見出し画像

小満 * 水張るる田に鴨来たりて地主顔

春祭りに献酒をしてくれたみやちゃんに、撤下神饌(神様からのお返し)の筍山椒を渡しに行ったら、そのまたお返しにスナップエンドウをもらった。

みやちゃんはご主人と駅前で不動産屋さんを開業していて、土地のオーナーさんから「遊ばせとくのんもなんやし畑でもしてや」と言われて預かっている畑地がある。そこで野菜を育て始め、そもそも研究熱心な彼女は、いろんな品種に挑戦しては、「こんなんできた!」と言って食べさせてくれる。

祭りの前に持って来てくれた初物のスナップエンドウは、その可愛らしさにため息が出るほどだった。まず神様にお供えしてから下げてきて、うすいだしでさっと煮て、豆腐で白和えふうにしたそれは、身も心も清まってうきうきする春の味で、幸せな気持ちが三日ほど続いた。三日にいっぺんこれを食べていれば一生幸せが続くという計算になる。でもスナップエンドウの旬は春だ。だから春じゅうだけでも幸せでいたい。さて今度はどうやって食べようか。さっと炒めてカレー粉をまぶして食べるのも良さそうだな。

「ところでお昼食べた?」
「まだ」
「じゃあささっとランチしよっか」
「うん」

みやちゃんがお財布を持って外に出る。2秒で隣の大阪王将に到着。今日は日曜日だが、二人とも仕事があるからささっとランチである。五目あんかけ焼きそば2つ。私はさっき、腹のむしおさえにお供え餅(下げてきたもの)を一個食べて来たが、王将は別腹だ。

最近みやちゃんは、スナップエンドウや絹さやの収穫のために、いつもより一時間早く起きているという。部屋の間取り図が貼り出してある不動産屋さんの店先に、その日の収穫物を並べておくとたちまちなくなってしまう。店の向かいの2階にカーブスという女性専用の時短フィットネスジムがあり、そのお客さんたちがマシンをしながら、眼下の不動産屋に野菜が出たのを見ると、帰りに買って帰る。ほとんどがリピーターだ。

まるで鳥みたいだね。空の上から、美味しいものが出たのを見つけてさーっと飛来するんだから。美味しいのを知ってるところも、鳥みたい。と私が言うと、みやちゃんは、そうやねぇ、嬉しいんだわぁ、みんなに美味しいって言ってもらうと。と、しんそこ嬉しそうに言う。そんなみやちゃんと一緒に食べる王将は、格別にうまい。

みやちゃんが野菜を作っている畑地は、田んぼに囲まれている。まだ畑作一年目だった去年は、周りの田んぼが田植えのために水を張っても、給水口さえ閉めていれば、水は張られないし、畑の作物を収穫できると思っていた。

が、周りの田んぼの水張りの翌日に行ってみると、給水口は閉まっているのに、なぜか彼女の畑にまで水がなみなみと張られていて、畑の野菜は完全に水没していた。よく見ると、こまかい魚まで泳いでいたらしい。

「どゆこと?」
「いやあ、だから周りの田んぼからしみ出して来たんちゃうかなあ」
「水はわかるけど魚もしみ出してきたの?」
「そやねん。で、カモが我が物顔で泳いでんねん、私の畑で」

カモはきっと、空の上から水が張られた畑を見つけてスゥーっと降りてきて、さもそこに何年も住んでいる住人みたいに泳いでいたのだろう。そこが本当は畑で、みやちゃんがオーナーさんから借りている土地で、手塩にかけて育てた野菜たちを収穫する直前だったことなど、カモには全く関係がないのだ。

「タニシみたいなのんも、いっぱいおった」
「一晩で田んぼの生態系が出現したってことか」
「不思議やけどそういうことやなあ」

みやちゃんの携帯が鳴る。クロスの張り替え、という言葉が聞こえてくる。お仕事の話のようだ。

***


埼玉の田んぼ地帯に住んでいた小さいころは、田んぼからタニシを大量に取ってきてバケツに入れて遊んだ。おたまじゃくしも大量にとってきて、同じバケツに突っ込んで、どっちも全滅させてしまった。

大阪で双子を産んで、彼らがまだ幼児の頃のゴールデンウィーク、保育園は国民の祝日で休みだが自営業は仕事がある。それでも無理やり半休をひねり出したはいいが、どこへ行くにも車は渋滞、人でいっぱいだった。私はとりあえず自転車の前と後ろに子供を乗せ、田んぼの近くの小さな川の流れているところに行き、そこでピクニックすることにした。水遊びの道具としてペットボトルやスコップも持参した。彼らは五月であっても裸足でがんがん水遊びをする。そのうちに小川の流れが溜まっているところに細長くて小さな巻貝がたくさんいるのを見つけた。それをとって、地面に並べて、また戻す、というのをエンドレスで繰り返す。その辺に落ちている木の枝葉を集めてきて、ほーらここに貝を混ぜてください、ボンゴレビアンコだよーと言ったら、ボンゴレビアンコという響きが面白かったらしく子供達はきゃいきゃい言いながら巻貝と枝を混ぜている。ごめん巻貝。

それにしてもこの巻貝はなんであろうかと通りすがりのおっちゃんに聞くと「タニシやん」という答えが返ってきた。私が「こんな細長いタニシなんか見たことないです。埼玉のタニシは丸っこくてコロコロしていてもっと大きかったです」と言うとおっちゃんは「いや、これがタニシやで」と言った。この時が琵琶湖水系のタニシと私のファースト・ミーティングであった。

***

「はい。よろしくお願いします」とみやちゃんが電話を切って、水を飲む。私も水を飲んで、回想から戻ってくる。五目あんかけ焼きそばは、二人とももう完食した。私たちはよく食べてよく喋ってよく働く。みやちゃんが田んぼの話に戻る。

「今年はな、もう水没するって分かってるから、田んぼの水張り前に、豆を全部収穫してしまお、と思ってんねん」
「そっか」
「そいえば。昨日の総代さんの直会なおらいの仕出し、絹さやあった?」
「あったよ、松花堂の筍の煮物に、きれいな絹さやがのってた」
「それ、うちのや」

みやちゃんは絹さやを仕出し屋さんに納品したのだという。じつは仕出し屋さんの女将のりっちゃんも、私たちの友達である。

我々は3人とも自営業なので、子供が小さい頃には仕事と子育てと家事の境目がなく、自由時間もなかった。不動産屋のみやちゃんは、お客さんを物件の内覧へ案内する時に自分の赤ちゃんを連れて行ったこともあるし、仕出し屋のりっちゃんは厨房に大きなダンボールを置いてそこの中に子供を入れて仕事しながら見ていたこともある。

前から顔見知りではあったけれど、こうして大人だけでごはんを食べに出られるようになって、畑のことや着物のことや祭り太鼓のことなんか、自分らの好きなことの話ができるようになってから、急速に親しくなっていった。

みやちゃんが、不動産屋の名前を入れた提灯を神社に奉納して、それを南門に掲げたとき、「わたしらも、こういうことが出来る歳になったんやな。それがうれしい」と言ってくれたのが、私にはうれしかった。これから私たちは、すいも甘いも知った大人の女としていろいろと楽しむつもりだ。

「料理のプロに野菜を納品するなんて、すごいやん」
「すごいやろ。また絹さやも持ってくわ」
「ありがと!!」

私はみやちゃんがくれたスナップエンドウの袋を自転車のかごに入れ、それがかさかさと小気味よい音を立てるのを聞きながら、春の心地よい空気の中、上機嫌でペダルを漕いで帰った。


二十四節気 小満(しょうまん) 新暦5月21日ごろ

*蚕
小満は、蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)という候から始まる。
埼玉に住んでいた小さい頃、加須というところに住む親戚の家に遊びに行った。親戚はそこで開業医をしていたが、すぐ近くに豚を飼っている家や蚕を飼っている農家があって、見に連れて行ってくれた。蚕の小屋に入ると、蚕が桑の葉をむしゃむしゃ食べている音が聞こえてきた。それはうるさいくらいの生命の音だった。今でも、絹の着物を着る時にはあの音が脳内に再生されて、神妙な気持ちになる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?