことだった。
 食べてはいけないとは書いていなかったので、残りのくるみパンをトースターで焼いて食べた。
 店も店員もこれ以上ない最高の発酵具合なのに……などと考えつつ、イースト臭を味わった。
 また、父親が好きなチョココロネも買っていたので、食べさせてみた。年をとると、においに鈍感になると聞いたことがあるが、どうやら本当だったらしい。袋を開けた瞬間から漂うイースト臭に、父は何の反応も示さなかった。美味しいとも言わなかったが。
 それよりも、巻貝に例えると入り口の最も太い部分にしかチョコが入っておらず、二巻き目からはスッカスカという、あまりにも少ないチョコの量に「これ見ろ! 少ね! こんだけ!」と楽しそうに母に見せて笑っていた。まあ、買った甲斐はあっただろう。
 他にアップルパイとレモンパイも買った。あの店では精一杯のお洒落な商品である。先の二品から全く期待をしていなかったが、意外にも美味しい。パイ生地がサクサクで、果物もクリームもしっとりしている。
 定番商品が発酵不十分なのに、ハイカラがハイレベルとは不思議な店である。
 ちなみに価格だが、驚くべきことに、今回買った四品は全て百八円である。その他の商品も、ほぼ全て同額だ。
 なるほど、そういうことか。
 ここの百八円のパンを百八個食べれば、おそらく私は百八個あるとされる煩悩から解放されるのだろう。
 イースト臭は煩悩に反応し「お前はまだ発酵不十分だ。精進せよ」と言っているのだ。
 私が煩悩を消し去ることができた時、きっとこの店のイースト臭も消え去るのだ。

 そんなわけはない。ただの老化か、慣れである。

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