母に卵子提供をしたいと言った日の話

中高生の時から、家庭というものに夢を持てなかった。

私の両親は仲が悪く、父はコンスタントに母の悪口をいい、母は私を叱るときには必ず「なんで貴方はお父さんの嫌な所ばかり似るの」と父と私を比べていた。

二人とも私を愛してくれており、昔から私の将来が良いものになるように願って色々と貴重な経験をさせてくれていた。しかしその一方で私の両親は自分たちが思う「良い将来」に娘を向かわせてくれるような経験以外は全て害悪と認識していたようで、男女交際は勿論、月に一回友人と遊びに行くのも勉強が疎かになる、と難色を示された。

私があまりにも言う事を聞かないと、父から手が出る事もあった。母はそんな父に反発して、私が反抗をするたびに両親の仲は更に悪くなっていった。

両親の頑固さが私を思ってくれての事だとは理解していたが、正直言ってその身勝手な愛情を無理やり受け取らされる事に私の精神は摩耗していた。

今でこそ和解したが、そういう家庭背景があって、中学から高校にかけて私は頑固で暴力を振るう父を本気で嫌っていた。そしてその父と私を事あるごとに比べていた母も嫌った。

それと同時に父と母の思う良い子になれない自分を呪った。

大学に入って人並みに恋愛を経験しても、家庭というものに夢を持てないのは変わらなかった。

なんというか、自分が結婚をして子を産み、その子にとって幸せな家庭を築き上げているビジョンがどうしても思い浮かばないのである。少々大袈裟であるが、もし自分が考え無しに子を成して育て方を間違えてその子を不幸にするような事態になったらと考えるだけでも寒気がする。

いつだったかその事を友人に冗談交じりで話したら、卵子を提供してはどうかと言われた。

「要らないなら勿体ないんだし、子供作りたくても作れない人のためにドナーになれば良いんじゃない?」

その子は身内に不妊治療をしている人間がおり、子供が欲しくても出来ない人間の苦しみを間近で見て自分がドナーになれまいかと卵子提供について色々調べた事があったらしい。

当初はそんな自分がまさかと思った。

それでも興味が湧いたので詳しく調査してみると、やはり卵子を採取する際に投与するホルモンの影響で体重が増加したり、肌が荒れたり、卵巣が腫れて痛みが出たりと中々身体的に負担のあるプロセスを経ないとならないようであった。

しかし、日に日に卵子を提供するという考えは私の中で膨らんでいった。

自分は自分の子を幸せにする自信がないから子は持ちたくないけれど、でもそんな自分の遺伝子をこの世に残せる手段がある。自分の遺伝子を持った子がどこか暖かい家庭で幸せな生活ができるのであればそれも良いのかもしれない。

なので約一年ほど考えに考えた末、まずは自分の中に卵子を提供するエッグドナーになる意思がある事を母に伝えようと思った。

流石に私一人でするべき決断だとは思えなかった。けれど父にこの話をする勇気はなかった。

母は医者であるし、卵子提供にどのようなリスクがあるか私以上に詳しいので反対されるのは予想していた。そして価値観が少々古い母が、再生可能な卵子とはいえ自分の体の一部を他人に渡すような真似を許すはずがないと思っていた。

けれど意外な事に、反対は反対であったが母の言い分を聞いてみるとどうも私が懸念していた点で反対をしていたのではなく、私がその決断をするには若過ぎるという事が引っかかったようだった。

「もし今卵子を提供して、この先貴方が色々な経験をしてその過程で本気で好きになれる人に出会って子を産みたいと思った時に、その子に異父兄妹がいる事を思い出して後悔する日が来るかもしれない」

だからこの話はせめて五年ほど先に繰り越ししてはどうだと。その時、もしもまだ子を欲しくなくてドナーになりたいという気持ちがあるのであればその時は一緒に病院まで付き添うと。

不思議な気持ちだった。

反対をされたのに母の中で私が一方的に言うことを聞かせる子供ではなく対等に話をするべき大人になっていたことに気づいてなんだかストンと胸の重しが落ちたようだった。

私はどうやら、母の中で自分がいつまでも不出来な子供だと思われていると思い込んでいたらしい。そしてそれにコンプレックスを感じていた。

それを母に言うと泣かれてしまった。

曰く、私を不出来な子だと思った事は一度も無いと。私を育てるのは大変だったが、私は母にとって宝物だと。そう思わせてしまっていたとは知らなかった、ごめんと。

それを聞いて私も泣いてしまった。

年月は人を変える。

万人に当てはまるかは分からないが、私は確かに変わった。そして私が変わったように母も変わったようだった。

きっと数年前の私と母であるならばこんなふうに踏み入った話を喧嘩なしに最後までする事はできなかったと思う。

今も昔も変わらず母の事は愛しているが、どこかで距離を取ってしまっていた。妹が母と築いているなんでも話せる親友のような関係は自分が望むべきものでは無いと思っていた。母も必要以上に私に連絡をしてくることはなかった。

けれど、蓋を開けてみれば私は勝手に劣等感を拗らせていただけであるし、母もそんな私にどう接すればよいか戸惑っていただけであった。

その日、母との通話を切った後すぐに寝入った私は懐かしい記憶を夢に見た。

夢の中で私は小学校の授業参観の後、母と手を繋いで一緒にカエルの歌を歌いながら帰路に着いていた。

あの時から私も母も歳をとったが、お互いに不器用であるからまともな親子になるのに随分と遠回りをしてしまった。

結局父に話を通していないのもありエッグドナーに登録するのは先送りになってしまったが、卵子を提供するという話を通して母と腹を割って話せたのは僥倖であった。母子としてやっと一緒に大人のスタート地点に立てた気がした。

あとは手を繋いでゆっくりと歩んでいくだけである。






























































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