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たったひとつの、特別な街。祖母の面影に会う神戸の旅

神奈川県の海に近い街に生まれ、そこで育ち、いまも暮らす僕にとって、自分と縁のある街というのが、地元の他にとくにない。

日本地図を広げても、旅したことのある街はたくさんあっても、暮らした経験のある街はひとつもない。

だから、ささやかな旅の記憶が、日本各地に散らばってあるくらいの感じなのだ。

でも、そんな僕にも、たったひとつだけ、特別な思い入れを感じずにはいられない街がある。

それが、兵庫県の神戸だ。

もちろん、僕は神戸に住んだこともなければ、そこに通ったこともない。

片手の指で数えられるくらい、ほんの短い旅で訪れただけの思い出しかない。

それでも、神戸だけは、どこかで自分とつながっている街のように思えるのだ。

神戸の街を歩いているだけで、泡沫のように消えていった過去の時間が、ふっと心の中に甦ってくる。

なぜなら、神戸という街は、亡くなった僕の祖母が、かつて暮らしていた街だったからだ。

子供の頃から、父と母だけでなく、祖父母とも一緒に暮らしていた僕にとって、祖母という存在は、もうひとりの母親のようなものだった。

幼い頃は、お風呂に一緒に入ってくれたり、寝る前に日本の昔話を読み聞かせてくれたり、優しい祖母がいつもそばにいた。

僕の誕生日になれば、美味しいお赤飯を炊き上げてくれたし、ときに僕が友達と喧嘩すれば、すぐに仲直りに導いてくれたのも祖母だった。

ほんわかと笑いながら過ごす祖母がいることで、僕はもちろん、家族みんなが自然と笑顔になってしまう……、そんな大切な存在だった。

その祖母が、僕によく聞かせてくれたのが、若い頃に暮らしていた神戸での話だった。

「神戸でこんなことがあってね……」

祖母はいつでも、甘美な時代を想い返すかのように、神戸で体験した話を幸せそうに話すのだ。

三宮の喫茶店で働いていたとき、お店のマスターがこっそりと待遇を良くしてくれた話。

市電に乗っていたら、かっこいい外国人男性に声を掛けられて、思わず心がときめいた話。

夜遅く電車で帰ると、なにか違法な仕事をしていると疑われて、警官に追いかけられてしまった話。

そのどれもが、祖母にとっての青春の片鱗のような、不思議な煌めきを感じさせる話だった。

いったい何回、同じ話を聞くことになったかわからない。でも、そんな祖母の話を聞くのが、僕は大好きだった。

神戸で過ごした青春を懐かしみながら、目をきらきらと輝かせて語る祖母を見るのが、僕にとっても幸せだったのかもしれない。

なにより、祖母の話を通して想像する神戸の情景が、魅力的なものに思えて仕方なかった。

どうやら、祖母が神戸で暮らしていたのは、1930年代から40年代にかけての時期だったらしい。たぶん当時の神戸は、外国人の船員さんも多く、異国情緒に溢れていたのだろう。

祖母の話を聞きながら、その頃の神戸の情景を想像するだけで、僕もまたワクワクしてくるのだった。

きっと祖母にとって、神戸という街は、忘れられない青春を過ごした、特別な街だったのだ。

そんな祖母が亡くなったのが、6年前の春だった。

さすがに僕も、子供ではなく、30代の大人になっていたけれど、それでも悲しみの海に落ち込んだ。

祖母という存在が、いかにずっと僕の心を支えてくれていたのか、強く実感せずにはいられなかった。

やがて、父と母とともに、祖母の遺品の整理などを終え、人心地ついたときに、ふっと思った。

久しぶりに神戸へ行ってみようかな、と。

20代の頃、青春18きっぷを手に日本各地を旅していたとき、神戸には2度訪れたことがあった。

でも、そのときは当たり前の観光をするだけで、これといった思い出は作れなかった。

だから、ちょっと感傷的ではあるけれど、祖母の足跡を辿る旅をしてみようかな、と思ったのだ。

それは、亡くなる1ヶ月ほど前、祖母が不意に、こんなことを呟いていたのも理由だった。

「神戸に行ってみたいなぁ……」

祖母の願いは叶えられなかった。だけど、僕が代わりに神戸を旅するなら、きっと祖母は喜んでくれる気がしたのだ。

そうして、亡くなった半年後の秋、僕はひとり神戸を訪れた。

優しいマスターの喫茶店があった三宮、たまに買い物を楽しむのが好きだった元町、温かい人たちに助けられながら暮らしていた深江……。

祖母の青春の思い出を辿るかのように、神戸の街を歩いた。

そして、その旅を終えたとき、不思議と、悲しみがすーっと消えていくのを感じたのだ。

大好きな祖母はいなくなってしまったけれど、この神戸の街へ来れば、またいつだって、祖母の面影に出会うことはできる……。

たぶん、そう思えたからだ。

この冬、6年ぶりに、僕は神戸を訪れた。

もしかすると、心のどこかに、もしも祖母が生きていれば、今年100歳だった……という思いがあったのかもしれない。

とはいえ、さすがにもう感傷的な旅を繰り返すつもりもなく、普通に観光を楽しんだり、美味しいものを食べたりして過ごした。

それでも、神戸の街を歩いていると、ふっと、祖母のことを思い出す瞬間が何度かあった。

いつでも楽しそうに、神戸で過ごした青春のエピソードを語っていた、祖母の姿を……。

そのとき、僕は気づいたのだ。

祖母にとって、忘れられない日々を過ごしたこの神戸が、僕にとっても、特別な思い入れのある街へと、変わりつつあることに。

もちろん、僕にとっての神戸は、ただ何度か旅しただけの街に過ぎない。

だけど、この街を訪れれば、どうしても思い出さずにはいられない、幸せな過去の記憶がある。

なぜなら、この神戸という街は、祖母の青春の思い出と、そして、その思い出を聞いていた僕の思い出と、いまもつながっているからだ。

たぶん、僕の人生で初めて、不思議な縁を感じる街が、心の中に生まれたのだと思う。

それはなんだか嬉しいことで、どこかで祖母も、笑いながら喜んでくれている気がするのだ。

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