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ワクワク ホームステイこぼれ話 4    ワークショップ

 文字数:20,275字

24.更 衣 室

 ホームステイで気になることは、英語の問題である。喋れないのに大丈夫なのかが心配になるものだ。ホストファミリーの家に一人置いてきぼりをくうと、いかに英語を知らないかを痛感する。そこから本当のホームステイが体験できる。
 ホームステイの意義は、言葉が分からなくても心が通じることを学ぶことだと思っている。そうすることによって、アメリカ人も日本人も同じ人間だということを学ぶことが出来る。
 嬉しいときには喜び、快活になる。悲しければ、涙も流すし、憂鬱になる。腹を立てれば、声が荒く大きくもなろう。違うのはその表現の仕方なのだ。お互いが相手のことを思う努力が、表現の違いを克服することになる。
 平日の英語教室は、ホストファミリーと生徒とのつながりをスムーズにする潤滑油の役割となる。毎朝教会に集まると、情報交換の場所となる。飢えた日本語を使いまくる。それも時間が来れば英語が支配する。
 アメリカ人教師も大変だ。あの手この手で生徒の興味、関心を喚起しようとプログラムに工夫を凝らす。しかし、日本人の考え方や物の見方に精通していないから、なかなか思うようにいかないと思う。
 プール研修もその一つだ。その場所まで暑い中をぶらぶら遠足気分だ。プールには既に何人もの人が来ている。
 突然の日本人軍団の到来だ。そして更衣室。私は着替えないでプールの傍に待機する。なかなか生徒が出てこない。空からは暑い日差しが容赦なく降り注ぐ。
 「あなたの生徒さんたちって奥ゆかしい (modest) わね」
 けらけら笑いながらの言葉だ。水着に着替えたアメリカ人教師の笑いが止まらない。
 「どういう意味ですか」
 人がどうしてなのか聞いてもまだ笑っている。そして更衣室の方を指さす。その指先が震えている。笑いの振動を伝えているのだ。
 モデスト(modest)という語を当時持参していた「デイリーコンサイス」で引くと、「慎み深い、謙遜な、内気な、地味な」と出ている。
 「あの子たちったら・・・、あの子たちったら・・・」
 男性用の更衣室を見ておいたが、まあまあの広さだった。彼女の指さす先には女性用更衣室がある。
 そこから出てくるのは、アメリカ人ばかり。生徒たちの軍団は一番乗りしたはずだ。それなのに一人も出てこない。だからと言って私が困るわけでもないのでほっておく。それでも少し気になってきてアメリカ人教師に聞いてみる。
 「一体何がモデストなんですか。中で何があってるのですか」
 「とにかくあんなの初めてよ。あれじゃあ時間がかかるわけですよ。何人かが大きなバスタオルを持って個室みたいな場所を作って、その中で一人ずつ着替えてるのよ」
 聞いていると、何となっくこちらが恥ずかしくなってくる。
 アメリカの更衣室は殺風景だ。ロサンジェルスにあるベニスビーチの更衣室も、他の場所にある更衣室も、だだっ広い空間があるだけである。日本のプールについているような、カーテンの仕切りなどない。
 「小さい子なんかが、何事かと思ってその中に潜り込んで見ていたのよ。その子が入っていくと、キャアキャア大声をあげてそれは大変。バスタオルを持っている人たちは、そっぽを向いて中を見ないように苦労してるみたいですよ」
 アメリカ人は割り切りの良い国民である。男性同士、女性同士でお互い気にしない。だからカーテンなど必要ないのだ。

 「先生、ちょっとあの人見て」
 そう言われて生徒が目をやる方向を見る。背のすらりとしたスタイルの良い女性が、目の前に立っている。ハイレグの水着だ。
 「先生、その人の脚」
 私が何のことか分からないという顔をすると、その生徒が私に言った。そこで脚に目をやる。(なんだ、珍しくも何ともないや)と思いながら、分かったというのを目で知らせる。
 「先生、アメリカの人は凄いですね。女の人まであんなことをするんですね」
 どうということもないことに感心している。感心をする対象となったのは、その女性のハイレグの傍に彫ってあるバラの入れ墨だったのである。
 アメリカで入れ墨を見るチャンスはとても多い。普通の人でも入れ墨をしているケースが多いのである。ホストファミリーの中にも太い腕に入れ墨をはっきり見せているのを見かける。女性のバラの入れ墨は私にも珍しかった。
 生徒たちは何か珍しいものに出くわすと、すぐに指さす。アメリカの人たちはそんなことはしないから、私はハラハラする。失礼極まりないからだ。

25.ウォーターワールド

 ウォーターワールドという遊び場に出かけたこともある。ここはたくさんの水遊びをする場所である。今では日本の各地に似たようなプール施設がある。しかし、当時は私にとっては初めて見る施設だった。生徒たちも同じ気持ちだったと思う。
 大波の起こる波乗りプール。落差の激しい滑り台。車のついたボードに乗る人間ジェットコースター。漂流ボートに漂流浮き輪。そして水流トンネル。これらは私が勝手に見た目を取り入れたネーミングだ。
 どこもかしこも長蛇の列だ。生徒を連れている間は、私は荷物の番人に徹する。それでもカメラを紛失する者が出る始末だ。彼らがホストファミリーと帰った後、私たちキャバーサス家の者は改めて場内巡りをする。
 ジョーは朝6時には職場への道をたどる。私はその時刻にはまだ寝ているから、彼が出て行くのを見たことがない。私が起きた時にはジャニスが早々と起きているはずだ。ホームステイの5日目にしてようやくそのことに気づく。

プライバシー保護

 アメリカでは、あまり人のことを聞き出したりする習慣はない。プライバシー保護の国だ。相手が話さない限り、こちらから根掘り葉掘り聞くことは失礼なことになるのだろう。ジョーの弟がやって来た時も、私からは何も聞かなかった。それなのに、詳しく話さなくてもいいのに、と思えるほどジョーが詳しく話してくれた。それは、キャバーサス家の人々が、私を家族の一員として考えていたからだ。
 アメリカでの人付き合いは、私とあなたという関係で成り立っている。だから自分の友人のお姉さんが、結婚しているのかしていないのかはどうでもいいことなのだ。友人が話してくれない限り、知る必要はないのである。知りたいと思っても、相手が話す気がさらさらないかも知れないのだ。わざわざ話さないようにしているわけではない。ただ何も気づかないだけである。

フレックスタイム制

 ジョーが朝6時に出かけるのにはわけがある。これもジャニスが聞きもしないのに話してくれたことである。午後3時には帰宅できるためなのだ。
 出勤時間を自分で決めることが出来るのだそうだ。だから帰宅時間から逆算して、出勤時間を決めるのである。3時に帰るのにもわけがある。家族と過ごす時間を増やすためなのだ。 
 (日本でも最近はこの方式で働く時間を設定できる会社が増えたと聞いている。フレクシブルな勤務時間の決め方なのだ。「フレックスタイム制」というものがすでに1980年代にアメリカには存在していたのだ)
 夏時間を取っているために、デンバーの昼は長い。午後7時をまわっても外はまだ明るい。ジョーはその日ウォーターワールドで遊ぶために、5時出勤を果たしていた。

いろいろなプール

 波乗りプールはある一定の時間が来ると、大波が襲ってくる仕掛けになっている。生徒の話では、当時有名だった日本の大磯ロングビーチの仕掛けより波が大きいということだ。
 時間が迫って来る。波の起こるところに人々が集まる。浮き輪。ボート。友人の手。空気マット。思い思いの物に捕まって準備オーケーだ。
 大波の到来。
 ひっくり返る者。浮き輪から飛び出て、あわてて誰のものかもわからないまま人の手足に捕まる者。つないでいた2人の手の間に人がまつわりつく。頭の上に人の雨。目の前を襲う人の脚。その脚に蹴られても痛さを感じない。岸に打ち上げられて初めて気づくのだ。人を満載にしていた4、5人乗りのボートは、乗員ゼロだ。
 どこもかしこも長蛇の列をなしている。子供たちのために漂流浮き輪に乗ることにする。ゆったりと流れる浮き輪に身体をゆだねていると、一日の疲れが飛んでいきそうな快適さだ。眠くなる。このまま1時間でも昼寝が出来ればと思う。頭が空っぽになりかけた時に終点だ。
 ジョーはそんな乗り物では不足なのだ。漂流ボートの方が面白いぞ、となる。ライアンは年齢制限に引っかかる。10人乗りのボートに乗り込むのに、30分が費やされる。急流下りよろしく、ボートはあちこちぶつかりながら流される。放り出されるのではないかと思うほどの勢いでぶつかる。頼りは自分の握力だけだ。必死になって紐に捕まる。笑顔が戻る。流れが穏やかになってきたのだ。終点が近づく。次は何にするかと話す。
 長距離くねくね滑り台トンネルとでも名付けようか。なかなかの急坂だ。階段を上がりながら不安になる。私は少々高所恐怖症なのだ。観覧車に乗っても、怖いと感じるほどだ。今更降りるわけにもいかず、そのままトンネルだ。スピードを増すトンネルの中は、何がなんだかさっぱりわからない。ただ自分の期待以上のスピードが、私を推し進めているのだけがはっきりわかる。あげくの果てに気が付くと、終点で水の中に思いっきり放り込まれる。
 ジャニスの眼が輝いているのに気づく。ジョーはと見れば、いつもは30歳もそろそろ終わりかけているように見えるほどの31歳だが、この時ばかりは20歳代に戻っている。一つの遊びが終わるたびに、1歳ずつ若返っていくように見えてくる。
 その勢いで滑り台だ。下から見ると空のかなたに見上げるばかりの高さだ。この頃になると私もどうにでもなれという気になっている。開き直りである。
 2つ並んでいるが、ここも列だ。長い。待つのはうんざりだ。少しでも短い方の列に並ぶ。ジャニスもジョーも、何故か私に逆らって長い列の方に並んでしまった。
 順番が迫る。下を見下ろす高所恐怖症の私は、ぞっとしている。早く順番が来て、こんな怖い気持ちを終わりにしたい。でも順番が来るのも怖い。まっすぐ直角になっているのではないかと思えるほどの急坂が、見えてきたからだ。階段を下りて逃げたくなる。でもあと一人で順番だ。
 係員の指示にしたがって仰向けに寝そべる。手を胸の少し下の辺りで組む。係員の手が私に触れたと思った時には、私の体は滑り台の崖を落ちて行く。歯を食いしばる。組んだ手は金縛りだ。体中の筋肉ががちがちになって来る。目を開けてみる。水のカーテンだ。縦に糸を引いたように、目の前を走っている。その向こうに空の青さが見える。高熱にうなされてみる夢のようでもあるし、よい夢を見ているようでもある。
 やがてスピードが急速に落ちてくる。これで終わったとほっとする。それなのに止まらない。また目を開ける。水のカーテンはさほどではなくなっている。真上で空が真っ青になって私を見下ろしている。
 (青い)と心で叫んだ途端にものすごい勢いで体が落ち始める。第2段の崖だ。弛緩していた体中の細胞が凍る。そのため破裂しそうになる。そしてカーブを切る。スピードが落ちる。人間水上スキーだ。水しぶき。急ブレーキ。周りの景色。人の顔。ジョーだ。ライアンだ。デイミアンだ。終点だ。
 場内を一巡りし終える頃には、人もまばらになって来る。車で家路だ。高所恐怖症もだいぶ治っている。
 「あなた、チキンね。臆病者ね」
 ジャニスが私をけしかける。おかげでいつもなら見るだけで終わった個所も、無理やり怖さに挑戦することになった。もうごめんこうむりたいと思いながら、ウオーターワールドをあとにした。

26.アミューズメントパーク

 アミューズメントパーク体験も楽しい。遊園地だ。大人も子供も楽しめる。アメリカは何をするにも家族が一緒になって行動する。メリーゴーランドに乗っても恥ずかしくない。乗って喜んでいる大人も多いからだ。ワシントンDCの国会議事堂前の長方形の芝生の広場には、以前メリーゴーランドがあった。記憶があっていれば、今は撤去されていたと思う。
 パークの入場口に並ぶ。一日乗り放題の方だ。着いてくるホストファミリーもいる。その方が楽しい。よその日本人グループと出会うことほどがっかりさせられることはない。自分たちだけが日本人だからこそアメリカ体験なのだ。
 順番がくると手の平を係員に出す。その手にスタンプが押される。これで一日心いくまでの乗り放題だ。このスタンプ方式も当時は日本ではなかった経験だ。それだけに珍しい体験が増えたことになる。
 これこそが「Conversation Piece」なのだ。手のスタンプを擦ってみる。取れそうで取れない。この文なら次の日に来ても載り放題で行けそうだ。でも色を変えるのかな?などとつまらぬ心配だ。
 ここでも生徒にけしかけられて恐怖にチャレンジだ。10数年ぶりにジェットコースターだ。2度と乗るまいと決めていたのに・・・。2分半。左右に揺れる体。真下に見える線路。斜めに傾く車両。そのまま横倒しになるのではないかと思う。そんなことにならないように設計しているんだ、と必死で自分を納得させようとする無駄な努力。終わるのはあっという間だ。
そしてまた並ぶ愚かさ。30分の待ち時間はおしゃべりタイム。3度も乗れば十分だ。ジェットコースタークラスは単位が取れたも同然だ。
 次の日からは、ジェットコースター仲間はむち打ち症場だ。首が痛い。気が付かないうちに、体が揺れる度に、首はもっと一生懸命揺れていたのだろう。手のスタンプが取れても、首の痛みはジェットコースター体験の証明だ。

27.ショッピング

 生徒の関心事の一つは、ショッピングである。
 私はあまりショッピングという柄ではない。アメリカで20ドルも使えば、大金を使った気になる。1ドル145円時代だったが、私にはどうshしてもその倍以上の価値を感じていたからなのかもしれない。

円相場

 そう言えば、2022年は円相場が大きく動いた。私は久しぶりにアメリカドルで定期預金をしてみた。最初はロシアによるウクライナ侵攻のせいでドルが高くなっていると思って、ドルを買う気にはならなかった。ウクライナの人々が苦しんでいる時に、ドルを買って儲けようとするのは邪道だと思っていたからだ。しかし、そのうち戦争のせいではないことに気が付いて買ってしまった。2か月くらいして円に戻すと、得をしていたのだ。それを2,3度くりは繰り返したのだが、最後にもう一度と思ってドル定期をしてみた。これが欲のなせる業だった。見事に失敗したのだ。ドルが360円から変動相場制に変わってから、毎日のドル相場を見てきたので、一度も損をしたことはなかったことが落とし穴にはまる結果となってしまったのだ。円に戻そうと銀行まで行ったのだが、駐車場に車を停めたままドル相場を見て、あと一日待ってみようとしたのだ。そして次の日(金曜日)にドルが一気に何円もダウンしていたのだ。結果として、この一年で得た利益と同じ額だけ損をし続けている。プラマーゼロなので、ま、いいか、という気分で入るのだが、正直残念だ。今は相場の動きに関心が失せて、ほったらかしている。
 ついついぼやいてしまったが、当然このボヤキは本の中には書いていない。出版の年が1990年なのだから書けるわけがない。

生徒の購買意欲

 「あなたの生徒たちはみんな金持ちね。ホストファミリーがみんなびっくりしてるわ」
 ジャニスが私に言う。アメリカの人たちは日頃の生活ぶりがつましい。それを知っている私は実をいうとひやひやしていた。でも生徒の側からすると、2度と来ることが出来ないかもしれないのだ。
 「いや、みんななけなしの金をはたいてきてるんですよ」
 小さな嘘をついてしまう。日本の貿易黒字の風当たりを少しでも弱めようという浅はかな目論見だ。金持ちばかりがホストファミリーになってくれているわけではないので、ついそんなことを言いたくなっただけだ。
 最初の逗留地、サンフランシスコ。市内見学。フィッシャーマンズウォーフ。初めてのショッピング。

アメリカの貨幣

 梅光の制服が新鮮に輝く。観光客でごった返す店。いつもりょり小さく見える制服姿。周りが大きいせいもあるが、委縮しているのがよく分かる。そんなときの生徒たちはかわいく見える。
 手にする絵葉書。安そうなおもちゃ。小さなアクセサリー。写真立て。恐る恐る手にする財布。2ドル。何も言わずに品物を見せる。初めてのおつり。英語ではチェインジという。
 「ワンダラー フォーティーファイヴ、ワン フィフティー、セヴンティーファイヴ、セヴンティーファイヴ、トゥーダラーズ、サンキュウ。ハヴ ア ナイス デイ」
 一気に言われて戸惑う制服の主。手のひらに残されたおつりを一枚一枚確かめる。クォーター(25セント)とニクル(5セント)を見比べている。他にダイム(10セント)とペニー(1セント)がある。貨幣の大きさの順番だ。日頃はあまり流通していないハーフダラー(50セント)とワンダラー(1ドル)もある。
 下記の貨幣は筆者がペーパーウェイトとして作成したものだが、横一列に並べる手法が分からないので、縦に並べてみた。

ドル貨幣 1
ドル貨幣 2
ドル貨幣 3
ドル貨幣 4
ドル貨幣 5
ドル貨幣 6
ドル貨幣 7

 「ドル貨幣 1と2」「ドル貨幣3と4」「ドル貨幣 6と7」が表裏の映像だ。「6と7」は1ドル貨幣だ。建国200年記念貨をコリンズさんにいただいたものだ。彼は貨幣収集家だ。上記の赤っぽく小さなものが1セント貨、白っぽいのがダイム(10セント貨)、他よりも少し大きめがクウォーター(25セント貨)で最も使用頻度が高い。私は帰国する前には次のアメリカ訪問に備えてこの貨幣をある程度残して帰る。着いてすぐ必要になるからだ。

喜色満面の制服集団

 喜色満面。初めてのショッピング。大成功。友達と見せあう絵葉書。早速つけてみる買ったばかりの安いアクセサリー。それを見て欲しがる仲間。場所を聞いてそこへ走る。アメリカ人の林の中をもたもた走る。そして自分もつけて喜ぶ。
 1時間はあっという間に過ぎる。集合場所に集まる生徒の手には、アイスクリーム。歩きながらのアイスクリームもアメリカ体験の1つなのだ。真似をすることもないのに、近年、日本でも体験する人が増えてきた。
 制服の集団。やはり異常だ。珍しげに目をくれるアメリカ人観光客。その制服の塊をめがけて、2人、3人と制服姿が集結して来る。人数を数える。少し足りない。周りに目をやる。こちらに向かう姿を捉える。全員集合達成の瞬間。そして、バスに乗る。制服の威力がこんな形で発揮されることは織り込み済みだ。
 驚くほどの財布の紐の締まり方だ。初日から使いまくるのではという心配など吹き飛ぶ。初日から使うと後で困るから、と彼らなりによく考えている。

ホームステイエリアにて

 ホームステイエリアのオーロラ。英語教室の特別プログラム。ショッピングモール。J・C ペニーとシアーズ。どちらもアメリカのショッピングモールには欠かせないデパートだ。
 広々とした中央のモール。買い物客で賑わう。その中になだれ込む40数名の軍団。それぞれが思い思いに分かれて活動。この時ばかりはショッピングの鬼と化す。お金の使い方にも慣れてきた。
 何を買えばいいかもおよそ分かってきた。何が安いかも、友達同士の情報が集まって目標にできる。ホストファミリーはこれを買うならあそこが安いとか、これこれの店の品は良くないとか、前もって聞く
 アメリカはクーポン券の国だ。今では日本だって負けてはいない。
 ちょっと気を使うと目にすることが出来る。私は一人旅では前もってどこに行くかを決めない。着いたホテルのフロントで情報を得る。クーポン券も手に入るからだ。ホストファミリーの中には一年分のクーポン券を買っている家もあるほどだ。その中には、ありとあらゆる店やレストランの割引券がついている。ウォーターワールドやアミューズメントパークの割引入場券も入っていたりする。
 初めはただウロウロするだけの制服たちも、やがてねらいを定めて一つ所にとどまり始める。典型的なモールは、私には勝手知ったる隣の庭みたいなものだ。モールの両端を J・C ペニーとシアーズがモール全体の護り神として頑張る。その間にたくさんの店が軒を連ねる。疲れればモールのベンチで休息をとる。
 手にはアイスクリームだ。隣に座っているお年寄りも、おいしそうに食べている。目が合うと笑顔だ。ハーイと言ってみる。ハーイ、とこだまのように必ず返ってくる。お互いの心が開く。
 老いも若きも、手に手を取って歩くカップル。若いカップルのそれは、はち切れる力を周りに振りまく。老夫婦のそれは、ほのぼのとした愛の美しい姿だ。生徒たちの心に感動を与える力を持っている。思わず見とれる。その自然さが感動の源だ。
 やはり、アクセサリー売り場が一番の人気の場所だ。そこへ行くと、生徒が入れ替わり立ち替わりに入って来る。いつの間にか、生徒たちの両手には袋が下げられている。時間と共に数を増す。サンフランシスコでの初めての買い物とは大きな開きだ。手の荷物の増えるのと、トラベラーズチェックの枚数の減るのとが反比例する。財布を覗く生徒を見かけるのはショッピング実習の時間が残り少なくなってくる頃だ。
 カープールの奉仕をするホストファミリーたちの車が、正面に終結を始める。カープールというのは、生徒たちの送り迎えの手伝いのことだ。手の空いている人たちが、あらかじめ登録しておくのだ。私たちは同じ方向へ帰る車に分乗する。

28.ダウンタウン

 ダウンタウンデンバー。一応の大都会だ。広くきれいな通り。美しいビルの群れ。行き交う人々の 垢抜けしたファッション。オーロラの人々よりも速い足取り。かっこいい車。その中に混じって走るおんぼろ車。ペシャンコに潰れた車のドア。乗っている人とのアンバランス。
 大通りの迫力に負けそうになる生徒たち。バスを降りてからの自由行動。同じ方向に歩き始める。どこに行っていいか分からぬらしい足取りの重さ。それもほんの5分だけ。若さの勝利だ。人並みの中に消えていく。昼食もどこかですることになる。
 ショッピングモールで何も買わない私も、ここでは変身をする。家族への土産を買っておこうというのだ。ここでなにがしか買えば、あとはコロラド大学で買うだけだ。
 歩道に適当に並べられているテーブルとイス。座ってコーヒーを飲む善男善女。道端に座り込んでいるパンクファッション。キリっとしまった服装のポリスマン。大通りを東西に走る無料バス。
 試しに乗ってみる。1ブロックごとに止まってくれる。いろんな人が気軽に乗っている。降りたいところで紐を引っ張る。アメリカの割りには原始的な仕掛けだ。そう言えば、ミシガン大学構内の無料バスも同じシステムだったっけ・・・。
 アメリカの原始的なのは、バスの紐だけではない。デパートの入り口。銀行。ホテル。スーパーマーケット。至る所にその原始的な姿を見せる。原始的な方法を取りながらも風格がある。
 銀行の前に立つ。ドアが開いてくれない。手で押さなければならないのだ。自動ドアに慣れているので、一瞬戸惑う。回転式ドアは味わいがある。押してみると、思った以上に重く感じる。一度回り始めると軽いものだ。
 そんなことをしながら、この街のショッピングモールに滑り込む。デパートだったかもしれない。高級な店が並ぶ。懐かしいカタログ販売の店。
 留学中は、暇な時の時間つぶしの場所だった。いろいろな品物の見本が置いてある。チェーンでつながれた商品を手に取って使ってみる。そんなことをしていると結構楽しい。だから時間はあっという間に過ぎて行く。ここは自分の土産を買う店だ。
 2階へ行くと食堂街。中央にテーブルと椅子がびっしり並べられている。その周りを囲むスタンド形式の食堂。あらゆる国のエスニック料理だ。
 気に入った料理を探して歩く。中華料理があるのは勿論のことだ。韓国料理。スペイン料理。嬉しいことに日本料理もある。とは言っても、私はアメリカでは日本料理を敬遠することにしている。
 アメリカにいる時くらいは、アメリカに徹する取り決めを自分としているからだ。その方がアメリカ体験が豊富になる。アメリカでの日本料理の味もなかなかのものであるはずだ。アメリカにいるからこそおいしく感じるものなのだ。経験があるから分かっている。日清のカップラーメンを買うために、勉強を中断して出かけたことも数多い。あの味は、アメリカで日本に飢えている物だけの感動なのだ。
 Denverでの銀ぶらタイムが終わる。無料バスで帰りを急ぐ。好奇心の旺盛な者は、そのバスの存在をかぎつけている。スパイが約束の時間に集まってくるように、生徒たちが集結してくる。人数の確認だ。
 3人足りない。
 10分待っても帰って来る気配がみられない。分かりやすい場所なのに、その姿が見えてこない。ついに捜索隊の出動となる。
 パンクファッションの若者たちの前を通り過ぎる。その先が大通り。バスに乗る。車窓からいそうなところに目をやる。殆んどの生徒が入って行ったモールへ入っていく。小走りに捜し歩く。さっぱりわからない。ふと、もうバスに戻っているのかもしれないという気になる。捜し回りながら、バスの方向へ移動する。
 バスが見えてくる。2、3人の生徒がバスの外にいる。その様子から、まだ戻ってきていないようである。バスではみんなが心配している。そのうち探しに行った添乗員も戻って来る。
 「そんなにわかりにくい場所じゃぁないんですがねぇ」
 大通りの方から目が離れない。バスの窓からたくさんの頭が覗く。口々に心配する声。
 「先生、向こうから走って来てるのは違いますか」
 確かに、走って来る3人の姿。顔が半分引きつっている。引きつりながらも安堵の顔だ。
 「先生、すみません。ちょっと奥の方に入ったら、道が分からなくなってしまったんです。ごめんなさい」
 バスの中は一気に元の明るさに戻る。自分たちの買ったものを見せ合う楽しさだ。一日の研修の終わりだ。
 アメリカの土産のおすすめ品は、大学のブックストアのオリジナル商品だ。
 コロラド大学。キャンパス巡り。目的の場所はブックストア。大きな大学だけあってブックストアも広い。私の目当ては、大学のマーク入りの品物だ。安いので結構だ。ここの土産は自分の記念品となるものだ。タイピン。ネクタイ。Tシャツなどだ。留学の記念品も全てISUのマーク入りだ。今でも何かと役に立っている。
 Tシャツ、トレーナー、ノートなどの文具法品。身近に使うものがとにかく揃う。それらを買うとアイスクリームで時間をつぶす。

29.ロッキー山脈

 帰り道のバスから遠くを見やると、ロッキー山脈だ。アメリカの自然の代表である。アメリカで山が目に入ると、それだけで嬉しくなる。日本では、毎日毎日無意識に山が目に入っているからだ。
 デンバーはマイルハイシティと呼ばれている。海抜1マイルの高所にあるからだ。激しい運動をすると、息が上がるのが早いのはそのためだ。そこからロッキーのふもとへバスが走る。

 当時マラソンの世界的ランナー、高橋尚子さんが高地合宿をしていたのも、近くのボールダーだった。九州の駅伝名門の旭化成が合宿していたのも近くだ。その縁で2021年にその町のスーパーマーケットで銃撃事件があって、彼女たちが寄付で支援したことは記憶にまだ残っている。
 山へ入ると、道の両側に車が止めてあるのにたくさん出くわす。放置しているのだ。夏の暑さに負けた車だ。放置車を見ていると、さすがアメリカだと思う。それほどこの国はいい加減なものだ。日本なら廃車にするような車がまかり通っている。そうこうするうちにバスは坂道を登る。
 放置車を見ながら、気の毒にと思ったのだが、自分たちのバスも調子が悪い。そしてダウンしてしまう。仕方なくその広場で昼食にする。2時間近くの休憩となる。

 休憩が終わるとバスはまた坂を上っていく。素晴らしい眺め。大自然の美しさ。いつの間にか自分たちがその懐に入っている。
 真昼の暑さにも耐え抜いている凍った斜面。その手前に戯れる小鳥たち。はるか遠くを見晴らせる眺め。空にぐんと近づいたような錯覚。おいしい空気。ひんやりとする爽やかさ。はるかな遠くまで続く峰々。偉大な自然を胸一杯吸い込んで感動する生徒たち。
 野生のシカが見られるかもしれないとの期待は裏切られたものの、足を踏みしめる大地の野生味の虜になる。なだらかに傾斜する散策コース。サンフランシスコ以来、味わうことのなかった鳥肌の立つ寒さ。雄大な自然の証明。
 急に降り出す雨。急いでバスに引き返す。激しい息遣い。濡れた髪の毛。窓を打つ雨の音。新たに加わった大自然のラッパの音だ。怒り狂う自然に恐れをなしながら下る。予定のコースを変えて元来た道を辿る。
 アメリカの自然を直に見るのはホームステイでは欠かせない体験だ。自然を大事にすることの素晴らしさを知ることになるからだ。
 来るとき見かけた金鉱跡も今は霧の中に埋もれてしまっている。

 私の知人がホームステイをしながら大学で勉強していた。タコマ富士と言われるレイニア山へ連れて行ってもらったそうだ。この山はシアトル近郊のポートランドにある。
 車を降りて散策をする。春の日のピクニックである。山に咲き乱れる高山植物。美しい! ふと目に入る足元の可憐な小さな花。
 「アメリカの自然の美しさを大事にしましょう」
               (Keep our America Beautiful, Tomo!)
 4才になるホストファミリーの女の子だ。伸ばした手を慌てて引っ込める。恥ずかしさに顔が真っ赤になっていくのが分かる。ホストマザーもホストファーザーもニコニコと笑顔を崩さない。それだけがせめてもの救いになる。
 アメリカをきれいにしておきましょう、という4才の女の子の言葉が新鮮に耳に残る。それはとりもなおさず、アメリカの自然を大切にする一人一人の心の表れだ。だからごみを捨てるのにも勇気がいる。そんな勇気は放棄してくることだ。

30.キャニオン

ロイヤルゴージブリッジ(右)
渓谷に降りて行くケーブルカー(左・中央)

 大自然の渓谷。ロイヤルゴージ。ミニグランドキャニオンの呼び声高い。ここも人の群れ。ロープウェイを待つ30分も、飽きることなく広がる自然の地質博物館。真下に流れる川。ゴツゴツした岩だらけの肌。じっと見ているうちにゴンドラの中。
 入り口で駐車料を1人4ドルほど払えば乗り放題だ。そのたびに金をとられる国から来ると、タダみたいなものだ。アメリカは割り勘の国である。案内してくれる人が言わない限り、お金はそれぞれが出す。その方が気楽に楽しめる。合理的なのだ。
 ゴンドラからの眺めはまた格別だ。母児通りの眼下には川が小さく目に入って来る。案内のアナウンスで直下300メートルと知る。吸い込まれそうな空間に震える。アメリカの技術を信用しきれない私には、勇気のいる眺めだ。
 少し離れたところには吊り橋がかかっている。世界で一番高い所にかかる車の走る橋。線路の枕木のような板を並べてある。いた解いたの間の隙間が何とも言えず不安を与えてくれる。
 脚をしたから掴まれて落ちて行きそうな不安だ。車を降りて歩いてみる。高所恐怖症が姿を現す。脚を踏み外さないように注意しながら歩く。落ちるなんてことがあるはずもないのに、そっと歩いている。隙間から覗く例の川までは、ゴンドラから見た時よりも深い。視野が狭い身体。そばを車が、ゴトゴトと音を立てながらゆっくりと走る。
 下に降りてみたくなるのは人間の心理だ。1時間は長い。アイスクリームを食べながらおしゃべりをしながら、列に並ぶ。アメリカで列に並ぶときに、不思議とイライラしたことはない。アメリカ人が苛立っているのを見たこともない。彼らは列に並ぶのが目的でもあるかのように並ぶ。待つ間に周りの人と友達になれる。待つことを楽しんでいるのだ。
 あまり場所を取らずに待てるように工夫をした柵。そこを歩くと何度も同じ人たちと隣り合わせになる。そのたびにスマイル交換だ。
 ようやく待ちに待ったケーブルカー。殆んど90度に感じる傾斜。僅かな場所を切り開いて降りて行くのだ。1番前に乗る。アメリカ人はとんでもないことを考える、と思いながら下を見る。ケーブルが切れたらどうなるのだろう。結論は分かっている。金網で作られたような乗り物は迫力満点だ。
 ゴトン。
 静かに動き出す。真下に向かっている。剥き出しのエレベーターのようなものだ。幸い思ったよりスピードがない。ゆっくりと、ゆっくりと降りて行く。
 真下から見上げるキャニオンは素晴らしい絵だ。両側からかぶさって来る岩山。はるか上空にかかる吊り橋。そこを走る車はアリンコよりもはるかに小さい。その横を、釣り糸にぶら下げられたような心もとない姿のゴンドラが、ゆったりと移動する。
 帰り道で野生のシカにである。車を降りる。スズメでさえ逃げないお国柄だ。3頭だから家族かな、と近づく。撫でてみると意外と硬い皮膚。優しそうな眼。痛そうな角。おいしそうに食べる草。大自然の後の生きた自然を満喫する。これがあるからアメリカの自然はお勧め品なのだ。
 生徒たちが感動するのは、この自然の姿である。生きた自然の偉大さだ。その力だ。迫力だ。

31.キャンプ

 ホストファミリーと行くピクニック。キャンプ。農場(体験)。それぞれの家族が工夫をする週末。
 ピクニックにジェットコースターはいらない。キャンプにショッピングモールはいらない。農場ではドレスはいらない。欠かせないものは自然のあるがままの姿だ。心ゆくまでのすがすがしさだ。
 生まれて初めての釣り。ヘミングウェイの姿だ。釣れたニジマスに歓喜する。ホストファミリーの素直に喜ぶ顔。それは自分の顔でもある。自然は、人を素直にする力だと知る。自然を壊すことの怖さを知ることになる。素直な心が失われるかもしれないからだ。テントの中。外は真っ暗。星がなければ自分の手も見えない闇。漆黒の闇。鳥の声。はるか彼方から聞こえてくる川のせせらぎ。自然の静けさを際立たせる役者だ。グリズビー(北米に住む大型のクマ)でも出てきそうな迫力だ。あの野生のクマが出てきたらまさにアドベンチャーファミリーだ。
 自分の釣ったニジマスの味が、まだ口に残っているような気がする。手首に感じた、あのピクッとする感触。それと同時に引っ張られるような力。どうしていいか分からずに叫ぶ高い音程の声。この生徒の経験は素晴らしい。素直になれる体験だからである。
 テントの周りでかさこそという小さな物音。目が覚める。自分がどこで寝ているのか分からない。ジワーッと思い出す前の日の出来事。川。釣り。ニジマス。朝の連想ゲームだ。テントの外に目をやる。リスだ。3匹。チョロチョロと軽やかに動く。しっぽの動きが面白い。見ていて飽きない。

 「ハ~イ、グッドゥ モーニング、サキエ」
 朝の空気は最高の味だ。思いっきり深呼吸をしてみる。空気全体が朝の食事だ。心の洗濯場だ。前の日と同じ自然だが、はるかに新鮮な味わいを与えてくれる。
 週末のホストファミリーとの交わりは楽しく過ぎていった。いつの間にかホストファミリーの英語が、初めての頃よりも分かっていることに気づく。言葉として耳に入って来る。そうでなかったとしても、何を言おうとしているのかが分かる。自分の下手な英語も理解されることが多くなる。最初の日に、お互い辞書を見せながらの会話をしたことが嘘みたいな気がする。ホストファミリーもわざわざ辞書を買っていてくれたのだった。
 農場で週末を過ごすホストファミリーも多い。向こうが見えないほどの広い柵。三々五々ゆったりと草を食む馬。そして牛。駆け回る仔馬。
 乗馬。
 「エリ、ドゥー ユー ウォントゥ ライドゥ ア ホース?」
 水曜日に英語教室から帰った時にホストマザーが聞く。
 「イエース。アイドゥ ライク トゥ」
 馬に乗ってみたいかと聞かれて断るわけがない。週末が来るのが遅く感じられる。友達にうらやましがられる。心の中はルンルンだ。その週末がやって来たのだ。
 恐る恐る足をかける。12才になるホストブラザーのラリーが馬のくつわを持っていてくれる。ホストファミリー総出だ。ホストマザーのおじいさんの手まで煩わす。彼こそこの農場の主だ。
 初めて乗った馬の背は高い。家の屋根に上ったような優越感だ。怖さだ。しがみ付きたくなる心境だ。ラリーが手綱を引く。歩く馬の背は右に左に、上に下に揺れる。こわごわ乗る馬の背から見る景色は、揺れるテレビ画面だ。
 ドキドキ高鳴っていた心臓の鼓動が、少しずつ収まって来る。テレビ画面の揺れもなくなって来る。目に入って来る眺めは、新しい世界であるかのような新鮮さだ。空がやけに青い。美しい。
 思わず大きな声で笑ってみたくなる。ホストファミリーの笑いを誘発する。ラリーからアメリカのパパ、ママ、最後にはグランパにまで伝染してしまう。みんなが幸せになれる時だ。
 馬から降りて食べるバーベキューは、豪華客船のレストランで食べるディナーだ。口いっぱいにほうばると、西部劇の主人公になった気分だ。コテッジ風の建物が別荘に思えてくる。
 「サンキュー フォー インバイティング ミー」
 飛び跳ねてみたくなる気持ちを、感謝の言葉で抑える。
 アメリカ滞在中に何度口にしたか分からない言葉だ。どんな小さなことに対しても必ずいう言葉である。ラリーのような子供も一日に何度でもこの「サンキュー」を連発する。だから気が付いてみると、いつの間にか当たり前の表現となって口から出てくる。初めの頃恥ずかしくて、言おうと思っても言えなかったのが不思議なくらいだ。
 「オーウ、マーイ プレジャー。サンキュー フォー カミング、エリ」 
 夜になって入るベッドはビデオ鑑賞室だ。手には初めて触れた牛の乳房の感触だ。そこからほとばしり出たミルクがバケツに入る音は喜びの表現だ。
 ビデオを見ながらいつの間にか寝入ってしまう。寝顔はきっとスマイルだ。 

32.不幸な交代劇

 

33.ガラージセール

 その日の朝、チェリーの家に行くとガラージセイルだ。ガラージとはガレージ、つまり車庫のことだ。日本でも聞かれるようになり始めた頃だが、アメリカ式のガラージセールに行き当たることはまずない。私もしてみたいといつも思っているが、もししたならば、何を言われるか分かったものではない。
 「○○産のうちは、よほど困ってるんでしょうね。それに並べている者は本当にガラクタばかりですよね。あれじゃぁ売れはしませんよ。それに行くこと自体が恥ずかしくって・
 アメリカのガラージセールはとても楽しい。名前をガラクタセールと言った方が当たっているのにと思う。家じゅうのガラクタが並んでいる。ジャムがひっていたと思われるガラスの空き瓶まであるのには、感心させられる。私たちの町の大型ごみの日に集めてきてガラージセールをしても、まだましなものができるのではないかと思うほどだ。
 よくもまあ、これだけのガラクタを取っていたものだと驚く。1つ1つ丁寧に見て行く。
 あの何とも知れないガラスの空き瓶はたったの1セント。敗れ魔のあるいかにも古いソファー。車庫の中はどう見ても大型ごみだ。倉庫然としている。
 家の前に車が止まる。チェリーは何をするわけでもない。私たちとおしゃべりに余念がない。売れても売れなくても別に構わないのだ。破れ目のソファーは、どこかのガラージセールで手に入れてきたものだと言。う
 「あ気tから売るのよ。またどこかのガラージセールで別のを買ってくるわ」
 その気で車の窓から外を見ていると、週末にはあちこちでガラージセールに出くわす。よく見てみると、道の角々に、ガラージセールの案内が目に入ってくる。しばらく行くと、案の定、家の前にガラクタの山だ。
 「未知の角に歩酢t-を張るだけじゃないのよ。コミュニティーの新聞に公告を出すの。みんなガラージセールの広告を探しているから、小さな広告だけど見てくれるのよ」
 ジャニスもガラージセールをしたことがあると言っていた。
 「大抵の人が一度は経験したことがある、と言ってもいいほどなのよ。この前うちがやった時には、45ドルにもなったのよ。その前は90ドル売れたっけ」
 最近は日本ではあまり聞かなくなったような気がするが、一時はたまにガラージセールという言葉を耳にすることがあった。行ってみると、お中元やお歳暮のいらない新品が置いてあった。とてもアメリカのそれとは開きがあった。しかしこれも1つのアイディアである。やはりガラクタ商品の方が味がある。
 日本のものの考え方も変わって行けば、ホウン等のガラージセールができるようになるだろう。物を大事にする社会が戻って来るかも知れない。私はメルカリなどを使ったことはないが、3年前の引っ越しの時には相当なものを処分してしまった。出してみたかったのだが、売れたとして、荷造りのことを考えると面倒になってしまったのだ。

34.ル ー ル 

 オーロラ地区にはたくさんの日本人がホームステイに来ている。私たちのように僅か1か月足らずの者もいれば、8カ月から1年にもわたってホームステイをする者もいる。私がジャニスの家に来る直前まで、コウイチという高校生が8カ月ほどホームステイをしていたようだ。
 私たちの時には、あまり他のグループと出会うことはなかったけれども、ホストファミリーが英語教室などに連れてくることがあった。中にはホームステイをしてみれば、そこには別なグループからの日本人がいて、同居となることもあったようだ。

 「昨日はえらい目にあいましたよ」
 英語教室がある間、ある男性の相手をする羽目になった。招かれざる客である。とても横柄な態度。アメリカに慣れ切ったという雰囲気。礼儀のなさ。
 話に聞くと、オーロラに来る前まではシアトルでホームステイをしていたそうだ。オーロラの町には、1年間の予定で来たのだという。
 「昨日着いたばかりなのに家を閉め出されたんですよ。ひどい家ですよ。夜の10時まで玄関先でじっと待っていなければならなかったんですからね」
 「どうしてそんなことになったの? アメリカでそんなひどい話は聞いたことがない。ホストファミリーにもきっと何か理由があったと思うんだけどね」
 「昨日の朝着いたんですよ。昼からは自分の住む町を知っておこうと思って、ホストファミリーにそう言って出かけたんです。ホストファミリーに5時半には出かけなければならないから、それまでに帰ってくるようにって言われたんです」
 「それで帰ったの?」
 「帰りましたよ、少しだけ遅かったですけどね。家に着いたのが5時40分くらいでした」
 「それじゃぁ約束の時間に帰ってないじゃない。君が悪いんだよ。ホストファミリーはちっとも悪くないじゃないの。時間に遅れたのは君なんだから」
 「でもたったの10分ですよ。しかも昨日着いたばっかりですよ。ひどすぎますよ」
 「いや、話を聞いた限りでは君の方が100%悪いね」
 まだなにか弁解をしていたが、それ以上相手になるのを止めた。
 アメリカの家庭では、それぞれ家庭のルールというものがある。勿論日本にもあるのだが、厳格なのだ。それほどではない家庭が増えつつあることも事実ではあるようだ。
 ホームステイをするということは、この家庭のルールに従うということなのだ。いかなる状況の下でも、約束をしたらそれを守らなければならない。
 彼の場合は、5時半という約束があったわけであるから、それを1分でも超えるということは約束を破ることになる。つまり、その過程のルールに従わない態度なのである。。1年間いるともなれば、当たり前のルールだということになる。ホストファミリーにとっては、それ以上待てない時間だったのであろう。
 かの学生は、ホームステイ先を下宿か何かと勘違いをしているとしか思えない。家族の一員として迎えようとしているボランティアであることに少しも気づいていない。その家族を自分の満足のために利用しようとしているだけなのだ。
 日本を理解してもらうチャンスに、その反対の態度を取るその男性に、私はとても腹が立った。
 私も経験があるから分かるが、2か月くらいなら少々のことは我慢できるものである。何故なら、終着駅はすぐそこだからである。ちょっと我慢をすればお互い傷つかなくてもすむ。この男性は、その後時間にっついてはきっと守っていったことと思う。お互いが気持ちよく過ごすための出来事となるならば、寄る10時まで待つことも良い思い出となるのだ。
 生徒の中にもいろいろな失敗があったと思う。その中で時には落ち込み、時には許されて涙を流し、笑い合い、思い出を増やしていくのだ。
 スーパーマーケットにホストマザーと一緒に行くうちに、パン売り場のおばさんと仲良くなったのもいい思い出だ。ホストファミリー以外の人とのつながりは、とても心を暖めてくれる。
 子供のいる家庭では、その子供たちが生徒の先生になってくれる。彼らは、日本人が何も知らないと思っているらしい。何から何まで一々説明をしてくれるのだ。おかげで英語の勉強にもなる。家庭のルールも分かってくる。両親とのコミュニケーションのための潤滑油にもなってくれる。
 友達が泊まりに来て、夜中に作ったラーメンの味は格別だ。その前委に大時間が持ち上がった後だったからかもしれない。
 ホストファミリーは とっくにベッドに入っている。久しぶりにラーメンを作ろうということになる。意気投合するのに時間はいらない。いるのは音を立てない用心だけだ。ホストファミリーを起こさないようにするためだ。
 それなのにものすごい音。聞いたことも無いようなブザーの雄叫び。火事帽子の警報機が鳴りだしたのだ。あまりに突然の出来事で、3人共ただ立ち尽くすだけだ。
 ホストファミリーの総出演となる。熟睡を妨げられた怒りの顔だ。いつものスマイルはどこにも見当たらない。
 「アイム  ベリー ソーリー。 プリーズ フォーギブ アス」
 謝る声は必死だ。友達2人は声も出ない。ただ頭を下げておろおろするばかりだ。
 「グッドゥ ナイトゥ」
 その露負いアクセントが怒りの表現だ。
 後ろ姿を見送る。キッチンを出て行く背にも怒りが表れているように思えてくる。心臓の鼓動が少しずつ収まってくる頃にできたラーメンなのだ。これも一級品の思い出だ。あのムッとしたホストファーザーの顔は、脳裏に焼き付けた記念写真だ。

35.コンサート

 ヒューイルイス & ニューズのコンサートに行った時の生徒たちの興奮ぶりは凄い物であった。
 ジャニスの思い付きで、急遽希望者をカープールで連れて行ったのだ。20ドルもしただろうか。値段を聞いた途端に安い、と叫んでしまったのだ。
 「そんなに行きたいの?  20ドルもするのよ。私には高いと思うけど」
 15ドルだったかもしれない。どちらにしてもタダみたいな値段である。ジャニスに説明をする。
 「日本だったら50ドルはするんですよ。それに地元にはまず来ないから、泊りがけで行くことになるし・・・。そんなことをしたら交通費も入れて100ドルあったって行かれはしないんだから」
 それを聞いた途端にジャニスが活動開始だ。Denverの会場の前にはどこから集まって来たのか人が群がる。
 入場して飲み物を手に席に座ると、テレビの世界が現出される。前座の名前も知らないグループの演奏は、メインを盛り上げるための道具だ。その効果が出てくる頃には、あちらこちらで立ち上がって踊りまくる。首、手、腰、ありとあらゆる体の部分が弾き飛ぶ。若さの爆発。うしろを振り返ると、英語教室での生徒はもういない。若さの女神たちが踊りまくる。どこにそんな元気を秘めていたのかと思うほどだ。私がそばに行ってひやかしても、体中が笑顔になっている。私の存在など無きに等しいのだ。
 迎えに来てくれたホストファミリーたちの車に分乗して、夜のダウンタウンデンバーを満喫する。運動の後の軽い疲労が快適だ。

36.さよならパーティー

 さよならパーティーは必ず訪れる。そして、楽しく悲しいひと時も必ず訪れる。親しく過ごしたホストファミリーとの別れも必ず訪れる。その時間をしたためるのは寂しいものだ。だから、ここには記さないことにする。
 その最大の原因は、そんな理由ではない。既にこの記事の文字数があとわずかで2万字を超えようとしているからだ。
 それに気づいた筆者は、この記事を終わりにしようと決断したのだ。もし書くとすれば、もう一つの独立した記事として「さよなら」の場面を再現したい気持ちになっているからだ。その方が分かれの気持ちが十分に伝わる。
 悲しみの後には、喜びの体験も伝える方がいい。そこで筆者にアイディアが浮かぶ。オーロラ地区からはロサンジェルスへ向かう。日本への帰国の旅が始まるのだ。最後の楽しみが生徒たちを待っているのだ。それはLAの隣りのアナハイム。そこには誰もが知っているが、LAにあるものと勘違いされているディズニーランドが待っているのだ。そこで最後のはちきれんばかりの体験をすることになっている。そして生徒たちはホストファミリーのことを忘れてしまったかもしれないほどの変貌ぶりを見せることになる。それを見たければ、その記事が出た時に見てほしい。記事としては短くまとまるはずだ。
 (そして、ついに2万字は既に超えてしまったのだ)
 では、その時まで・・・しばしのお別れ・・・See You again!

(2022.12.28)



 
 


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