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コロナ後の海外はどこへ?シリアへ行ってきました。

旅好きコミュニティTABIFLEEEEEK(たびふりーく)のKuniです。
メンバーの旅話を聞いては羨ましくて悶えそう、な運営でございます。

TABIFLEEEEEKメンバーさん、やっぱり旅が好き。日本・海外各地いろんなところへ旅されてます。いよいよ久しぶりの海外行ったよ!という話も聞くようになりました。今回はシリア行ってきたよという、非常に興味深い、色々聞いてみたくなる旅をシェアいただきましたので皆様にもお裾分けです。今は退避勧告が発出されているので渡航は難しいですが、報道でみてる部分は一部分にしかすぎない、実際は普通に生活している人がいて"不幸"でもないと感じると教えてくれました。色々考えさせられる方面ですがぜひご覧ください。

こちらの記事は、渡航をお薦めするものではありません。シリアでは2011年以降内戦が続いており非常に不安定な情勢になっています。2023年7月現在も全土に退避勧告が発出されているため渡航はお控えください。

シリア全土に「レベル4:退避勧告」を発出しています。
日本人渡航者・滞在者に深刻な危険が及ぶ可能性が極めて高い状況が続いているため、シリアへの渡航は、どのような目的であれ止めてください。
https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pchazardspecificinfo_2023T041.html#ad-image-0

海外安全ホームページ, 外務省

今回利用したのはエミレーツ航空、関西国際空港からドバイ経由で目的地の隣国レバノンへ。首都ベイルートのラフィク・ハリリ国際空港まで約16時間50分のフライトです。

DAY1 レバノン → クラック・デ・シュヴァリエ

ガイド*と合流するために隣国レバノンを出発し、まずはシリアの首都ダマスカスを目指します。人生初の陸路での国境越えだったので気を張っていましたが、意外とあっさり終わり若干拍子抜けしてしまいました(笑)ダマスカス中心部は想像以上に活気に満ちており、レバノンと変わらない印象を受けました。

*ビザにガイドの情報を記載する欄があります。そして県境にある検問でも都度パーミッションを出す必要があるので、いない場合は対処ができないと思います。 もちろん安全面が最大の理由ですが、こういった場所に行く以上、ガイドをつけるのは最低限の準備という認識です。 大きな問題が起こった場合に今後日本人旅行者が行けなくなる可能性もありますのでマナーを守って旅ができればと思っています。

クラック・デ・シュヴァリエ
ガイドと合流してクラック・デ・シュヴァリエへ。内戦中に反体制派が占拠していた関係で周辺の家屋は壊滅的な状態でしたが、お城自体は一部修復されていてとてもきれいでした。

クラック・デ・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーンは、11~13世紀の十字軍時代を代表する城です。2006年に世界遺産に登録されていますが、危機遺産リストにも登録されています。

世界遺産オンラインガイド 2023
クラック・デ・シュヴァリエ 見晴らしもよく気分がすっきりしました。
クラック・デ・シュヴァリエ 天空の城ラピュタのモデルとも言われています。

シリア料理
クラック・デ・シュヴァリエが見渡せるレストランにて。シリアの料理は塩辛いものが多くて結構大変です。ガイド曰く、昔の長期保存するための名残りらしいです。メインはチキン、これはガーリックがきいて結構おいしかったです。手前の黒いのはナスで、奥の白いペースト(フムス)をつけながら食べました。(食べ方があっているかは不明です笑)。

フムスとは・・ひよこ豆とタヒーニ(中東の練りごま)、オリーブオイルなどをペースト状にしたものです。レバノンやイスラエルなど中東の広い地域で昔から親しまれてきたソウルフード的存在。パレスチナ、レバノン、ヨルダン、シリア、イラク、エジプトなど中東の広い地域で食べられています

日本エスニック協会

DAY2 パルミラ → ハマー

シリアを代表するパルミラ遺跡を訪れました。悲しいことに2015年からイスラム国に占拠され、美しいローマ時代の遺跡は爆破されてしまいました。

パルミラ遺跡
こういった光景は毎日目にすることになりますが、パルミラだけはイスラム国の暗い過去のせいなのか、全く違う雰囲気を感じました。

パルミラ

2013年にイスラム過激派組織ISIL (ISIS) がこの地でシリア軍と戦闘となりました。2015年にISILがタドモルを占領すると、遺跡は徹底的に破壊されてしまいます。2017年にシリア軍がタドモルを奪還するも、ほぼ廃墟となってしまったため、現在は修復を待っているという状況。

世界遺産マニア2023

ベル神殿
保存状態が良かった神殿部分はなくなり門だけが残っています。現在は跡形もないですが、この地域で崇拝されていた嵐と慈雨の神・ベルを祀った神殿で、オリエントの建築とギリシア・ローマ建築の融合を示すもので、コリント式の列柱が取り囲む壮麗な神殿だったと考えれらています。

パルミラ

ローマ劇場
こちらも破壊されたままの状態で残っていました。裏に入ると大量の薬きょうも落ちていて、ここで戦闘があったことを手を取るように感じられました。

パルミラ

少し先のアラブ城も見に行きたい気分でしたが、真夏の強烈な日差しに負けて宿泊地のハマーに向かうことにしました。パルミラ遺跡は夕日に照らされる姿がとくに美しいと聞くので次回は夕方の時間に訪れてみたいと思います。

DAY3 ハマー → アレッポ

ハマーは水車がとても有名で、20以上の水車が町の至る場所にあります。農業が盛んな地域で、紀元前11世紀頃から灌漑に水車が利用されていた名残りだそうです。朝から町を散策しつつ水車で涼み、その後アレッポへ。

特に今は機能はなく景観のためだけの水車のようですが、ボーっと眺めているだけでもいいリフレッシュになります。

ハマー

DAY4 アレッポ

シリア第2の都市でアレッポ城やウマイヤ・モスク、美しい旧市街が有名です。とても楽しみにしていたのですが、モスクと旧市街は甚大な被害を受けているため残念ながら行くことは叶いませんでした。

アレッポ城
アレッポ城の中はまるで一つの小さな町のような造りで、歩いていてとても楽しかったです。元は深さ20m以上の堀と、周囲2.5kmの塀に囲まれた要塞。城内にはモスク、劇場、博物館、スークなどもあり活気があったのだろうと想像します。残る門扉などを見ると、壁面にも細かな彫刻が施されている様子は見ることができます。

アレッポ
アレッポ

元々はスーク(市場)だったようですが今は瓦礫だけが残ります。

アレッポ

DAY5 アレッポ → ホムス → ダマスカス

ダマスカスに戻る途中でホムスのモスクに寄りました。「お腹がすいた」とボソッと呟いたらどこからともなくパンが出てきました。中東のホスピタリティは旅行するたび毎回驚かされます。

きれいな装飾と立派なミナレット!

ホムス
ホムス

ミナレット(Minaret)は、モスクやマドラサなどのイスラム教の宗教施設に付随する塔。塔の上からはイスラム教徒に礼拝(サラート)を呼びかけるアザーンが流される。初期イスラーム世界では、ミナレットはイスラームの権威の象徴となっていた。

杉村棟「ミナレット」『新イスラム事典』収録(平凡社, 2002年3月)

DAY5 ダマスカス

最終日のダマスカスでは素敵な出会いがありました。ウマイヤ・モスクの近くで突然「日本人ですか?」と日本語で(!)話しかけられたんです。びっくりして話を聞くとアニメや漫画が好きで日本語を勉強したとのこと。少し話した後、別れ際で「ほんとにうれしい!」と喜んでくれたことを覚えています。シリアに旅行すべきか悩んだりしたこともありましたが、この一言で心から来てよかったと思えました。

安全になったらまた必ず訪れたいです!

まとめ

コロナ後の海外はどこへ?シリアへ行ってきました。いかがでしたでしょうか。旅をする目的であったり、旅人が果たす役割を改めて考えるきっかけをいただきました。報道で目にする状況はある意味ドラマチックであり、本当の残虐さは伏せられていたり、暮らしている人の気持ちまでは映し出してくれない。思いを巡らせる、本質をみる、触れ合う、伝えるそういったことは旅人として持っていたいと思いました。歴史、宗教など国の背景を学び旅をすすめると、より旅が楽しめるかもしれません。退避勧告がでている国々、美しい国がたくさんあります。やはり世界平和、戦争のない世の中にというのを願わずにはいられません。またお話し聞かせてください。

TABIFLEEEEEKメンバーの話を聞いていると旅欲が高まってしょうがない!ぜひ交流いただけたら嬉しいです。
今後もたくさんのみんなのタビサキを紹介させていただきます。


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