ニュースは暗い、世の中は変わらない
基本、この世の中にはいいことはほとんどない。暗いニュースばかりだ。
明るいニュースというのは、ヤクルトの村上がホームラン記録を作ったり、大谷が活躍したり、WBCで日本が優勝したり、オリックスの山本がノーノー達成したり、阪神が優勝したり、それくらいなもので、それ以外はほとんど暗く、まともに考えれば生きていくことに絶望するものばかりだ。
たとえに野球のニュースが多すぎなのはおいといて、毎日暗いニュースばかりだということに異論のある人はほとんどあるまい。
さきのオリンピックをめぐるスタジアム建設問題や汚職・開催をめぐる数限りない不祥事、コロナ禍における様々な軋轢、戦争、経済、政治、…この数年だけでも、暗いニュースを挙げたらきりがない。
しかもそのほとんどの問題に対してわたしたち個人は無力であり、ニュースをみて憤りながらも、なんの力も持たない自分に歯がゆさを感じる。それが毎日続けば、世に倦み、たとえ自死を選んだとて不思議はない。
その一方で、思いもよらぬかたちで世の中が急激に変わることもある。
コロナ禍はその病気の実態以上の禍根を私たちの社会に残した一方、学校や企業、官公庁など、様々な場所でのデジタル化を一気に進展させた。
オンライン会議・オンライン授業がこれほどまでに一気に日常化するとは、コロナ禍前には思いもよらなかったことだ。オンライン会議のない日常がもはや想像できないほどである。
「自分にはデジタル化なんか必要ない」と強弁していた熟年サラリーマンですら今や、TeamsやZoom、種々のクラウドサービスの世話にならない日は無いはずだ。
それが「コロナ禍のもたらした良いこと」だったとは決して言えないが、しかし思いもよらぬかたちで世の中を変えてしまったことには違いない。
また連日報道されるジャニー喜多川性加害事件も同様で、このようなかたちでジャニーズの帝国が崩壊するとは、正直思ってもみなかった。
一連の問題が数十年前から揉み消されているだけで、いずれその問題が表面化するときが来るだろうということは多くの人が思っていたことだろうが、まさかこのタイミングで、このような変化が訪れるとは思っていなかった。
BBCの報道が一つのきっかけになったとされるが、日本語以外のメディアでの報道も以前からなされていたわけで、今回の報道が初めてではない。
これまでいくらでもジャニーズ崩壊の兆しはあったのに、たまたま訪れなかっただけなのだろう。
コロナ禍とジャニー喜多川事件、それぞれ全く別の次元・種類の出来事だが、不思議なことに、それがおこってしまったあとからみると、そうなるべくして起こった必然の出来事のように思えてしまう
いわく「デジタル化が急速に進展したのはコロナ禍をきっかけに、起こるべくして起きた技術の進歩だ」、「ジャニーズ帝国の崩壊は、これまでもみ消されたジャニー喜多川の犯罪が暴かれるべくして暴かれた結果だ」
本当はすべて偶然の歯車が少し嚙み合っただけなのに、それが起こった後の時代を進行形で生きているわたしたちには、すべてが必然だったかのように思えてしまう。
きっと世の中が変わるというのは、そういうことなのだろう。
変わるときは変わる、変わらないときは変わらない。
変わらないことに絶望するときもあれば、どれだけ努力しても乗り越えられなかった壁が突如あっけなく崩壊するときもある。
いつでも「その時代」を生きるわたしたちにとっては、自分が出来ることを精いっぱいやり、自分のできる生活を送り、自分の力が及ばないことに歯がゆさをおぼえながらも、結局は地道に生きていくしかない。
そうやって過ごしているうちに思わぬかたちで変化が訪れるかもしれない。
そのときがきたら、その変化を心の中で言祝ぎながら、またくるかもしれない変化の日の準備のため、また暗く沈鬱な日々を過ごしていくのだ。
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