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静けさや底の声聞く東山 * 京都、長楽寺

人で賑わう四条通りのどんつきに八坂神社がある。その奥の円山まるやま公園を、さらに奥へ登っていく。お店が立ち並ぶ祇園町から歩いてほんの7分ほどで、嘘みたいに静かな山の中に入る。人がいない。そのかわり人ではない生き物たちが立てる音が聞こえる。

令和五年五月。京都、東山の長楽寺。
ちょうど特別展の最中で、受付に手書きの筆文字で「住職の解説」の案内があったので、そちらをお願いする。

「まだ少しお時間ありますので、よければお庭の方を先にご覧になられますか」
やさしい受付の人の案内で拝観所に上がる。

他に人がいない。
縁側に座って庭を眺める。
相阿弥そうあみが銀閣寺の庭園の習作として作った庭だという札が立っている。
庭は山につながっている。
生き物たちが山と庭を行き来しているのを感じる。
東山の湧水が庭の池に流れ込んでいる。山の動物たちが水を飲みに来ているところを想像する。

どこからか女性が現れて抹茶と和三盆の干菓子が運ばれた。
薄茶が軽やかに喉をつたい、胸とお腹を温める。舌触りも、喉の当たりもやわらかい。湧水で点てたお茶かもしれない。

目を閉じる。啄木鳥きつつきがカタカタカタと木をつつく音。鳥たちの声。青もみじが風にゆられてさらさら鳴る音。地味なつくばいの音。

相阿弥の庭を介して、山と自分が混じり合っていく。

十時が近づき、住職のお話を聞くため客殿へ行く。あと二人、お参りの人がいる。黒い鞄を斜めにかけてジャケットを着たお爺さんと、ワンピースを着た年配の女性。

住職がお経をあげ、お寺の由緒を話す。長楽寺は805年に最澄さいちょうが開いたお寺で、当初は天台宗の別院だったが、その後室町時代に一遍上人が起こした時宗じしゅうのお寺となった。時宗はお経が和文で歌のような抑揚もあるとの事。お参りのお爺さんも、もう一人の女性も、お経の間ずっと手を合わせているので、私も手を合わせて目をつぶる。私たちは一期一会のお参りファミリーだ。

住職に導かれ山の階段を登って本堂へ向かう。本堂は重要文化財で、参拝者は特別展の時にだけ中に入ることができる。

本堂の中は、学校の教室の半分くらいの広さ。その真ん中に、最澄作と伝わる弁財天の像がある。子猫ほどの大きさの弁財天だが、存在感がすごい。私の知っている弁財天とは様子が違う。

私の知っている弁財天は、七福神の紅一点、琵琶を抱えた美人で、腰のあたりの曲線が素敵な、水もしたたるいい女。だから直会なおらいで神社の総代さんから「あんたはここの弁天さんやな」と言われた日には、調子に乗って台所で小躍りした。なのに長楽寺の弁財天は、がっちり体型で顔も大きめ。腕が八本も生えていて、手にはよく切れそうな剣を持っている。頭には鳥居を載せている。

「弁財天様としてはめずらしいお姿と思われるかもしれませんね。琵琶湖の中にある竹生ちくぶ島におられる弁財天様も同じように腕が八本あって、武器など色々お持ちになられていますよ」と住職。

同じく七福神の一神である布袋様もいる。めっちゃ笑顔である。こちらは武器ではなくお馴染みの大きな袋を携えている。
「この布袋尊像は鎌倉時代に東福寺を開山された聖一国師が、日本と中国とインド、三つの国の土を合わせて作られたと伝わっています。焼かずに泥のままの像で、それが現代まで残っているという、大変珍しい像です」

さて、最重要の御本尊がおさめられている厨子ずしは、特別展でもご開帳されない。ご開帳されるのは年号が代わる時、すなわち天皇がご即位される時のみ。古来、歴代天皇が世の中の安寧への願いをここの御本尊に込めて封じてこられたという、勅願所としての歴史ゆえだそうだ。

「平成から令和になった時、御本尊のご開帳があったのですけれども、令和初日の五月一日はこちら(本堂)へ向かう山の階段に長蛇の列ができましてね、山のずぅっと下の方まで繋がっていました」

普段ははまるで月の「静かの海」のように静かな本堂に、何十年かに一度、行列ができる。私はその様子を、グーグルアースを見ている神様の視点で想像する。時の幅は、大きければ大きいほどロマンチックである。

本堂の外に出ると、青もみじから差し込む日の光で目がくらむ。
横の鐘を、お参りファミリーで突かせていただく。
倍音多め。
頭蓋骨が気持ちよく振動する。
体の水分も振動する。いい音である。
脳天までしびれる。
平家物語の「祇園精舎の鐘の声」はこの鐘ではないかと言われるそうだが、確かにこの音色には諸行無常の響きあり。

鐘楼のすぐ近くには、平将門たいらのまさかどの娘、建礼門院けんれいもんいんの髪が下に埋まっているという建礼門院塔がある。手を合わせ、寺宝が収められた所蔵庫へ向かう。

途中、湧水の落ちる滝があった。建礼門院もここで滝行たきぎょうをしたと言われている。現在は水量が少なく滝行はできそうにないが、滝の壁面の岩には、何体もの仏が彫られており、行の場であったことをうかがわせる。
「お茶はこちらの水で点てています」
と住職が言った。

所蔵庫に入る。

経年で茶色くなった布が大事に展示されている。おんぶ紐みたいな形である。

「平清盛の娘である建礼門院様は文治元年の三月に壇ノ浦で入水されました。まだ八歳だったお子様の安徳天皇もお祖母様に抱かれて、一緒に入水されたのです。ところが建礼門院様だけ敵方に引き上げられてしまいました。その年の五月一日に建礼門院様は長楽寺で剃髪され出家されたのですが、そのような状態ですから出家にあたって何もお布施するものがない。そこで我が子である安徳天皇がいまわのきわまで召されていた形見の御衣ぎょいを、こうしてご本尊の前にまつるばんに縫って、長楽寺にお布施として奉納し、御菩提を弔われました」

住職は静かに語るけれども、空耳で琵琶の音が聞こえてくるようだった。
それにしても、目の前の茶色い布が、あの壇ノ浦の戦いの遺品であるとは。それも、わずか八歳の天皇が身につけていた衣服だとは。思わず手を合わせる。

所蔵庫には、讃岐さぬき国に流された崇徳すとく天皇の御念持仏である弥陀三尊もあった。崇徳天皇憤死以後、讃岐国から巡り巡って長楽寺にまつられ、現存するものだ。

他にもたくさんの寺宝が所蔵庫に収めれられており、住職がわかりやすく解説してくれた。ここで案内はおしまいである。

住職とお参りファミリーと別れ、山の上のお墓ゾーンへ向かう。

登る途中で、地面からくるっくるくくるくるっ くるるっ くるっくるるる という声が聞こえてきた。

蛙かな。
にしては、声が太い。
牛蛙かな。
いや、違うな。牛蛙は越谷にたくさんいたから、鳴き声はよく知っている。

声がするあたりの地面の落ち葉を、手でよけてみる。
蛙なら、落ち葉の下に隠れているだろう。

意外と落ち葉の層が深い。がさがさと落ち葉をよけていくにつれ、くるるっ くるるるっ クルゥ クルルルr という声が大きくなる。

爬虫類や両生類なら、この辺で飛び出して逃げるだろうが、全く逃げる気配もなく、声はどんどん大きくなる。聞こえてくる場所の落ち葉をよけていくと、地面に直径10センチくらいの穴が空いていて、その奥から声がしていた。

くるっ コロコロぅ ぐるぅ くるるくるぅ くるっ

まるで地面そのものがしゃべっているようにも聞こえる。この声は、たぬきでもない。いたちでもない。どっちも神社に出没するので知っている。

鳴き声は、こちらを威嚇しているようでもない。切羽詰まった感じがしない。ただただ、われここにあり的に、鳴いていて、穴の近くに寄るほど、熱心に鳴く。穴は横向きに伸びているらしく上からは先が見えない。

穴に少しだけ小枝を突っ込んでみる。めちゃくちゃ気色の悪い生物が小枝に噛み付いて出てきたらどうしようかとドキドキするが何も出てこない。

くるるっ くるるる クルっ くるっ。
吾だよ、吾。ここだよ、ここ。

ずっと言っている。

ぬえ
鎌鼬かまいたち
けっきょく、声の主が姿を表すことはなかった。

私は、答え合わせせずに謎は寝かせることにしているので、このとき録画も録音もしなかった。でも、家に帰ってからどうしても気になって、ハクビシンやアナグマなど、いろんな動物の鳴き声を検索して聞いてみた。山の中から聞こえてきた声には、どれも似ていなかった。

吾の正体が見たいなら、また山に来い。ということなんだろう。


雲上の竜下つて海底の魚となり給ふ。大梵高台の閣の上、釈提喜見の宮の内、いにしへは槐門棘路の間に九族をなびかし、今は船の内波の下に、御命を一時に滅ぼし給ふこそ悲しけれ。

平家物語

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